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5月10日~16日 乱戦に至るまで
第21話 それぞれの逃走
しおりを挟む【改造人間】
爆風が治まったところで腕の間から辺りの様子を窺ってみる。まだ火薬臭い煙に覆われていた。シューシューと聞こえるこの音は煙幕弾だろう。さすがはヴラドール財閥、いろんな玩具をお持ちらしい。煙の中、ルガールの吠える声と無名の罵る声が響く。
ヒュン。なにかが風を切り裂く音がした。俺は反射的にそれを避ける。
目を凝らして見ると布が煙の奥から伸びてきていた。ヒュンヒュンと音がしているところを考慮すると、どうやら無名が四方八方に法衣を伸ばしているらしい。
撤退するか。俺は身を翻して走る。
しかし悲しいかな。なるべく音は立てないようにと思っていたが、俺の巨体がそれを許してはくれなかった。五歩と走らないうちに「そこや!」という声と共に法衣が伸びてきた。
間一髪横っ飛びで避けるが、法衣は弧を描いて俺の顔面めがけて飛んできた。今度はスライディングしてそれを避けたが、身を起こしたところで左腕に狙いを定められた。
法衣が手首に触れ「これまでか」と観念したとき、急に法衣に力がなくなった。さっきまで海蛇のように空を泳いでいた法衣が、へにゃりと地面に落ちた。いまや念仏の書かれた包帯と化している。
これ幸いと俺は再び動き出す。今度はニンゲン形態に戻り、なるたけ静かに動く。
距離を取ってから後ろを振り返ってみるが、追ってくる様子はない。
やれやれ。古びた駄菓子屋の前にある喫煙所で一服する。夏前だというのにタンクトップ姿で傷だらけなのは目立つが致し方ない。今はとにかく煙で肺を満たしたい。
それなりの報酬をもらって飛びついてみたはいいが、あれら全員を相手どるのは想像以上に骨が折れそうだ。クローイは言わずもがな、あの包帯男も正攻法で突破するのは至難の技だろう。赤髪の女はどうにかなりそうだが、万が一雇い主のヴラドール家の当主が出向いてくるようなことがあれば仕事どころではない。霊圧で邪魔してくる存在もいるし、犬っころもいるし、もうメチャクチャだ。
それにしても。俺は煙を吐く。
月の影が消されたのには驚いた。今までも実例がないわけじゃないが、もしあの小僧が無意識的に発動しているのだとしたら、大変なことになる。あれが予言の前兆なのだとしたら、たしかにそこそこでかい事案になりそうだ。月の影内なら化け物どもが戦争を起こそうが現実世界への影響はないに等しいが、月の影が破壊されるなら、先ほどの小競り合いでもニンゲンが巻き込まれて数百人単位で犠牲が出るだろう。月の影の無効範囲が広がっていくようなら、万象法廷も黙っちゃいないはずだ。
最悪、この地でアトランティスの悲劇が繰り返されるかもな。そんなことを考えながらもう一度煙を吐いたときだった。
ガンッ!
後頭部を殴られた。探知法理は張っていたが、掻い潜られたようだ。
頑丈さには自信があったんだが、どうにもこの一撃は効いた。連戦によるダメージを考慮しておくべきだった。
意識を手放す直前、ぼやけた視界の中で、俺を襲った犯人を視界にとらえた。
なんだ、お前か――。
【犬っころ】
いつの間にかクローイの息遣いが遠のいている。後ろを振り向くと、クローイが下を向きながらよたよたと歩いている。俺もへろへろで相当ゆっくり歩いていたはずだが、クローイはもはや動いているのか止まっているのかわからない状態だ。
「おい、大丈夫かよ」
俺はクローイの元に歩み寄る。クローイは電信柱に寄り掛かる。
「さすがに、疲れたよ」
鼓動を落ち着かせようと一息一息一定の感覚でゆっくりと吐いている。
「お前さんがそんなにへろへろになっているところを急かしたくはねえんだがな、ここでのんびりしていて大丈夫なのか? 奴らに追いつかれたら元も子もないぜ?」
「大丈夫だよ、ルガール。追いつかれないために、僕はへろへろになったんだから」
クローイが口元を上げる。笑ったつもりなんだろうか。猫の表情はイマイチ読み取れないんだよな。
さっきは俺も死にかけた。が、その影でクローイも命を削っていたのだ。
*
先ほどの戦闘時。薬の効果が切れて子犬の姿に戻ってしまい、まあ少しばかり、本当に少しばかり呻き声を上げてしまったんだが、それをどう受け取られたのか霊圧が弱まった。
その隙を見逃さずにヴィクトールが動いた。ただ力一杯に地面を殴っただけだったが、効果は絶大だった。コンクリートを抉り出し、辺りを吹っ飛ばす衝撃波を放ったのだ。この一撃により、霊圧は完全になくなった。俺たちも動けるようになったって寸法だ。そう、賢い奴ならもう察したと思うが、先ほど呻き声を出していたのは作戦だったってわけだ。
とにかくその後はしっちゃかめっちゃかだ。赤髪の女が投げて寄こした爆弾が炸裂し、辺りを爆風が襲った。俺はうおおと吠えて威嚇をし、次に来るだろう攻撃に備えた。
煙が覆う中、攻撃してきたのは無名とかいうミイラ男だった。奴は包帯を見境なく伸ばしていた。だが子犬姿の俺は地面に伏せておけば避けられた。子犬であることもときには約に立つもんだ。
子犬の姿でなかったら無名に一撃ブチ込んでやっただろうが、今突っ込んでいったらまた磔にされるのがオチだ。ここは大人しく退散するとしよう。
だが大人しく去ろうとしなかったやつがいた。
クローイはお得意の意識遮断で姿を悟られないようにして無名の懐に潜り込んだ。無名が反応したときにはクローイは右手を無名の顔面に突き出していた、ようだ。なにせ煙幕が邪魔でよく見えなかったからな。
クローイの詠唱する声が聞こえた。記憶消去の呪文。
俺が二人の姿を正確に捉えた時には、記憶消去の影響で無名は意識を失くし、後ろによろめいていた。クローイはその上体を支え、なにか呟いていた。
無名に目覚められても厄介だ。煙が晴れる前に、俺たちはその場を後にした。
*
「大分落ち着いたよ。ありがとう、ルガール」
クローイの言葉に現実に引き戻される。クローイの方を見る。なるほど、ひげは垂れ耳もいつものようには尖っていないが、先ほどに比べれば幾分落ち着いたように見える。
なんとなく察しはつくが一応先ほどの行動について聞いておく。
「さっきのは記憶消去か?」
「記憶消去さ。あとは、ここから去ってくれと、お願いしただけさ」
簡単に言ってくれるが、記憶の即時消去なんて芸当はそれだけで勲章を受ける希少法理だ。今でこそ簡易記憶消去機があるが、無名のような手練れ相手に効く代物じゃない。独力の法理で、あの短時間で、あの男相手にやってのけるのは、俺の知る限りではクローイと師匠のリリスだけだ。
「納得してもらえたよ」
クローイが言葉を続ける。
「暴れさせるのは、これ以上、危険だったからね。完全には、できなかったから、記憶の塗り替えは。どうかな。彼女、下手そうだから、嘘をつくのは」
疲れからか、言葉が若干支離滅裂になりつつある。
「学校の裏門に、施そうとしてて、護符を、その記憶で、納得してもらって、だから……」
クローイはふうと一息吐く。
「餡子餅パフェ、食べたいな」
「ああ、片が付いたら、たらふく食おうぜ」
ダメだ。全然落ち着いてなかった。脳みその糖分が足りていない。後ろを振り返るが、敵が追ってきている様子はない。このまま動き続けていたらクローイの思考が赤ん坊に戻ってしまう。俺たちは犬と猫の姿のまま、しばらく河川敷にある公園のベンチ下で休息することにした。
ただ時間を潰しているのも暇だったので会話を振ろうと意気込んだが、ここ最近の自分の情けない仕事っぷりを思い出し、リリスが悪いという愚痴に終始してしまった。我ながら惨めではあるが、クローイは咳き込みながらも笑っていた。そういえば以前からリリスへの愚痴だけは大層愉快そうに聞くのを思い出した。ろくでもない奴で安心する。
「無名の記憶は戻るのか?」
俺は疑問に思っていたことを聞いてみる。
「ああ、そんなに強い消去の仕方は、できなかったからね。遅くても、明日の朝には、戻っているだろう。カンカンに怒るだろうね、彼なら」
クローイがくっくっと笑うが、途中から入った空気を吐き出すような咳に変わった。
「おいおい、大丈夫かよ。待ってろ、俺が今『癒やしの光』を掛けてやる」
俺が地面に魔法理を書こうとするのをクローイが肉球を突き出して止める。
「おいおい、殺す気かい? ルガールの回復法理は、二度とごめんだと以前言ったろ?」
「バカ野郎、俺もあれから成長してるんだぜ? 見てろ、ここに分数式を挟むだろ」
「そこのエルフ文字は、分数式の左に書くんだよ。なにも成長してないじゃないか」
「そうだったか? さして変わりやしねぇだろ?」
