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大城時風

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迷い-2-

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授業を終えた俺は、その足で病院に向かった。
俺の友人である綾瀬が、何でも"階段から足を踏み外して怪我"をしたらしい。
詳しい話は分からないが、両足にヒビが入ったとか骨折したとか…。
想像するだけで俺の脚も痛くなりそうな話だった。
担任に病院の場所を聞いたところ、通学路にある病院だとわかり、綾瀬の顔を見に行くことにした。

…そもそも、今年は受験生なのにこのタイミングでの入院って大丈夫なのか。

と一つの不安が頭を過ったが、綾瀬がいかんせん頭が良かった。
学年での順位は必ず10位以内には入っている。
どの教科もそつなくこなしていた。
それが副教科だったとしてもだ。
つまり、運動も勉強も歌も楽器も絵も出来る。
絵に描いたような文武両道を熟す人間だ。
だからと言って油断していいほど、綾瀬の志望校は甘くはないのだが…。
それでも、出来ることなら綾瀬になりたいと思えるほど羨ましい。
ただひとつ、そんな完璧に見える綾瀬でも時々つまらなさそうな表情をしていた。
最初は授業が簡単すぎるからだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
俺にはそれが、まるでように見えた。
何を我慢しているのかは本人に聞かないことにはわからないが。



病院内に入ると、消毒液のような独特のニオイが鼻を掠めた。
小さい頃は病院イコール注射なんて固定概念があって、このニオイを嗅ぐ度に恐怖が襲って来たが、今は案外このニオイが好きだったりする。
何と言うか、癖になるものがあると思う。

受付を済ませ、エレベーターで5階へ上がる。
エレベーターの扉が開いてすぐの個室が綾瀬の居る病室だ。
軽くノックをすると、中から「兄貴?」と綾瀬の声がした。

「あ、ごめん。俺、早瀬」

咄嗟に謝ってしまう。
少し間を空けてから「入れよ」と声がしたので、俺は扉を開けた。

窓から射し込む光が綾瀬の肌を照らしていた。
そのせいでいつもより肌が白く見える。
両方の脚には分厚いギプスが巻かれており、見ているだけで痛々しい。
…そもそも、階段から落ちて両脚が折れるのだろうか?
足首ならわかるが、普通は脚は折れない…と思う。
折れるのなら一体どんな風に落ちればそんなことになるんだろう…。

「どう?脚。先生から聞いて気になって」

日本語があまり話せない外国人のように片言になってしまった。
舌が上手く動かなかったのだ。

「いてぇよ。早瀬折ったことある?激痛だからな」

そう言って綾瀬が笑った。

「そ…っか。そうだよな…」

お前本当に階段から踏み外したのか?

気になって仕方がなかったが、聞いてはいけないような嫌な予感がして口には出来なかった。

「…今日のお前何か変」

綾瀬の低い声が狭い部屋に落とされた。
俺を見つめる細められた目は、俺の心を探っているかのようだ。

「親友が大怪我してるのにいつも通りなわけないだろ」

綾瀬の目が大きく開いた。
眉間に深い皺を刻み、布団を握る。
少し手が震えているように見えた。

「お前、俺のこと親友と思ってんの?」

今更で当たり前のことを綾瀬が言う。
もしかすると、親友だと思っていたのは俺だけだったのか?
俺の一方的な片思い?
それはいくら何でも悲しすぎる。

「え、違うのか?…ショックなんだけど」

俺が肩を竦めると、綾瀬が大きな口を開けて笑った。
腹を抱えながら、そのまま身体を後ろへ倒す。
勢いよく枕に頭が落ちたからか、ボスッと中の綿が圧迫される音が聞こえた。

「…ごめんごめん!俺らは親友だよ、ははっ!でも、改めて言われると何か照れくさくて」

一瞬、ほんの一瞬だけ、綾瀬が泣きそうな顔をした気がした。
しかし、眉を下げながらケタケタと笑う姿を見れば、泣くの「な」の字もなかった。
きっと、俺の見間違いだったのだろう。
いや、現に笑い泣きしているから強ち見間違いではないのかもしれないが…。

「なあ、早瀬」

不意に綾瀬の手が俺の手首を掴んだ。
相変わらず冷たい。

「俺は…ずっとお前に黙ってたことがあるんだ」

綾瀬の顔から笑顔が消えた。
ひどく真面目な顔で、立っている俺を見上げる。
その目を見るだけでわかった。
綾瀬が重大な告白をすると。
「お前のことが好きなんだ」と言われても何もおかしくない空気だ。
もちろん、恋愛感情の方で。
心臓が破裂しそうなほどに波打ち始めた。
今から何を打ち明けられるんだという緊張が俺の身体を支配して、何も声を出せない。

「…俺は、小学生の頃いじめに遭ってた」

俺の手首を掴む綾瀬の手の力が強まった。

…いじめられていた?綾瀬が?

