悪役令嬢の見る夢は

伊簑木サイ

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前日譚

媚薬を手に入れる

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「お嬢様、ラウルがご所望のお品がご用意できたと申しております」

 自室で寛ぐレオノーラのもとに、侍女がやってきて耳打ちした。

「あら。ずいぶん早いこと」
「いかがいたしましょうか」

 声に懸念をにじませた腹心の侍女に、彼女は、くすりと笑って答える。

「手筈の通りにお願い」

 侍女は彼女と目を合わせた。微笑む彼女の中に迷いがないことを見て取って、侍女もまた決意を瞳にたたえる。

「承知しました。すべてご指示の通りに」

 侍女は滑るように部屋を出て行った。




 部屋に通されたラウルは、予想通りにお嬢様がずいぶん寛いだ格好でいるのをチラリと確認して、すぐに目を伏せた。
 わざわざラウルに、食事をとり湯を浴びてから来るようにと伝言を寄こしてきた時は、いつもこうだ。寝巻にガウンを羽織っただけの、本当だったら妙齢の令嬢が人前に出る姿ではない。……ラウルは使用人であるからして、「人前」の範疇に含まれないのかもしれないが、それでも一応男ではある。密かに目のやり場に困った。
 彼女は、今夜も心ゆくまでキリムを指すつもりなのだろう。眠気に負ける寸前まで。

 この、家柄、美貌、賢さ、心映えと何もかもを兼ね備えた令嬢の、たった一つの欠点は、無類のキリム好きなことである。いや、キリム狂いと言っていい。
 名人であった彼女の師匠が亡くなってからは、キリムの名手と聞けば、どのような身分の者であろうと丁重に招いては、一指し乞うようになった。

 ラウルとの出会いも、彼の育った教会へ寄付を届けに来た彼女に、神父が彼を紹介したのがきっかけだったくらいだ。「この者は、このへんでは負けなしのキリム指しなのですよ」と。
 どこのどんな生まれかもわからない下賤の出の、粗末な格好をした彼を相手に、彼女は礼儀正しくキリムの相手を申し込んだ。そして、二日に及ぶ対局の末に勝負が付いた時も、毅然と負けを認めて頭を下げ、楽しかったと笑ったのだった。
 それ以来、ラウルは侯爵家に仕えて、御当主の用事を承る傍ら、お嬢様に所望されればキリムを指す生活を送っている。

 そんなお嬢様の部屋に据え置かれた盤には、いつでも指しかけの駒が並べられたまま。
 卓に着いた瞬間から身分の上下はなくなり、ただ、白の駒と黒の駒の指し手がいるだけとなる。それは、ラウルにとっても待ち遠しく感じる楽しいひとときだ。

 けれど、今日はそれだけではないのだった。別の要件があった。

「こちらがご所望の品です」

 キリムの卓でお嬢様と向かい合わせに座ったラウルは、ベルトにつけた小物入れから、四つの小瓶を取り出した。大人の男の親指ほどの小さなものだ。燭台にいくつも灯されたロウソクの明かりに、中の液体が揺れるのが見えた。

「なぜ四つもあるのかしら? それとも、二種類を二つずつというべきなのかしら?」

 彼女は小瓶を手に取って、しげしげと眺めた。小瓶にくくりつけられた紐の色は、赤が二つに黒が二つ。それ以外に違いは見当たらない。

「黒が男性用で、赤が女性用です。……その、……ええと、は、初めて、の女性では、うまく、その、……体、の準備ができないだろうから、と、薬師が……」
「ああ、聞いたことがあるわね。そう。これは、わたくしの分ということね。それで、これを一度に二瓶飲めばいいのかしら?」
「い、いいえ! そ、その、それも、失敗した時のことを考えて、もう一つ買っておけ、と言われまして」
「全部で四つ買うことになったのね」
「……はい」

 つっかえつっかえ話しにくそうにしていたのが、ラウルはとうとう恥じ入ってうつむいた。
 彼は少々、というか、人の好い神父に育てられたせいか、人が好すぎるきらいがある。これで頭の回転は悪くないから、ひどく騙されることはないのだが、とにかく押しに弱い。必要ない同じものを、三つも四つも買わされるのは、しょっちゅうだった。今回も彼はカモにされたらしかった。

「お代はいくらなの? あれだけでは足りなかったのではないの?」
「あ、ええと、大丈夫です」

 薬の値段自体は、薬師がまけてくれた――本当にまけてくれたかわからないが――から、もらった金ととんとんになった。ただ、命じられてない別の小細工で金を使ったせいで、少し足が出た。
 けれど、彼はその分を要求するつもりはなかった。彼を拾い上げて良くしてくれたお嬢様への、彼なりの餞別のつもりだった。

「それより、こちらをご覧ください」

 彼はまとめて小さくたたんだ数枚の紙を、ガサガサと広げながら差し出した。お嬢様が、何かしらという顔で、受け取ったものへ視線を落とす。

「薬師が言っていたのです。媚薬を使わねばならないような間柄では、薬を盛ること自体が難しいと。反対に言えば、盛れさえすれば成功したも同然だと。……ですので、王子に媚薬を盛る手筈を整えて参りました。詳細はそちらに」
「手筈?」

 お嬢様は紙から顔を上げた。紙には、王宮にいる王子の許まで辿り着くための道順と時間が、詳細に書き連ねてある。

「はい。王宮内に協力者も手配しました」
「協力者?」
「もちろん、それが何でどういうものなのか、どこの誰が何をするつもりなのかは、いっさいわからないようにしてあります。協力する本人も、協力したとは気づかないでしょう」

 お嬢様はつらつらと彼を見た。
 一点の曇りなく真面目に、ごく普通の何でもないことのように、とんでもないことを言っている。
 彼女が王子との不和を嘆き、彼に相談して、媚薬を所望したのは、半月前のこと。たったの半月でやりおおせることではない。……普通の人間ならば。

「……すべて、わたくしのために?」
「はい」

 ためらいのない返事だった。
 彼女は、ふふ、と笑った。ふふ、ふふふふふ、と笑いが止まらなくなる。そのうち、ほほほほほ、とはしたないと言われるだろうありさまでひとしきり笑った彼女は、にじんだ涙をぬぐいつつ、彼に礼を言った。

「ありがとう、ラウル、わたくしのために」
「い、いえ、喜んでくださったなら、よかったです。あの、お返事はあまり遅くならないうちにお願いします。警備や人が変わってしまうと、計画通りにいかなくなりますので。それで、決心なさったら、またその薬を私にお預けください」
「わかったわ。とりあえず、明日は許してちょうだいな。今日はあなたとキリムを心ゆくまで楽しみたいの。いいでしょう?」
「あ、はい、もちろんです」
「マリエラ」

 お嬢様は部屋の隅に控えた侍女を呼び寄せた。

「これを、寝室の隠しにしまっておいてちょうだい。それと、とびきり濃いお茶を淹れて」

 そうしてラウルへと向き直ると、楽しげにキリム盤を眺めた。

「さあ、始めましょう。次はあなたの番だったはずよ」

 ラウルは束の間考え込み、次の一手を指したのだった。
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