花カマキリ

真船遥

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Scene 10-2

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 玄関を開けると、俺の帰りを待ち侘びていた齋藤カレンが、靴を脱ごうとする俺に抱きついてきた。
「リュウ、おかえり」
 すでにシャワーを浴びているのか、香水の匂いは消えていて、代わりに、白人特有の肉の臭さが俺の鼻腔を不快にくすぐった。
「ただいま。刑事への電話、最高のタイミングだったよ。ありがとう、愛してる」と俺はカレンの頭を撫でて、綺麗な形のエラを包むように頬を親指でさすってやると、満足そうな表情をして、俺のシャツのボタンを上から外し始めた。
「疲れてるから」と手首を優しく掴んで、誘いを断ると、
「ねえ。なんでこの前、プレゼントしたネックレスつけてくれてないの」と俺の鎖骨の間に何もないのを確認して、俺を非難した。
「失くすといけないから、引き出しにしまってあるんだ。オーダーメイドの高いやつだったんでしょ」
「毎日、つけるって約束したのに、どうしてつけてくれないの」と口を尖らせる。
「ごめん、ごめん。忘れてたわけじゃないんだ。ただ、稽古をするのに、ちょっと危なかったから」
「稽古の時だけ外せば良いじゃない」
 好意を押し売りするようにプレゼントされたオーダーメイドのネックレス。俺がこの女と一緒にいるのは、女にしか任せられない仕事を手伝ってもらうためなのに、面倒臭い関係性になってしまった。早く精算させて、もう少し利用しやすそうな女と付き合うか、と拗ねているカレンを抱き寄せて、
「あれをなくしたら俺から君が離れていってしまうような気になるから、外す機会があるところではあまり身につけたくないんだ。カレンと同じくらい大事にしている。宝物なんだ」と俺は嘯くように囁くと、機嫌を取り戻して、「夕ご飯の準備をしてくるね」とキッチンの方へステップして行った。
 俺の細胞に、切断した男の匂いが染みついたのか、洗っても洗っても、血の匂いが取れない。まだ手には、体を切断するときの、電気ノコギリの感覚が残っている。そして、急に暴力的になった俺。自分の中で何かが変わっている感覚がある。しかし、気持ちは悪いが、不快感はなかった。スプラッター映画を見ている時みたいに、強引に自分を奮い立たせて、見たくもないはずのものを瞬きせずに直視しているような感覚。風呂に浸かっても、なかなか、疲労感が抜けない。羽化したばかりの蛾や、成虫したばかりの蝉が、すぐに羽ばたこうとしないのと同じで、人間にも急激な自分の変化に体が追いついてきていないことがあるのかもしれない。シャワーを出て、髪を乾かしリビングルームに行き、おしゃれなランチョマットに綺麗に盛り付けられた食事が並んでいるのを見ると、付き合い初めに俺の部屋で寝た次の日、彼女が部屋中を掃除し、脱ぎ捨てられている服や、本棚から出しっぱなしにされている本やらを急に片付け始め、そして、居着くようになると切れたまま放置されていた蛍光灯も買い替え、自分好みのクッションやら生活雑貨で、部屋を模様替えをした事を思い出し、一人で粗雑な暮らしをしていたころとは大分様変わりし、レトルト食品ばかり食べて、タバコと酒で空腹を満たしていた頃とは比べ物にならないほど充実した生活を送り、その上、綺麗な女がここまで尽くしてくれているのに、何かが満たされていないことに気が付く。欲。俺を突き動かし続けているものは、なんだ?、なんの感情が俺の今の原動力なんだ。カレンと俺と先輩で一緒に勝ち取った仕事の話を聞き流す。何か欲求があり、それを得ようと、人は行動するのなら、俺は結局何が欲しいんだ?、由依に振り向いて欲しい?、多分それは違う、何をしたら満足するんだ?、それとも、彼女の役に立っている、と思っているのがただ気持ちが良いだけなのだろうか。
「ちょっと聞いている」
「ああごめん、グラビアの話だっけ。あれは、カレンが実力で勝ち取ったものでしょ。その話はもういいよ」
「そうじゃなくて、ハンバーグの話だよ。いつもより上手く出来たと思うんだけど、どう?」
「ああ、美味しいよ。すごく」
「いつもと違うんだけど、わかる?」
「何か変わったの?」
「ソースの味付け変えたのわからないの?」
「ああ、ごめん。わからなかった。でもいつもより美味しいよ」
「本当に?、さっきからずっと上の空だけど何かあったの?」
「大したことじゃないよ」
「そう言えばさ。今度脇役だけどドラマの出演が決まったの!」
「そうなんだ。おめでとう」
