いつかペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ〜

ktktkenji

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第7話

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 晴天。
 帯びる熱を増しつつある六月の陽射しに照らされた街は、石畳を眩いばかりに光らせていた。目に痛いくらい白く輝く広場の中ほどまで進むと、アニーはぐるりと辺りを見回す。
「いやあ、まだ平日の昼間だってのに。またずいぶんすっきりしちゃったね」
 両手を腰に置き、感慨深げに言う。気候と同様からりとした笑顔でこちらへ寄越した感想に、アンリエッタは頷いてみせる。
「いよいよクーポンの先行きがわからなくなりましたからね。いずれこうなるとは話していましたけど、いざ見ると……」
 ね、とアンリエッタの感触を察したらしく、アニーが同意を差し向ける。
「そりゃ聞いちゃいたけどさ、ここまで寂しくなるとは思わなかった」
 アニーは言って、もう一度辺りを眺める。全ての店舗が開店せず、休業同然となった中央市場の有様を眺めた。テント群が消え、すっかりと見渡すことが可能になった広場はぽろぽろと少ない人通りで、そのほとんどの地面を白日にさらしている。
「クーポン、ちゃんと使い切った?」
 どこか、嵐の前触れを楽しむ子どものようにそわそわした声音で、アニーが訊ねてくる。
「私のはそもそも、最近発行されたものですし」
「あー、そっか。二年以内なら平気だもんね」
 クーポンの規約が正しく守られるのであれば、発行より二年以内の換金と払い戻しが保証されている。両替商にのせられて八割の価格で買い取ってしまったらしいマルタこそ、事態を知って「やられた」という顔をしてはいたが。「むしろ得する」と説明してやると、ひとまずは溜飲を下げてくれた。
「アニーさんは、しっかりと処分を?」
「うん。最後には元に戻るって聞いてても、やっぱりね」
「ロランさんは、安くで手に入れておくのも悪くはないと言っていましたけど」
 ふふんと笑うアニー。
「そーゆー博打は好かんのさ。もともと、現金主義だしね。持ってたのだって前、臨時のボーナスで貰ったやつだし」
「なるほど。意外なところで気が合いますね」
「アンちゃんや、それは普段は合わないってことかね」
 ロランとニーナ、両者の公書士事務所の業務提携が開始されてから、はや二週間の時が経つ。
 その間シモンの記事は数本世に送り出され、都度々々世間の目を賑わせた。さすが懐事情に関わる話題と言うべきか、新聞は、大したテコ入れもなしに売れる。
『マティルド・クーポンの現況やいかに? イスタ銀行員に真偽を問う!』
『組合に果たして正義はあるのか? いざ誠実なる御決断を!』
『市民よ共に見極めよう! 起こりうるクーポンのこれから』
 そのような見出しで始まる記事たちは、いずれも商業組合の現状を批判した。クーポン事業の先行き不透明さを指摘したり、事業の停止を強行した組合が一人勝ちする可能性を憂慮したり、結末によっては行政機関へ訴えを出すことも視野に入れるべきとの主張をしたりと、押しなべて市民感情を扇動する内容だ。
 手持ちのクーポンを処分する動きが強まる。
 市内での売り買いが盛んになるが、同時に、時流に警戒した商店はクーポンでの取引を断り始めた。都市全域で通貨同然に扱われていたのが瞬く間にその適用範囲を狭め、やがて、クーポンは本来の使用先でしか使うことができなくなる。つまりは出店者が受け取りの拒否を禁じられている、中央市場である。
 見る間に増大する客足。
 盛況を超え、熱狂していく購買意欲。
 丸損をしないために出店者たちができることは、もはや一つしかない。
 店じまいだ。
 ――ずいぶん、早いな。何が起きてる?
 そんなふうに、展開に眉をひそめたのはロランである。
 確かに、シモンの書いた記事は一貫して反体制的な立場ではあった。組合の重鎮たちに、「銀行といがみ合っているより早々に和解して現状を安定させる方が得だ」と見なしてもらうには目に見える情勢が必要だったから、幾らかは仕方がない。とはいえ断片的なものにしても、新聞の購読者層から外れる低所得者たちにまでそういう噂が広く行き渡っているらしいのは、正直に言って意外なことだった。
 それもほんの、十日も数えない内に。
 シモンの記事では、ことクーポン事業の継続性に関しては肯定的な主張を続けていたのだが、結局はそうしたクールダウンは功を奏さず、主張の過激な部分ばかりを印象付けてしまったということになる。追随した他の新聞社の論調がいずれも危機感を強める類のものであったということも、今の状況に拍車をかけたのだと思われた。
 現状は、当初想像していたよりも混沌とする。しかしとはいえ、苛烈に動きつつある情勢の中にあって、できることは少なかった。精々『捨値の売却は時期尚早』と記事に銘打つことくらいで、後は本来の目的を果たす以外にない。
 即ち組合に、銀行との和解を決断させること。
 できることは、ただただそれだけである。
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