俄かに信じがたい話だった。
綾瀬がいじめに遭っていたなんて想像も出来ない。
そう考えたところで、綾瀬の左手の古傷のことを思い出した。
その傷のことを一切語らない訳も、そこにあるのかもしれない。

「小学生の頃もいたんだ、親友。でも、俺がいじめに遭うと掌を返した。この傷だってそのがやった。…その時に思ったんだ。軽々しく親友だなんて言うやつ程信用出来ないって」

左手の古傷を見ながら、綾瀬の顔が歪められた。

もしかしなくてもそれは俺のこと…?

「ご、ごめん…。俺、そんなつもりは」

一切なかったんだ。俺は本当に綾瀬を親友だと思ってるんだ。
そう言いたいのに言えなかった。
今日は随分と口が重い。
ふと、綾瀬が俺の背中を小突いた。

「だから、お前のことは俺も親友だって思ってるよ。何回も言わせんな、恥ずかしい」

改めて綾瀬も俺のことを親友だと言ってくれて、ほっと胸をなで下ろす。
綾瀬はそんな俺を横目で見て、ふいと目を反らした。
また、いつものつまらなさそうな表情《かお》だ。
俺は何を話せばいいかわからなくて、綾瀬の口が再び開くのを待った。
すると、すぐに綾瀬は口を開いた。

「俺、いまから結構、えぐいことを話すかもしれない。早瀬の気分を害する話をするかもしれない」

反らした目を俺へ戻す。
何故、綾瀬がワンクッションを置くのか、それほどの内容なのか。
俺には何もわからない。

「それでも、話の続き、聞いてくれるか?」

けど、俺は単純に綾瀬の話を全て聞きたいと思った。
綾瀬は転校してきてから、前の学校での話を一切しなかった。
俺は綾瀬の過去を全く知らない。
幼少期の頃も、小学生の頃も、前の中学校でのことも、何もかも。
辛いことがあったなら、それを半分背負ってあげたいと思った。

「…全部、聞くよ」

俺がそう言うと、ふわっと綾瀬が微笑んだ。

「ありがとう」

一度深く深呼吸をし、真っすぐに俺へ視線を向けてきた。

「俺は…そのいじめの張本人たちに今まで復讐してきた」

俺は固唾を呑み込んだ。
綾瀬の表情から、それがではないことはすぐわかった。
教科書を隠すとか、上履きに落書きをするとか、そういう次元を超えているに違いない。

「…ただ、誤解はしないでほしいんだけど、俺はそいつらに俺がされたことをそっくりそのまま仕返しただけなんだ」
「…内容は?」
「言えない」

即答だった。
綾瀬はそのまま「内容まで言ったら、お前は俺がされてるところも俺がしてるところも想像するだろ」と続けた。
確かにそうかもしれない。
綾瀬が言えないような内容とはどんなことだろう。

…トイレの便器に顔を突っ込まれるとか?

と想像して鳥肌が立った。
そんなのはいじめなんかじゃない。
もう犯罪だ。

「早瀬、顔面蒼白してるぞ。…まあ、詳しくは言えないけど、おそらく早瀬が想像してるようなことと、あとは言いにくいけどのこととか。…色々だよ」
「でも、そんなの…もう犯罪じゃないのか。いじめなんて次元を越えてる」
「そうかも、しれないな」

綾瀬は身体を倒したまま、身じろぎした。
俺に背中を向ける。

「早瀬は俺がしたことも犯罪だと思うか?」

綾瀬の声が少し裏返った。

「お、思わねえよ!」

だって、綾瀬はいわば"やり返した"だけだ。
そんなのは完全に相手が悪い。
もし、相手が何も綾瀬にしていなかったとしたら、綾瀬だってそんなことはしなかったはずだ。

「…優しいな、早瀬は」
「だって、綾瀬がしたことは…正当防衛と同じじゃないか…」

不意に綾瀬が身体を起こして、こちらを向いた。
後ろから射し込んだ太陽の光が綾瀬の背中を照らすせいで、綾瀬の顔が影を作っている。

「正当防衛は、そのときその場所で自分の身を守ることだ。…俺のは正当防衛じゃない」
「だとしても!綾瀬がしたことは、相手が何もしていなければ"しなかった"ことだ。俺は、それを犯罪だとは思わない。例え、お前がそいつらと同じことをしていたとしても」

正直、綾瀬に掛ける言葉がこれで合っているのかどうかなんてわからない。
「相手と同じことをしちゃいけない」と言うべきだったのかもしれない。
何が正解で何が不正解かなんて俺にはわからないが、ただ、今も傷ついた顔をしている綾瀬をこれ以上傷つけたくはなかった。
…それも、俺の言葉で。

「なあ、綾瀬。お前がいじめに遭っていたのは過去の話で、今の親友は俺だ。過去を忘れろなんて言わない。俺だって酷い目に遭わされたらずっと覚えてる。でも、俺はお前にどんな過去があったって嫌いになったりしないし、お前の味方だよ」

綾瀬の目がキラキラと光る。
眉尻を下げて消え入りそうな笑顔を零した。
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