「そのままかけられると、僕は空に打ち上げられて文字通りお星さまになるんだけど」
俺はクローイの周りに描いていた光の円を消す作業に入る。
「ま、物事には適材適所ってもんがあるからな。俺に治療は向いてねぇ」
「聞き分けてくれて嬉しいよ。ついでにもう一つ聞き分けてくれないかい?」
俺が顔を上げると、ルガールが黄色い目をまっすぐこちらに向けていた。
「少年の家には君一人で行ってくれ」
「あん? なんでだよ、お前も一緒に来りゃあいいじゃねえか」
クローイが吐息を漏らして視線を下ろす。
「その誘いは嬉しいのだけれどね。僕は疲れた。随分と疲れたよ。この上少年の家付近で敵に狙われに行くのはごめんなのさ。少し休みたい」
俺は眉を曇らせる。確かにガキンチョの家に貼り込むということは、再びあいつらと闘う可能性が増すことを意味している。遅かれ早かれ奴らもあのガキンチョの元に来るだろうからな。だがそれならなお一層二人で組んで過ごしていたほうがいいんじゃねえのか。この町でいつ襲われるかも分からぬままウロチョロしているよりは、二人で万全の態勢を組んで緊急時に臨んだ方がいい。
俺の訝しむ態度に勘付いたのか、心を読んだのか知らないが、クローイが少し笑い気味に言葉を続けた。
「勘違いしないでくれ。なにもずっとというわけじゃない。精々二日三日さ。僕の体が回復するまで。今のまま行っても戦力にならない。君に迷惑を掛けるだけだ」
「別に迷惑なんざ――」
「コイツを渡しておくよ」
クローイが尻尾をくるりと回すと、ポンと小さな袋が現れた。
「元に戻れる薬だ。ただし効果はもって十分。服用後すぐに飲むと副作用で元に戻れにくくなるらしいから気をつけなよ」
クローイが尻尾を振るい、こちらに薬を投げてくる。俺は口でキャッチする。ちょっと悩んだが薬袋を噛みながらもごもごと話す。
「わかったよ。せいぜい気をつけろ。なにかあったら思念を送れよ」
「ああ。わかっているさ」
俺は背を向けてとことこと歩き始める。角で曲るところで来た道を少し振り向いた。
クローイはニンゲン形態になっていた。ベージュのロングコートを着ている。ベンチの背もたれに寄りかかって、どこか遠くを眺めていた。
クローイは時折ああいう憂いを帯びた表情を見せる。俺は少し不安になってきた。アイツは俺の心が読めるが、俺はアイツの心を読めない。
お前、裏切ったりしないよな?
まあ、お前だしな。裏切っても、もう驚かねぇよ。
でも、痛い目に合うのだけは勘弁だぜ。
【学舎の亡霊】
眠ったままの無名を置いて、部屋から立ち去ります。桜の枝を机の上に置いておいたので、綴喜が来たと判断できるでしょう。霊体の私が言うのもなんですが、まだ無名には生きていてもらわねば困ります。
警備部の窓口には、地図を広げて睨めっこしている桑原さんがいらっしゃいました。どうやら夕立市で起きている大きな事件を取りまとめたもののようです。地図上にバツ印がつけれています。おそらく先ほど戦闘があった場所でも大きなバッテンがつけられることでしょう。申し訳ない気持ちになります。
邪魔しては悪いので声をかけずにその場から立ち去ります。私は私で、やらなければならないことができました。
今のままではダメです。
先ほどの戦いを上空から眺めていてわかりました。海の向こうには、私の想像をはるかに超える、強者たちがいるのです。今のままでは、まったく歯が立たないでしょう。
もっと力が入ります。そうでなければ、この街を守ることなど到底かないません。震える手を握りしめます。
怖い。私は戦いが恐ろしい。
でも私がやらなければ。そうでなければ、街はどんどん弱っていってしまう。
儀式をしなければ。強くなるための儀式が必要です。
一度桜の元から離れなければなりません。その隙に事が起きてしまってはいけませんが、どのみち今のままではなにもなしえません。きっと、無名やクローイさんがなんとかしてくれるでしょう。
寺の外へ浮かびあがると、カラスさんたちが屋根の上に並んでいました。があがあと鳴いて、羽を羽ばたかせています。
本当に、どうして戦いは起きてしまうのでしょうね。
カラスさんたちにそう伝えて、空へと飛び立ちます。
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