花カマキリ

真船遥

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Scene 15-1

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 草刈からの電話を切った。思いの外、元気そうにやっているんだななんて、感傷に浸って会食に戻った。席に戻ると、二人の男がファイアダンスを鑑賞しながら、内密に話を進めているようだった。今日の会食相手は、ヤクザの幹部の八代という男と、仁科病院という都内の大型病院の院長候補の山本という男だ。座席に戻ると、太鼓の音や火が弾ける音に包まれた。ダンサーに回される炎が空中に円を描いている。酒を片手に持った観客たちが、異国の妙義に息が漏れるような歓声を上げる中、俺たちは仁科病院の院長を失脚させ、山本を次期院長に任命させる計画について話し始めた。
「急な連絡が来たので」
「いえいえ、良いんですよ。それより、本当に私が次期院長になれるんでしょうね?」と山本が唸るように俺に大きな声で問いかけた。仁科病院は跡取り問題に揺れていた。院長の息子に跡を継がせるか、それともこの山本に継がせるか。派閥は大きく二つに分かれ、両派閥の力関係はほとんど互角だが、実の息子という点で、山本のライバルは一歩リードしていた。しかし、山本には院長一家を引き摺り下ろす、切り札があった。それは院長の手術記録の改竄だ。仁科院長は、表立って治療できないヤクザの組員を内密に治療したり、失敗に見せかけて患者を殺し、死んだ患者の臓器をヤクザに横流ししているという黒い噂があった。
 八代は仁科病院が懇意にしている郷田組というヤクザと対立している神田組の幹部だ。現在の院長が失脚すれば、八代は対立ヤクザの臓器売買事業を潰すことができ、仁科の手術記録の改竄が世に出れば、仁科の息子は父親の汚職のせいで院長候補から外され、山本は晴れて仁科病院の院長に昇格する。八代と山本、二人の利害は完全に一致していた。
「それで改竄記録は院長が持っているんですよね」と俺は山本に訊いた。
「もちろん、院内の上層部では有名な話ですよ」と山本がいうと、
「仁科の黒い噂は、裏の世界じゃ有名な話で、臓器売買が盛んになったのは現院長になってからだ。確実に、あの院長を脅せば証拠が出てくる」と八代が補足した。
「医者として、今の院長のやり方を私は許せません」と山本は俺に主張した。
 口では殊勝なことを言っているが、こいつはただの出世と名誉の奴隷だ。八代は神田組の奴隷。俺は復讐の奴隷。どいつもこいつも何かの奴隷だ。リーマンショックで大打撃を受けた日本はアメリカ経済の奴隷。国民は政治家の奴隷。サラリーマンは給料の奴隷。不貞を働く専業主婦は旦那の稼ぎの奴隷。奴隷奴隷奴隷。目の前にいるやつが何の奴隷なのか理解すれば操るのは簡単だ。現に目の前の男二人は俺に言われた通りに働いている。
「それより、頼んでいた物は」と俺が八代に訊くと、八代は足元に置いてあるバッグを俺の方に寄せてきた。バッグを手に取り、中を覗くと本に隠れて自動装填式の44口径の拳銃と銃弾が入っていた。
「こんなんで脅すだけで、ウチの院長が洗いざらい話しますかね」
「大丈夫だ。人間は優しい言葉ではなく、銃の言う事をきくようにできている」と映画のセリフを引き合いに出し、そのまま続けて、八代に向かって「あんたなら、この意味わかるよな」と訊いた。
「よっぽど肝の据わった人間なら別だが、病院の院長程度ならこれで脅迫すれば十分だ。なかなか口を割らなければ、適当なところに向かって発砲するか、手のひらか脛を撃ち抜くと良い。ヤクザでもそこまですれば、すぐに話す」
 冷淡に話す八代を、山本は怯えた様子で見ていた。勉強はできるが思慮が浅いのだろう。神田組に恩を売って院長になれば、ヤクザとの付き合いは免れないだろうに、そんな事なんて考えてすらいない面だ。
「まあ、全て俺がうまくやって見せますよ。それじゃあ山本さん、次は院長になった時に」と言って、俺は二人に握手を求めて、その場を去った。

