37 / 49
第7話
7-1
しおりを挟む
晴天。
帯びる熱を増しつつある六月の陽射しに照らされた街は、石畳を眩いばかりに光らせていた。目に痛いくらい白く輝く広場の中ほどまで進むと、アニーはぐるりと辺りを見回す。
「いやあ、まだ平日の昼間だってのに。またずいぶんすっきりしちゃったね」
両手を腰に置き、感慨深げに言う。気候と同様からりとした笑顔でこちらへ寄越した感想に、アンリエッタは頷いてみせる。
「いよいよクーポンの先行きがわからなくなりましたからね。いずれこうなるとは話していましたけど、いざ見ると……」
ね、とアンリエッタの感触を察したらしく、アニーが同意を差し向ける。
「そりゃ聞いちゃいたけどさ、ここまで寂しくなるとは思わなかった」
アニーは言って、もう一度辺りを眺める。全ての店舗が開店せず、休業同然となった中央市場の有様を眺めた。テント群が消え、すっかりと見渡すことが可能になった広場はぽろぽろと少ない人通りで、そのほとんどの地面を白日にさらしている。
「クーポン、ちゃんと使い切った?」
どこか、嵐の前触れを楽しむ子どものようにそわそわした声音で、アニーが訊ねてくる。
「私のはそもそも、最近発行されたものですし」
「あー、そっか。二年以内なら平気だもんね」
クーポンの規約が正しく守られるのであれば、発行より二年以内の換金と払い戻しが保証されている。両替商にのせられて八割の価格で買い取ってしまったらしいマルタこそ、事態を知って「やられた」という顔をしてはいたが。「むしろ得する」と説明してやると、ひとまずは溜飲を下げてくれた。
「アニーさんは、しっかりと処分を?」
「うん。最後には元に戻るって聞いてても、やっぱりね」
「ロランさんは、安くで手に入れておくのも悪くはないと言っていましたけど」
ふふんと笑うアニー。
「そーゆー博打は好かんのさ。もともと、現金主義だしね。持ってたのだって前、臨時のボーナスで貰ったやつだし」
「なるほど。意外なところで気が合いますね」
「アンちゃんや、それは普段は合わないってことかね」
ロランとニーナ、両者の公書士事務所の業務提携が開始されてから、はや二週間の時が経つ。
その間シモンの記事は数本世に送り出され、都度々々世間の目を賑わせた。さすが懐事情に関わる話題と言うべきか、新聞は、大したテコ入れもなしに売れる。
『マティルド・クーポンの現況やいかに? イスタ銀行員に真偽を問う!』
『組合に果たして正義はあるのか? いざ誠実なる御決断を!』
『市民よ共に見極めよう! 起こりうるクーポンのこれから』
そのような見出しで始まる記事たちは、いずれも商業組合の現状を批判した。クーポン事業の先行き不透明さを指摘したり、事業の停止を強行した組合が一人勝ちする可能性を憂慮したり、結末によっては行政機関へ訴えを出すことも視野に入れるべきとの主張をしたりと、押しなべて市民感情を扇動する内容だ。
手持ちのクーポンを処分する動きが強まる。
市内での売り買いが盛んになるが、同時に、時流に警戒した商店はクーポンでの取引を断り始めた。都市全域で通貨同然に扱われていたのが瞬く間にその適用範囲を狭め、やがて、クーポンは本来の使用先でしか使うことができなくなる。つまりは出店者が受け取りの拒否を禁じられている、中央市場である。
見る間に増大する客足。
盛況を超え、熱狂していく購買意欲。
丸損をしないために出店者たちができることは、もはや一つしかない。
店じまいだ。
――ずいぶん、早いな。何が起きてる?
そんなふうに、展開に眉をひそめたのはロランである。
確かに、シモンの書いた記事は一貫して反体制的な立場ではあった。組合の重鎮たちに、「銀行といがみ合っているより早々に和解して現状を安定させる方が得だ」と見なしてもらうには目に見える情勢が必要だったから、幾らかは仕方がない。とはいえ断片的なものにしても、新聞の購読者層から外れる低所得者たちにまでそういう噂が広く行き渡っているらしいのは、正直に言って意外なことだった。
それもほんの、十日も数えない内に。
シモンの記事では、ことクーポン事業の継続性に関しては肯定的な主張を続けていたのだが、結局はそうしたクールダウンは功を奏さず、主張の過激な部分ばかりを印象付けてしまったということになる。追随した他の新聞社の論調がいずれも危機感を強める類のものであったということも、今の状況に拍車をかけたのだと思われた。
現状は、当初想像していたよりも混沌とする。しかしとはいえ、苛烈に動きつつある情勢の中にあって、できることは少なかった。精々『捨値の売却は時期尚早』と記事に銘打つことくらいで、後は本来の目的を果たす以外にない。
即ち組合に、銀行との和解を決断させること。
できることは、ただただそれだけである。
帯びる熱を増しつつある六月の陽射しに照らされた街は、石畳を眩いばかりに光らせていた。目に痛いくらい白く輝く広場の中ほどまで進むと、アニーはぐるりと辺りを見回す。
「いやあ、まだ平日の昼間だってのに。またずいぶんすっきりしちゃったね」
両手を腰に置き、感慨深げに言う。気候と同様からりとした笑顔でこちらへ寄越した感想に、アンリエッタは頷いてみせる。
「いよいよクーポンの先行きがわからなくなりましたからね。いずれこうなるとは話していましたけど、いざ見ると……」
ね、とアンリエッタの感触を察したらしく、アニーが同意を差し向ける。
「そりゃ聞いちゃいたけどさ、ここまで寂しくなるとは思わなかった」
アニーは言って、もう一度辺りを眺める。全ての店舗が開店せず、休業同然となった中央市場の有様を眺めた。テント群が消え、すっかりと見渡すことが可能になった広場はぽろぽろと少ない人通りで、そのほとんどの地面を白日にさらしている。
「クーポン、ちゃんと使い切った?」
どこか、嵐の前触れを楽しむ子どものようにそわそわした声音で、アニーが訊ねてくる。
「私のはそもそも、最近発行されたものですし」
「あー、そっか。二年以内なら平気だもんね」
クーポンの規約が正しく守られるのであれば、発行より二年以内の換金と払い戻しが保証されている。両替商にのせられて八割の価格で買い取ってしまったらしいマルタこそ、事態を知って「やられた」という顔をしてはいたが。「むしろ得する」と説明してやると、ひとまずは溜飲を下げてくれた。
「アニーさんは、しっかりと処分を?」
