悪役令嬢の見る夢は

伊簑木サイ

文字の大きさ
2 / 25
本編

しおりを挟む
「と、盗賊」

 新任の森の番人は、王都から来たという手紙を読んで、顔を青ざめさせた。

「わ、私が盗賊ですか!? 捕まったら縛り首ですか!?」
「盗賊は捕まえないわね、その場で斬り捨てるから」
「問答無用で殺される!?」

 あああああ、という情けない表情で、彼は手紙から顔を上げ妻に向けた。

「心配しなくても大丈夫よ、わたくしの夫であるかぎりは、この森の番人だもの。侯爵令嬢を襲った盗賊ではないと、侯爵家が保証してくれるから」
「そ、そうですよね」
「浮気したらそのかぎりではないけど」
「浮気なんてしませんよ!」
「どうかしら。あなたは意思が弱いから」

 妻が意味深に笑う。それに、かっと頬を染めて、夫はわめいた。

「それは、媚薬を盛られれば、誰だって意思が弱くなりますよ!」
「よく効くお薬だったわね」
「しれっと言わないでください! 私は、あなたが王子の心が離れて辛いと言うから、手を尽くして探してきたんですよ!」
「しかたないでしょう。殿下に毒を盛ったら、この首を落とされるだけでは済まなくてよ。持ってきた本人に毒見をさせるのは、常識の範囲内だと思うけれど?」
「それは、そうですが。……それに、あんなことされれば、誰だって……」
「あなたお勧めの娼妓に教えていただいたのよ、上手だったでしょう?」
「ああああ、あれだって! あなたが、結婚後の王子との生活がうまくいくか心配だからお願い、と言うから、評判の娼妓に失礼を承知で頼み込んだんですよ! それを……、それを……」
「お兄様なじみの方でしたのね。わたくし、てっきりあなたのお気に入りかと思いました」
「まさか! あんな高級娼妓、私では……」

 夫は途中で、はっとしたように口をつぐんだ。妻はにこりと笑った。夫は、うろ、と目をそらす。そこへ、妻は追い打ちをかけた。

「わたくし、あの小瓶を渡された時、心に決めましたのよ。……あなたを泣かせてやるって」
「ええっ!?」
「そんなにわたくしが他の男に抱かれてもいいと思ってるのなら、ぎったぎたにして、泣かせてやりたいと思ったの」
「ぎったぎたって……。いったいどこでそんな言葉を……」

 あぜんと呟き、そのうち、じっとりと見つめ続ける妻の視線を受け止めきれなくなり、彼は視線を落とした。

「……あなたは王子を愛しているとばかり……。
 ……それに、あなたは私などがどうこうしていい方ではありません。
 本当は、今も思っているのです。あなたはこのようなところにいるべきではないと」
「あら。本当に?」

 途中から、意を決して顔を上げた夫の頬に手を伸ばし、彼女はするりと撫でた。その艶めかしさに、夫はひるんで、またすぐにおよび腰になった。

「できないことはないのよ。あんなぼんくら王子も頼りない小娘も血祭りにあげて、わたくしが宮廷に返り咲くことも」
「ち、血祭りはいけません。もう少し、穏便に」
「わたくしに穏便に暮らしてほしいなら、あなたがわたくしをここに留め置いてくれないと」

 夫は困り顔で妻を見つめ返した。
 高貴な血を引く侯爵令嬢。美貌はもちろん、聡明さも持ち合わせている。貴族としての誇りを持ち、その義務も心得ている。これほど国母にふさわしい女性もいなかっただろうに、今は辺境の森の番人の妻などに、好んでおさまろうとしている。

