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第六章 変化(へんげ)
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「まずはあれを渡してやれ」
ディーに指示する。ディーは窓近くの棚に置いてあった剣を持ってきた。王都屋敷に置いてきたはずの、ソランの愛剣だった。
「今日、私は、ソランが目覚めたとの報を受けて、ここへ来た。これは、ソランがイリスに預けたことにする。おまえなら言いそうだろう。これを持って、私の代わりにお守りしてくれ、と」
この状況で姉がいたとしたら、確かにそうしただろう。
「おまえはソランと共に医術を修めたことにする。それによって私に仕える。剣の腕はあてにできない、身を守る程度だとしておけ。その方が油断も誘えるだろう」
「わかりました」
「おまえのことを知るのは、今ここにいる者とエメット婦人だけだ。実は、局内に内通者がいる。本当に信頼してよいのは、ここにいる者だけだと心得ておけ」
ソランは微かに眉を顰めたが、特に何も言わなかった。一番辛く思っているのは殿下であろうからだ。
「何か質問はあるか」
ソランは久しぶりの愛剣の手触りを確かめながら考えた。剣帯がない。取り寄せなければ。それを見透かされたように言われる。
「剣帯は私の物を一つやるつもりだ。少し大きいかもしれんが、丈を詰めさせる。それで我が保護が知れるだろう」
「ありがとうございます」
「特になければ、館に戻るぞ」
「はい」
「さて、手を貸して案内するべきか。どうだ?」
後ろのディーに、視線を投げかける。
「初めから熱烈なのもよろしいですが、私的にはじょじょに惹かれあっていく方が、身悶え感があって楽しいですね。特に最近そう思うようになりました」
「おまえの嗜好は聞いてない」
殿下は、最早溜息を吐くのすら面倒だと言うような顔をした。次にソランの後ろに立つマリーに尋ねる。
「マリー、おまえはどう思う?」
「付かず離れずが良いかと。気にしつつも安易に触って良いものかどうか迷っておられるような」
ソランも振り返ってマリーを見ると、両手を胸元で合わせ、うっとりと遠くを見つめていた。
「秘めた情熱が時折あふれ出てしまうのがよいのです。女はそういうのに弱いのです」
殿下はしばらく意味を咀嚼しようと努めているのか、無表情になっていたが、
「そうか。参考にしておこう」
と戸惑ったように言った。
ソランも二人の意見を聞いていて、切羽詰った気持ちになってきた。
――殿下と、つまりこの目の前にいる方と、何をしろと言うのだ。マリーみたいにうっとりしてみせるとか? 頬を赤らめてみせるとか?
今までソランに告白してきた女の子たちの仕草をも思い出し、自分がやるのかと思ったら、かーっと頭に熱が上がった。
――あんな、一目で胸がきゅんとして思わず抱きしめたくなるようなこと、人前でできるか! その前に、私では無理だ!
「どうしたの、イリス殿」
突然真っ赤になったソランに、ディーが尋ねる。それに上目遣いで見上げ、すぐに強く握った拳に視線を落とした。
「すみません。できません」
「できないの? どうして? ここまで頑張ったのに。イリス殿にしては珍しいことを言うね」
「ですが、そんな男心を一瞬で捕まえて縄で縛り付けるような高等テクニック、私には使えません!」
一瞬の静寂の後、爆笑がわきおこった。
全員が痛む腹を押さえ、目尻の涙を拭い終わった頃、ソランはぐったりとして俯いていた。
頭が痛くて朦朧とする。なぜ笑われているのかもわからない。わからないが、もうどうでもいい。眠くて眠くてなげやりになっていた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
マリーが肩に手を掛けてきた。
「平気です」
手をそっと払う。
「どうした。いやに今日はおとなしいと思っていたが、まさか具合悪いのか」
「いいえ。なんでもありません」
ソランが否定したのに、マリーが勝手に言い募る。
「はい。お嬢様はこの四日、ほとんど寝ていらっしゃいません。準備に忙しかったですし、昨夜遅く、念のためにセレンまで行かれました」
「そういうことは、早く言え」
殿下は性急に立ち上がった。
「どうも言っていることがおかしいと思ったら、半分寝言なのだな。まったく、しようのない。さあ、行くぞ」
手を取り、立たせる。
「でも」
「私を誘惑する必要はない。ただ傍におればよい。おまえはいつもどおり仕えればよいのだ」
「そうなのですか?」
不安げに聞き返す。それに殿下は落ち着けるようにやわらかく笑い返した。
「今のおまえを見て、誰も男とは疑わんだろう。それは、化粧をしているのか?」
「はい。家の者にしてもらいました」
「そうか。ずいぶんと違うものだな。知っていても、惑わされる」
本当だろうか? ソランはただ、見つめ返した。
殿下はさりげなくソランに自分の腕に腕を絡めさせながら、言った。
「もう少し起きていよ。おまえを四階まで運び上げるのは、どうやら私の仕事になりそうだからな。自力で上ってくれ」
「承知しました」
ソランは、ぼんやりと答えたのだった。
ディーに指示する。ディーは窓近くの棚に置いてあった剣を持ってきた。王都屋敷に置いてきたはずの、ソランの愛剣だった。
「今日、私は、ソランが目覚めたとの報を受けて、ここへ来た。これは、ソランがイリスに預けたことにする。おまえなら言いそうだろう。これを持って、私の代わりにお守りしてくれ、と」
この状況で姉がいたとしたら、確かにそうしただろう。
「おまえはソランと共に医術を修めたことにする。それによって私に仕える。剣の腕はあてにできない、身を守る程度だとしておけ。その方が油断も誘えるだろう」
「わかりました」
「おまえのことを知るのは、今ここにいる者とエメット婦人だけだ。実は、局内に内通者がいる。本当に信頼してよいのは、ここにいる者だけだと心得ておけ」
ソランは微かに眉を顰めたが、特に何も言わなかった。一番辛く思っているのは殿下であろうからだ。
「何か質問はあるか」
ソランは久しぶりの愛剣の手触りを確かめながら考えた。剣帯がない。取り寄せなければ。それを見透かされたように言われる。
「剣帯は私の物を一つやるつもりだ。少し大きいかもしれんが、丈を詰めさせる。それで我が保護が知れるだろう」
「ありがとうございます」
「特になければ、館に戻るぞ」
「はい」
「さて、手を貸して案内するべきか。どうだ?」
後ろのディーに、視線を投げかける。
「初めから熱烈なのもよろしいですが、私的にはじょじょに惹かれあっていく方が、身悶え感があって楽しいですね。特に最近そう思うようになりました」
「おまえの嗜好は聞いてない」
殿下は、最早溜息を吐くのすら面倒だと言うような顔をした。次にソランの後ろに立つマリーに尋ねる。
「マリー、おまえはどう思う?」
「付かず離れずが良いかと。気にしつつも安易に触って良いものかどうか迷っておられるような」
ソランも振り返ってマリーを見ると、両手を胸元で合わせ、うっとりと遠くを見つめていた。
「秘めた情熱が時折あふれ出てしまうのがよいのです。女はそういうのに弱いのです」
殿下はしばらく意味を咀嚼しようと努めているのか、無表情になっていたが、
「そうか。参考にしておこう」
と戸惑ったように言った。
ソランも二人の意見を聞いていて、切羽詰った気持ちになってきた。
――殿下と、つまりこの目の前にいる方と、何をしろと言うのだ。マリーみたいにうっとりしてみせるとか? 頬を赤らめてみせるとか?
今までソランに告白してきた女の子たちの仕草をも思い出し、自分がやるのかと思ったら、かーっと頭に熱が上がった。
――あんな、一目で胸がきゅんとして思わず抱きしめたくなるようなこと、人前でできるか! その前に、私では無理だ!
「どうしたの、イリス殿」
突然真っ赤になったソランに、ディーが尋ねる。それに上目遣いで見上げ、すぐに強く握った拳に視線を落とした。
「すみません。できません」
「できないの? どうして? ここまで頑張ったのに。イリス殿にしては珍しいことを言うね」
「ですが、そんな男心を一瞬で捕まえて縄で縛り付けるような高等テクニック、私には使えません!」
一瞬の静寂の後、爆笑がわきおこった。
全員が痛む腹を押さえ、目尻の涙を拭い終わった頃、ソランはぐったりとして俯いていた。
頭が痛くて朦朧とする。なぜ笑われているのかもわからない。わからないが、もうどうでもいい。眠くて眠くてなげやりになっていた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
マリーが肩に手を掛けてきた。
「平気です」
手をそっと払う。
「どうした。いやに今日はおとなしいと思っていたが、まさか具合悪いのか」
「いいえ。なんでもありません」
ソランが否定したのに、マリーが勝手に言い募る。
「はい。お嬢様はこの四日、ほとんど寝ていらっしゃいません。準備に忙しかったですし、昨夜遅く、念のためにセレンまで行かれました」
「そういうことは、早く言え」
殿下は性急に立ち上がった。
「どうも言っていることがおかしいと思ったら、半分寝言なのだな。まったく、しようのない。さあ、行くぞ」
手を取り、立たせる。
「でも」
「私を誘惑する必要はない。ただ傍におればよい。おまえはいつもどおり仕えればよいのだ」
「そうなのですか?」
不安げに聞き返す。それに殿下は落ち着けるようにやわらかく笑い返した。
「今のおまえを見て、誰も男とは疑わんだろう。それは、化粧をしているのか?」
「はい。家の者にしてもらいました」
「そうか。ずいぶんと違うものだな。知っていても、惑わされる」
本当だろうか? ソランはただ、見つめ返した。
殿下はさりげなくソランに自分の腕に腕を絡めさせながら、言った。
「もう少し起きていよ。おまえを四階まで運び上げるのは、どうやら私の仕事になりそうだからな。自力で上ってくれ」
「承知しました」
ソランは、ぼんやりと答えたのだった。
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