 指名手配犯になってから一年半しか経っていないのに、最後に由依の純粋な笑顔を見たのもいつなのか思い出せないくらい長い時を過ごした気がする。今は森田とカレンとハルヨに匿われながら生活している。森田が暮らしている三階建のシェアハウスに帰ると、ハルヨが俺を出迎えた。指名手配犯になった俺は長く外出する時は、ハルヨにメイクを頼み、変装して出かけている。ハルヨが俺を洗面所に連れて行き、メイクを落としていると、暴力団へのガサ入れの写真を撮りに行った森田が帰ってきた。
「あんたのおかげで、また良い写真が撮れたよ」とメイクを落としている俺に森田が帰宅早々満足そうに話しかけてきた。俺は何も言わず、ハルヨに指示されるままメイクを落としていると、バタバタ足音を立ててカレンが洗面所にやってきた。
「なんなのあいつら」とゴキブリでも見つけたような様子だ。
「どうかしたの」とハルヨが訊くと、「同居しているレズビアンの中国人の女二人と藝大の女子大生わかるでしょ。あいつら脱衣所でいちゃついてたのよ。信じられない」と甲高い声をあげている。
「何が問題なんだ。あのカップルがいちゃついているのなんて日常茶飯事だろ」と森田が言うと、
「問題?、揺れる洗濯機の上で歯磨きしながらバターとかハチミツ塗りたくった体でもう一人の女にマンコ舐めさせているのが、問題じゃないっていうの?。しかも、その様子を藝大生がスケッチしてるのよ。片方の女はハニー、ハニーって言いながらヨガってさ」とカレンは主張した。
「それがなんの問題がある、お前らだって、風呂場とか脱衣所でたまにヤッてるだろ。なんだ相手が男なら良かったのか?。俺も藝大通ってたからわかるけど、人に見られたくない姿ほど絵に残したくなる時がたまにあるんだよ」
 カレンは、そんなことしてないわよ、と嘘をついた。「そうじゃなくて、あの洗濯機私たちの共有物でしょ、汚いとか思わないの?。ねえ、リュウなんとか言ってよ」
 俺はため息をついて、「プライベートなことにお互い口出ししない。それがここのシェアハウスのルールだ。確かに共有スペースで、まあ、そう言うことをするのは問題なわけだが。そのことは、俺が言っておく。それより、目的の物が手に入った」と言って、銃を台の上に置いた。森田とカレンは、冷たく重たい暴力の象徴のような金属の塊を見て、思わず唾を飲み込んだ。ハルヨは、銃になんて目もくれず、プロとしての仕事を俺の隣で続けていた。
 メイクを落とし終わり、顔を拭き、リビングへ行く。俺が一人用のソファに足を組んで座ると、俺の話を訊くように、森田とハルヨとカレンがテーブルを囲んで座った。マイケル・コルレオーネにでもなった気分だ。三人とも俺の指示を待っている。
「来週、仁科病院の院長を脅迫し、手術記録の改竄、臓器売買の手助け、ヤクザ患者の受け入れ記録を奪う」
「それで、私たちは何をすればいいの?」とカレンが俺に訊いた。俺は写真を取り出して、
「ハルヨが俺をこの医者に似せてメイクをしてくれればいい。今回は俺一人でやる」と言った。
「どうして?、私は何をすれば良いの?。私だって役に立てるわ。この前だって、大手広告代理店に勤めている加賀美陽子の元秘書から、不正にスポンサー契約を結んだ情報と収賄記録を聞き出せたでしょ。資金洗浄の方法だって聞き出した。脅している時の見張りでもなんでも良いから、私にも何か役を与えてよ」
 計画は実行段階に移っていたが、実行に移すにあたって俺はカレンの存在が疎ましくなっていた。計画を最初に持ちかけたのは森田だった。森田は、世間が揺れるような事件をこの手に写真として収めたいという、とても常人には理解できない思考で俺の計画に乗った。警察の代わりに探偵業を行なっている森田の調査能力は大したもので、その上、彼は潜伏に向いている活動拠点と、計画の遂行に必要な人脈を提供してくれる絶好のパートナーだった。そして、指名手配された俺が動きやすくするためにハルヨを仲間に加えた。俺が由依の復讐のためだと言うと、ハルヨは俺らを必要以上に詮索することなく協力してくれた。森田とハルヨは利害の一致で動いている、自らが危険に晒されれば、簡単に俺を売るだろう。危ない橋を渡らず、不必要なリスクを取らない彼らは、俺にとって都合が良い。厄介なのは、カレンの存在だ。彼女は俺のために平気で危ない橋を渡ろうとする。元秘書の件にしても、もう少し慎重に事を進めるつもりだった。不正がバレた原因がカレンへの密告だと元秘書が考えれば、真っ先に疑われるのは彼女だろう。そうすれば、カレン経由で、ヤクザや警察に、俺の潜伏場所がバレるかもしれない。それに、これ以上彼女に危ない橋を渡らせるわけにはいかない。この計画は俺が勝手に始めたものだ。危険な目に遭うのは、俺だけでいい。
「カレンは待機だ。それに、君は動きすぎだ。いいか、清掃員に扮して、俺が病院に潜入した後、写真の医者に変装し、院長室に行って、仁科を脅すだけの簡単な仕事だ。一般人に紛れて、ヤクザが出入りしているような病院だ。そんなところにカレンを連れて行くわけにはいかない。森田は、俺が得た情報の裏付け証拠を集めてくれればいい」
 決行は来週の火曜だ。臓器売買事業を潰せば、郷田組はシノギの大部分を失う。資金力を失えば、簡単に警察と神田組に潰されるだろう。郷田組が消えれば、あいつはヤクザからの後ろ盾を失う。俺の計画において、郷田組の解体が一番の肝だ。由依の人生を滅茶苦茶にした奴を引き摺り下ろすのも、後少しだ。
 仁科への脅迫の前に、俺は加賀美陽子の元秘書のスポンサー契約に伴う収賄を、警察とマスコミにリークした。情報源をカレンではなく、元広告代理店勤務の職員のタレ込みだと、話をすり替えて。警察の調査により、この汚職に関わった人間が一斉に検挙され、世間は、芸能界と広告代理店の癒着を大きく取り上げた。しかし、あの秘書は主犯ではあるが、黒幕ではない。吉村の闇営業に、不正なスポンサー契約、あいつはこれら一連の事件に関与している。そろそろあいつも気がつくだろう、お前を標的にしている人間が、この日本にいることを。
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