 俺はカレンのドラマ出演についてすでに知っていったが、知らないふりをしてやった。ドラマの出演が決まったと言っても、連続ドラマで合計五分くらいのセリフが与えられただけだ。自分で勝ち取ったと言わんばかりだが、多分、社長が彼女を売り出すために、どっかのお偉いさんに掛け合って、何とかカレンでも出来る役を与えてもらっただけなのだろう。彼女は、まだ新人とは言え、ほとんど演技ができない上に、自分が特別だと思っているらしく、大きな仕事でも来ない限り、仕事と正面から向き合わない。多分、由依なら、五分だけのセリフしかなくても全力を尽くす。カレンが見せてきた台本は、新品同様だ。演技のできないハーフの美人女優、美人なんて、ごまんといる中で、彼女のような存在は、一番中途半端で需要がない。日本語を話せる外国人の役をやらせようにも、東洋人の血が入っているせいで、外国人に見えず、日本人役をやらせようとすれば、美人で若手の実力派女優を使えばいい。タレントとして売り出すにも、日本生まれ、日本育ちの彼女の日本語はあまりに流暢すぎて、ぎこちない日本語を話す外国人やハーフのタレントのような面白さがない上に、バラエティ番組で器用に立ち回れる機転もない。器量の良いだけの、器用貧乏にもなれない出来損ない。見た目の消費期限が切れれば、ポイ捨てされるだけの存在。
「いつから撮影なの?」
「明日から」
「ちゃんと練習した?」
「こんな少ないセリフもう覚えたよ」
「しっかり練習して、次の仕事につなげないと」
「どうしたのリュウ?、うちのマネージャーと社長みたい。なんか今日ずっと変だけど、大丈夫?」
「そんなことないよ。ご馳走様。後片付けはしとくから」
 寝る支度を済ませ、ベットで横になる前に皿を洗っていると、カレンは後ろか、俺の首にプレゼントのネックレスをかけて、俺に抱きついて、ズボンの上から優しい手つきで、俺のペニスを摩り始めた。そんな気分ではないが、背中に感じる彼女の体温と息遣いのせいで、俺の意思に反して下半身は彼女の刺激に反応する。ペニスが硬くなっていくにつれて、彼女は握力を強めていき、もう片方の手で俺のTシャツの上から俺の鍛え上げた胸筋を器用に愛撫する。俺は内心溜め息をついて、皿洗いを途中で止めて、彼女を抱き抱えて、何度も彼女の白い首筋を吸うように舐めながら、ベッドルームまで連れていき、その場で服を脱がして、入念に体を弄ってから、抱いてやった。自分の持つ暴力性を官能の悦楽にすり替えようとしていたのか、カレンの体はいつもより蠱惑的に見え、甘い匂いのする汗を舐めると舌先がピリリと痺れた。吸い付くような柔らかいハリのある肉と彼女の甘酸っぱい汗のせいで、俺は酩酊するように自我を見失い、彼女の体の虜になった。射精した後は、全身の力が抜けて、項垂れるように、顔を紅潮させて呼吸を荒げるカレンの胸に倒れ込むと、彼女の激しい心臓の鼓動が仄かに心地よく俺の頭蓋を打った。心臓の鼓動は俺を優しい気持ちにさせた。萎えるペニスからコンドームを取り外すのも億劫で、皮膚とゴムの間でベトつく精液のことなんて気にもせず、彼女の胸の上で、そのまま、俺は目を瞑り、呼吸を落ち着かせて、安らぎに身を委ねていった。しばらくして、ベッドから抜け出そうとすると、彼女の首元に俺のネックレスがキラリと光るのが目に入る。いつもそうだが、自分でプレゼントしたくせに、カレンは俺の首にかけられているネックレスを、セックスの最中、自分の首に身につけたがる。二人でシャワーを浴びて、俺だけ先にバスルームを出て、テーブルランプの灯りを頼りに、台本を読んでいると、カレンは裸のまま、俺の隣に潜り込むようにベッドに入り、開いているページを覗き込んだ。
「そんなの読んでどうしたの?」
「読み合わせしよう。俺が相手役をやるから」
「そんなちょい役で必死になる必要ないよ。そんなことより、もう一回」
「仕事をもらったからには全力を尽くさないと、カレンなら、絶対に玉城由依なんかよりいい女優になれるよ。俺が保証する。だから、いい子だから、一緒にがんばろ」
 カレンは口を窄め、担当しているセリフを読み上げた。少しも気持ちが篭っていないせいで声に抑揚がほとんどない。俺は由依の演技指導を思い出しながら、何度も納得いくまで、二人で読み合わせをした。始まってから一時間が越したところで、ようやく様になったカレンの演技を見たあとに、とても落ち着いた気分で、何度も愛を囁いて、彼女をもう一度抱いてやった。
「私、すごい幸せ。全部リュウのおかげ」
 テーブルランプに照らされた、満足そうな彼女の笑顔はいつもより綺麗で、そして、俺を後ろ暗い気分にさせた。
「リュウは?」
「さあ、どうかな?」
「えー、なんでー?。リュウは私と一緒にいても幸せじゃないの?」
「そんなことないよ。ただ、幸せになるのがね、難しい人間も世の中にいるんだよ。カレンは幸せになるにはどうすればいいと思う?」
 急な俺の質問に、戸惑い、潤んだ綺麗な灰色の瞳で俺を見つめて、
「お金持ちになったり、有名になったり、いい家族や友達に恵まれたり。あと、好きな人と一緒にいたり、とか?」と指で数えながら言った。
 俺は天井に体を向き直して、言葉をこぼすように言う。
「お金持ちになるとか、好きな人と一緒にいるなんてことはね、一部の選ばれた人にしか手に入らない幸せだなんだよ。でもね、人間は誰でも幸せになれる、そんなことより、もっと単純な方法があるよ」
「何?」と訊いてくるので、カレンのじっと目詰める視線を感じながら、落ちていく綿のように彼女に優しく教えてあげた。
「誰よりも馬鹿になればいいんだよ」
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