「うん。最後には元に戻るって聞いてても、やっぱりね」
「ロランさんは、安くで手に入れておくのも悪くはないと言っていましたけど」
ふふんと笑うアニー。
「そーゆー博打は好かんのさ。もともと、現金主義だしね。持ってたのだって前、臨時のボーナスで貰ったやつだし」
「なるほど。意外なところで気が合いますね」
「アンちゃんや、それは普段は合わないってことかね」
ロランとニーナ、両者の公書士事務所の業務提携が開始されてから、はや二週間の時が経つ。
その間シモンの記事は数本世に送り出され、都度々々世間の目を賑わせた。さすが懐事情に関わる話題と言うべきか、新聞は、大したテコ入れもなしに売れる。
『マティルド・クーポンの現況やいかに? イスタ銀行員に真偽を問う!』
『組合に果たして正義はあるのか? いざ誠実なる御決断を!』
『市民よ共に見極めよう! 起こりうるクーポンのこれから』
そのような見出しで始まる記事たちは、いずれも商業組合の現状を批判した。クーポン事業の先行き不透明さを指摘したり、事業の停止を強行した組合が一人勝ちする可能性を憂慮したり、結末によっては行政機関へ訴えを出すことも視野に入れるべきとの主張をしたりと、押しなべて市民感情を扇動する内容だ。
手持ちのクーポンを処分する動きが強まる。
市内での売り買いが盛んになるが、同時に、時流に警戒した商店はクーポンでの取引を断り始めた。都市全域で通貨同然に扱われていたのが瞬く間にその適用範囲を狭め、やがて、クーポンは本来の使用先でしか使うことができなくなる。つまりは出店者が受け取りの拒否を禁じられている、中央市場である。
見る間に増大する客足。
盛況を超え、熱狂していく購買意欲。
丸損をしないために出店者たちができることは、もはや一つしかない。
店じまいだ。
――ずいぶん、早いな。何が起きてる?
そんなふうに、展開に眉をひそめたのはロランである。
確かに、シモンの書いた記事は一貫して反体制的な立場ではあった。組合の重鎮たちに、「銀行といがみ合っているより早々に和解して現状を安定させる方が得だ」と見なしてもらうには目に見える情勢が必要だったから、幾らかは仕方がない。とはいえ断片的なものにしても、新聞の購読者層から外れる低所得者たちにまでそういう噂が広く行き渡っているらしいのは、正直に言って意外なことだった。
それもほんの、十日も数えない内に。
シモンの記事では、ことクーポン事業の継続性に関しては肯定的な主張を続けていたのだが、結局はそうしたクールダウンは功を奏さず、主張の過激な部分ばかりを印象付けてしまったということになる。追随した他の新聞社の論調がいずれも危機感を強める類のものであったということも、今の状況に拍車をかけたのだと思われた。
現状は、当初想像していたよりも混沌とする。しかしとはいえ、苛烈に動きつつある情勢の中にあって、できることは少なかった。精々『捨値の売却は時期尚早』と記事に銘打つことくらいで、後は本来の目的を果たす以外にない。
即ち組合に、銀行との和解を決断させること。
できることは、ただただそれだけである。
0
あなたにおすすめの小説
誰からも食べられずに捨てられたおからクッキーは異世界転生して肥満令嬢を幸福へ導く!
ariya
ファンタジー
誰にも食べられずゴミ箱に捨てられた「おからクッキー」は、異世界で150kgの絶望令嬢・ロザリンドと出会う。
転生チートを武器に、88kgの減量を導く!
婚約破棄され「豚令嬢」と罵られたロザリンドは、
クッキーの叱咤と分裂で空腹を乗り越え、
薔薇のように美しく咲き変わる。
舞踏会での王太子へのスカッとする一撃、
父との涙の再会、
そして最後の別れ――
「僕を食べてくれて、ありがとう」
捨てられた一枚が紡いだ、奇跡のダイエット革命!
※カクヨム・小説家になろうでも同時掲載中
※表紙イラストはAIに作成していただきました。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~
紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。
「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。
だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。
誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。
愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。
不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます
天田れおぽん
ファンタジー
ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。
ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。
サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める――――
※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す
RINFAM
ファンタジー
なんの罰ゲームだ、これ!!!!
あああああ!!!
本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!
そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!
一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!
かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。
年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。
4コマ漫画版もあります。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる