花カマキリ

真船遥

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Scene 10-1

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 ひどい悪夢を見た。俺が泣き喚く由依を何度も殴りつけている夢だ。隣には、絞殺された男の死体が転がっている。怯えている由依に、俺をそんな目で見るな、と叫び、悪夢から解放された。目を覚ますと、男が一人解体された後の、凄惨な現実が眼前に広がっていた。そうか、まだ作業の途中だったと、重い腰を持ち上げて、処刑台の横に立った。電気ノコギリで切断した腕や足から滴る血は、すでに止まっていて、台の上で赤黒く乾燥していた。俺はゴム手袋をして、台の上を触ってみる。腐ったアボカドみたいにグチョグチョした感触を感じると、人ひとり殺したんだな、という異次元の感覚が現実味を帯びてきた。グロテスクな断面や、血や胃酸の匂いを嗅いでも、もう、吐き気も起こらない。脳の大事な器官を一つ失ったみたいな気分になる、そして、喪失感を超えた諦念のせいで思わず乾いた笑いが込み上げてきた。そして、俺はトンカチを握りしめ、骨がぐしゃぐしゃになるまで、何度も、何度も、切断した腕を叩いた。死んだばかりのミミズみたいな動きをする芯を失った腕を持ち上げると、腕はグニャリと曲がる。精肉店で使うようなイカツイミキサーに腕を放り込み、スイッチを入れると、ミキサーの壁面が血で真っ赤になった後、ミンチにされた肉と骨が混じり合い、人の肉は豚ひき肉みたいになった。豚男のひき肉を容器に移し、冷蔵庫にしまう。その作業を、両腕、両足、股関、腹、胸、首、そして、頭と順番に各部位のひき肉を作っては、容器に移し、冷蔵庫で保存していった。死体が見事になくなると、今度は、部屋の清掃に移る。床に広がった排泄物と血の海を、雑巾に吸わせて、ブルーシートの上の汚れを拭き取り、漂白剤と一緒に袋に入れる。雑巾で吸えない、固形のものや、ビロビロになった腸などは、中華包丁で潰すように切り、まとめて、トイレに流した。においものはこれから行う作業には、不要だった。血が乾燥したブルーシートを剥がすと、部屋は元通りのキレイな都内のマンションの一室に様変わりした。
 ここからが、本番だ。俺は、男のひき肉と大量の牛ひき肉を冷蔵庫から取り出し、業務用スーパーで買った冷凍の玉ねぎのみじん切りと一緒にボウルに入れてコネた。ツナギには、パン粉と卵、味付けには、シンプルに塩と胡椒、人間臭さが消えるように、大量のナツメグをまぶす。混ざった肉を、小判型に整形して、熱したフライパンで焼いていく。人間と牛の合い挽き肉で出来たハンバーグを俺は丁寧に焼き上げていく。どんな味がするのだろうか?。気持ちが悪くて、味見する気にはなれないが、男はベジタリアンだから、案外食ってみたら美味いのかもしれない。人間は肉食動物は不味くて喰わないが、草食動物は好んで喰うのだから。今度は、大量に買い込んでおいたトマト缶とキノコ類を、寸胴鍋にぶち込み、コンソメ出汁を何袋も入れ、グツグツと煮込んでいく。焼き目のついたハンバーグを、血の池地獄みたいに煮えたぎった鍋の中に、一つずつ加えて煮込みハンバーグにしていくと、肉の塊から漏れた人間と牛の油が赤い水面に液胞みたいな形をして浮き上がってくる。スープをかき混ぜると、小学生の頃、スープに浮いた油の塊を繋げて遊ぶみたいに、油が大きくなったり、小さくなったりする。部屋の中の血の匂いは気化したトマトスープの匂いに上書きされていった。すると室内は夕食どきのような良い匂いが充満していき、料理をしていると、空腹のせいからなのか、タバコが吸いたくなった。ベランダとキレイになった部屋を、何度もタバコを吸いにいくために行き来していると、徐々に、自分が人を殺した実感が薄れていき、由依の事ばかり考えるようになっていった。今頃、あの青年の家で何をしているのだろうか?、次の撮影のために、また台本でも読んでいるのだろう。陽が落ちていくまで、コトコトとハンバーグを煮込み、その間に、洗い物を済ませる。ブルーシートや血を吸った雑巾を入れたゴミ袋は一箇所にまとめる。これらは次の燃えるゴミの日に回収してもらう。陽が暮れると、俺は、寸胴鍋の中の煮込みハンバーグを、三つの鍋に取り分けて、氷とビールを詰め込んだクーラーバッグと一緒に、車まで運び、ホームレスがたむろする河川敷にドライブに出かけに行った。そうだ、俺のお手製ハンバーグをホームレスに振る舞いに行くのだ。