「あなたはなぜ、私なんかを……」
「言ったでしょう。あなたの描くキリムの世界が好きだって」

 キリムとは戦を模したゲームだ。騎士や歩兵、城といった駒をルール通りに動かし、王の駒を取れば勝ちである。
 何もかもを備えた彼女の欠点は、『キリム狂い』と呼ばれるほどのキリム好きである。百年に一人の名人と呼ばれた師匠が亡くなって以来、負けなしだった彼女に唯一勝ったのが彼だ。
 孤児で、貧しいその日暮らしをしていた彼は、それによって侯爵家へと仕えることになったのだった。

「それに、わたくしのために、媚薬と一緒に、警護の網をくぐって殿下とこっそりと会えるルートまで調べてきてくれましたね。……無駄に有能すぎて、あれには眩暈を覚えるほど腹が立ちましたが」
「あ、あれは! ……使う機会がなければ、あなたの望みは叶わないと……」

 夫はどこか痛みをこらえるような表情をした。
 王宮の、それも王太子の警護をだし抜くルートを、たった半月で提案するなど、本来ならば不可能なのだ。……非凡な才能と、才能を発揮させた情熱がなければ。
 そう。彼女は、あの小瓶を手にした時、確信した。
 ふふふ、と機嫌よく笑い、彼女は夫の首に両腕をまわして妖艶な体を惜しげもなく押し付けた。……彼の痛みごと抱きしめるかのように。

「わかっています。すべては、わたくしのためだったということは。……だから、お願い、ラウル、今度もわたくしの望みをかなえてちょうだいな。
 ……あなたがどれだけわたくしを愛しているか、教えてほしいの」

 夫はもはや言葉もなく、しがみつくように彼女を抱き締め返した。
 そうしてしまえばもう、己の中にある情熱に逆らうことはできなかった。
 腰を引き寄せ、背中を撫でさすり、髪の中に差し入れる。一瞬だけ彼女の視線を捉え、彼だけを見つめるまなざしに引き寄せられるままに唇を重ねた。
 最初はその柔らかさを味わうように一度押し付けて、すぐに離れ、また重ねて、今度は食む。角度を変えて、上の唇を数回やわやわと挟み、下の唇に吸いついた時、妻の体が、ぴくりと震えた。その反応に、体がさらに熱くなる。
 食べてしまいたいほど愛しいと感じる、その思いのまま彼女の唇を割り開いて、舌を絡めて。応える彼女の舌を吸い上げ、舐め、そうして、どちらの唾液かもわからなくなったものを啜って。
 そうしながら、首に巻かれたスカーフを剥ぎ取り、現れた白い首に吸いつく。

「あ、ラウル……」

 妻が甘い吐息をこぼした時だった。
 コンコンコン、と遠慮がちなノックの音が響いた。
 低い男性の声が、向こう側から掛けられる。

「隊長。……隊長」

 ぴたりと夫の動作が止まった。隊長とは、彼のことである。

 侯爵領のうち、国境となっている黒い森と呼ばれる広大な深い森の向こうに、隣国が砦を築いているという情報が入ったのが一年と半年ほど前。
 その砦と隣国の動向を調べ、娘との婚約を破談にしたぼんくらを王太子に据えるこの国に仕え続けるべきか、それとも隣国に寝返った方が良いのか探るようにと、侯爵より命じられたのだ。
 国に居残るならば、砦の攻略法を考えよとも、隣国に寝返るならば、その伝手を作れとも言われている。

 国一番のキリムの指し手であった令嬢を打ち負かすほどの才だ。また、王子を毒殺できる機会を見出した実績もある。
 非常に難しい任務であったが、令嬢を傷物にした罪で殺さない代わりに、責任を取れと押し付けられたのだった。……たとえそれが、令嬢のほうが彼を襲ったのだとしても。
 そうして、彼らは森の番人夫婦として、この地にやってきた。
 近くに拓かれたばかりの村の住人は、全員部下である。

 そんな成り行きだったが、夫に不満はなかった。天涯孤独に生まれた身である。いつ誰に顧みられることもなく死んでもおかしくない、低い身分の出でもある。高嶺の花と思っていた女性を手にすることができたのだ。これ以上の幸運はない。
 おそらく、一生分の幸運を使い切ってしまった。明日、いや、夜まで生きているという保証はない。だから、彼は目の前の魅力的な妻に今すぐ愛を示したかった。
 けれど、部下が扉の向こうで待っている。返事がないかと耳を澄ませてもいることだろう。
 眉根に皺を寄せ、究極の二者択一に逡巡する夫に、妻は、ふふふと笑って、彼の頬を撫でた。

「わかっていてよ、あなた。お仕事頑張っていらして」
「…………はい」

 夫は離れがたいと言わんばかりに、ぎこちなく体を起こした。妻の首に、うっかりつけてしまったキスマークを見つけ、投げ落としたばかりのスカーフを拾って、他の誰かに見られないよう、しっかりと巻き付ける。……白い肌に浮き出た赤い跡が、あまりに扇情的だったので。

「……行ってきます」
「はい、いってらっしゃいませ」

 チュッと唇にいってらっしゃいのキスを貰って、不承不承だった相好を崩す。
 それだけのことで報われてしまう、そんな彼を見て、妻もまた微笑んだ。王都にあった頃には見せたことのなかった、柔らかな美しい笑みだった。



 悪役令嬢が見た夢は、愛する男に愛され、共に穏やかに暮らすこと。
 彼女は生涯この森のほとりを離れず、二度と宮廷に現れることはなかったという。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

死亡予定の脇役令嬢に転生したら、断罪前に裏ルートで皇帝陛下に溺愛されました!?

六角
恋愛
「え、私が…断罪?処刑?――冗談じゃないわよっ!」 前世の記憶が蘇った瞬間、私、公爵令嬢スカーレットは理解した。 ここが乙女ゲームの世界で、自分がヒロインをいじめる典型的な悪役令嬢であり、婚約者のアルフォンス王太子に断罪される未来しかないことを! その元凶であるアルフォンス王太子と聖女セレスティアは、今日も今日とて私の目の前で愛の劇場を繰り広げている。 「まあアルフォンス様! スカーレット様も本当は心優しい方のはずですわ。わたくしたちの真実の愛の力で彼女を正しい道に導いて差し上げましょう…!」 「ああセレスティア!君はなんて清らかなんだ!よし、我々の愛でスカーレットを更生させよう!」 (…………はぁ。茶番は他所でやってくれる?) 自分たちの恋路に酔いしれ、私を「救済すべき悪」と見なすめでたい頭の二人組。 あなたたちの自己満足のために私の首が飛んでたまるものですか! 絶望の淵でゲームの知識を総動員して見つけ出した唯一の活路。 それは血も涙もない「漆黒の皇帝」と万人に恐れられる若き皇帝ゼノン陛下に接触するという、あまりに危険な【裏ルート】だった。 「命惜しさにこの私に魂でも売りに来たか。愚かで滑稽で…そして実に唆る女だ、スカーレット」 氷の視線に射抜かれ覚悟を決めたその時。 冷酷非情なはずの皇帝陛下はなぜか私の悪あがきを心底面白そうに眺め、その美しい唇を歪めた。 「良いだろう。お前を私の『籠の中の真紅の鳥』として、この手ずから愛でてやろう」 その日から私の運命は激変! 「他の男にその瞳を向けるな。お前のすべては私のものだ」 皇帝陛下からの凄まじい独占欲と息もできないほどの甘い溺愛に、スカーレットの心臓は鳴りっぱなし!? その頃、王宮では――。 「今頃スカーレットも一人寂しく己の罪を反省しているだろう」 「ええアルフォンス様。わたくしたちが彼女を温かく迎え入れてあげましょうね」 などと最高にズレた会話が繰り広げられていることを、彼らはまだ知らない。 悪役(笑)たちが壮大な勘違いをしている間に、最強の庇護者(皇帝陛下)からの溺愛ルート、確定です!

【完結】記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。

ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。 毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...