 草木の擦れる音の中に、たまに、ぽちゃりと、美しい鰭を翻し入水する鯉の着水音が、寂しく響く夏の河川敷。橋の下では、失業して住む場所を失ったホームレスたちが段ボールで家を作って、慎ましく暮らしている。河川敷で、俺が携帯型ガスコンロで煮込みハンバーグを温め始めると、匂いに釣られ、歯の抜けた、平たい顔の目の小さな浮浪者が俺の近くまでやってきて、にいちゃんこれ食って良いのか、と俺に話しかけてきた。髪を洗っていないせいで、浮浪者が頭を掻くと、街灯に照らされながら細かい不潔なフケやノミが地面に舞い落ちてゆく。どうぞ、と俺が紙の容器とプラスチックのスプーンを渡すと、ホームレスは鍋からハンバーグを掬い上げ、自分が人肉を喰わされているなんて想像することもなく、夢中で容器の中のハンバーグを平らげた。よかったらコレもどうぞ、とクーラーボックスから冷えたビールを手渡すと、汚れた手で、プルタブを引き、涙を流しながら、ビールを飲み干した。ホームレスは、手を痙攣させながら、空になった容器を差し出し、おかわりを要求する。俺は、笑顔で何も言わず、器にもう一杯注ぐと、ホームレスは、うめえこんなもん食べたのは久々だ、と言いながら、俺を崇拝するように目を輝かせ、器を空にする。そんな様子に、何人かのホームレスが気が付き、俺の元に集まってくる。俺は、皆さんもどうぞ、と呼びかけ、橋の下を離れていった。ホームレスたちは、俺が作った飯を我先にと奪い合うわけでもなく、ありがたがって、仲良く、煮込みハンバーグを分け合い、酒を飲んで、橋の下で、晩餐を楽しんでいた。ホームレスたちは、とても生き生きしていた。飢えているのに、飯を奪い合うのではなく、皆で分け合う。動物とは違う人間生活の美しさを俺は眺めた。彼らは社会に必要とされなくなった。だが、彼らは人間の尊厳を象徴するような、優しい空間を形成している。逆に、俺の行いで警察の目が由依から外れれば、彼女は今まで通り素晴らしい作品を世に産み落とし、莫大な利益を社会に齎す。その利益を間接的に生み出した俺は、資本主義社会において価値のある人間であるはずだった。この日本において、俺は価値のある人間のままでいて、彼らは不要な人間だった。なのに、どうして彼らはあんなに幸せそうなんだ。由衣への無償の愛に突き動かされているはずの俺の中で侘しさだけがこだましていた。
 俺は、マンションの駐車場に車を置いて、すぐに帰らず、コンビニで酒を買い、タバコを吸いながら、頭の中で沸き起こる思考を掻き消すくらい大音量でNirvanaを聴きながら、人が乱挙する都会の中で、ビルとビルの間の裏路地を選んで当て所なく彷徨った。誰も通らない都会の裏路地では、失恋で泣き喚く若い女に、何かを交換している入れ墨の男二人組、青姦している勤勉そうなスーツ姿のサラリーマン、人目につかないところで、人々は、やりたい放題していた。こいつらは一体全体何が楽しくて、こんなところにいるのか?、闇を恐れ、火を生み出したはずの人間たちは、光を恐れ、闇の奥で活動している。ウハハハハハハハハ、なんで俺はこんな卑屈なんだ?、全部俺が望んでやったことだろう?、全部計画通りに進んで、お前はなんで、あいつらみたいに、生き生きしていないんだ?馬鹿らしい。そうだ俺らは皆、馬鹿なんだ。人に上も下も何もない、死んだら自分の認知していた世界が終わるだけで、人の一生なんて大したことはない。俺だって、もっと楽しめば良いんだ、とことん馬鹿になれ、お前は自分が馬鹿にしていた連中と大差ないんだ。俺は、愉快な気分で、裏路地を出ようとすると、浮浪者にぶつかった。
 イヤホンを外して、すみません、と謝ると、浮浪者は、乾いた瞳で俺を凝視して、ニタニタ笑いながら、「にいちゃんも、ようやくこっちに来たなあ」と俺に告げる。俺はそんな浮浪者を抱擁してやった。腕の中で、小汚い浮浪者から人の温もりを感じる。浮浪者は、弱々しく力を振り絞って、俺を突き放して、「お前ほど落ちぶれちゃいねえよ」と叫び、ブツクサ言いながら、俺の元から去っていった。俺は去っていく浮浪者の肩を掴み、こちらに体を向けさせて、一万円札を手渡した。浮浪者は態度を急変させ、「本当にもらって良いのか?」と問いかけるので、俺はニッコリ笑って、大事そうに一万円札を持っている手を優しく握ってやった後、尊敬の眼差しを向ける浮浪者の頬を思い切り殴って、その場に倒れさせ、横ばいになり口から血を流していることなど気にせず、腹を何度も蹴ってやった。頭の中で今まで感じたことのない量のアドレナリンがドバドバ流れ、男が、やめてくれと乞うと、ドーパミンが溢れ出し、今まで味わったことない恍惚感に支配された。満足した俺は、足元で呻いている浮浪者に、ウォークマンを投げつけて、裏路地を抜けた。帰り道、ずっと一匹の蝿に付き纏われているのが不快で仕方がなかった。
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