暁にもう一度

伊簑木サイ

文字の大きさ
80 / 272
第七章 不死人(ふしびと)

閑話 記憶の欠片1

しおりを挟む
 あれは春だっただろうか。それとも初夏だっただろうか。もしかしたら秋だったのかもしれない。
 ディーは思い出した光景をもっとよく思い出そうと、私室の天井を見るともなしに見上げた。
 光の眩しい季節だった。草いきれがすごかった。だが、暑くてたまらないというほどではなかった。

 その時ディーは、人殺しに飽き飽きして、抜けると言ったら制裁を加えようとした盗賊仲間を返り討ちにし、山を下りてきたところだった。
 途中で会った商隊を襲い、逃げた者は追わなかったが、歯向かった者は全員殺した。別に殺しを楽しみたかったわけではない。そんなものにはうんざりだった。ただ、血に汚れていない新しい服と、当面の軍資金が欲しかっただけだ。

 生まれてしばらくは両親に可愛がられたが、口が利けるようになると気味悪がられ、どこかの神殿にお参りに来たついでに、街で捨てられた。

 繰り返す生の中で、そんなのは当たり前だった。何度もそんな目にあってきた。その時が近づくと、だいたい分かる。妙に優しくなったり、感傷的になったり。そうでなければ、無関心の度合いが酷くなった。
 そうして生き延びられずに命を落としたことも何度もあった。山に捨てられれば獣に食われた。冬に捨てられれば凍死した。それでも、可愛がってくれていた人たちが彼を恐れ、忌み嫌う目を見るくらいなら、その方がましだった。そう思って自ら家を出たこともあった。

 今回はまだましだった。神殿領では子供に慈悲が与えられることが多い。神殿もだが、街でも、参拝客も功徳を施そうとする。そうしてディーは生き延びた。
 ある程度大きくなってしまえば、大人の中にまぎれてしまうことは難しくなかった。

 今生は幸いなことに、今までになく強靭な体に生まれついていた。暴力を振るえば、必要な物は簡単に手に入った。殺すことに躊躇いはなかった。どうせ、こいつらもいつか生まれ変わってくる。死ぬことにもそれほどこだわりはなかった。死は生の始まりでしかない。
 世界も彼も移ろう物でしかなかった。季節が移るように彼も移る。彷徨う風のように、繰り返し打ち寄せる波のように、芽吹いては葉を落とす草花のように、体に宿り、その体もすぐに土に返り、生まれては死ぬ。

 どうしようもなく飽いていた。けれど、抜け出すことはできなかった。死んでも死んでも、己を殺してもすぐに新しい生が始まる。

 一時いつときでも刺激が欲しくて、ありとあらゆる命を殺して殺して殺しまくったこともある。女や男に溺れたこともあった。そういったことに興味のなくなった今でも体は反応する。束の間の快楽だ。だが、心は反応しなくなっていた。

 そこは知らない土地だった。盗賊をしていた近隣では、あまりに顔が知れすぎてしまっていたから、煩わしいことを避けるために、来たことのない場所へやってきた。

 水辺にある木陰で休もうと近づくと、そこには先客がいた。知っていたら避けたが、気付かなかった。おかげでうっかり踏むところだった。
 ぼうぼうと茂った草の中、少年が仰向けに寝転んでいた。目を閉じている。仕立ての良い服はまだきれいだった。腰には不似合いな大きな剣を佩いていた。どうやら物取りに襲われて放置された、腐乱寸前の死体ではなさそうだった。

 少年がぱちりと目を開けた。しげしげとディーを見ているが、起き上がるつもりはないらしかった。静かな若葉色の瞳に魅入られる。

「こんにちは」

 やがてその子は挨拶を口にした。ディーも鸚鵡返しに言った。

「こんにちは」

 その子は微かに笑うと、再び目を閉じてしまった。ディーは近くの川に下り、馬に水を飲ませ、自身も顔を洗った。水は皮袋の中の物を飲んだ。湧き水を汲んだものだ。こちらの方が安全だった。

 馬に草を食ませ、その間に木陰で休もうと戻ってきても、その子はまだ寝ていた。体の上にも髪の間にも虫が這っていた。ズボンの上には鳥の糞が落ちていた。
 ふと興味がわき、尋ねてみた。

「腹が減って動けないのか」

 その子は目を開け、ディーを見た。

「いいえ、大丈夫」

 きれいな言葉遣いだった。子供のうちからこんな服を着せられ、剣を佩かされるのだ。領主の息子かなんかだろう。それにしては従者の一人も、馬の一頭も近くにいない。

「追われているのか」
「いいえ」
「では、捨てられたのか」
「いいえ」

 ディーは少し失望した。捨てられたのではないのか。そう感じている自分に気付いて苛つき、舌打ちをした。
 すると少年はごろりと寝返りを打ち、うつ伏せになって頭だけ上げ、しっかりとディーの方へと顔を向けた。

「お気遣いありがとうございます」

 やわらかそうな木肌色の髪は草屑だらけだった。それでもかまう様子はない。

「何をしているんだ」
「一つになりたくて」

 そう言って頬を地面に付ける。
 そのままじっとしているから、わけのわからないことを言ってはぐらかされたのかと、苦々しく思っていたら、

「おじさんは笑わないんだね」

 少し顔を上げて、その子は言った。

「笑う? 怒る、だろう?」
「え? 怒ったの?」

 びっくりしたように目を見開いた。

「いや、まだ怒ってないが」
「よかった。でも、そうだね、怒る人も多いよ」

 少年は不貞腐れた顔をした。

「くだらない、わけのわからないことを言うなって。絶対くだらなくなんかないのに」

 ごろん、と体を転がし、始めと同じく仰向けとなる。両手を空に伸ばす。

「ほら見て。空の底に降りて行けそうだよ」

 少年の声が心を撫で上げ、ディーは無意識に上を向いた。枝の向こうは雲一つない晴れ空だった。澄んだ深い青が頭上を覆っている。

 少年は手を下ろし、木漏れ日の下に差し入れた。

「葉っぱが日に透けてきれいだと思わない? 風に木も光も影も踊ってる」

 指し示されるままに視線を移す。動いて別の場所に行ったわけではないのに、なぜか、見たこともない美しい世界が広がっていた。

「水の音も風の音も鳥の声も虫の声も小父さんの息遣いも」
 自分が何の隔たりもなく世界の中に組み込まれていることに、心臓がぎゅっと縮んだ。痛みに顔を顰めた。

「近いのに遠くて、淋しくなる。僕の心臓の音も、混じってしまえればいいのに」

 少年は黙り込んだ。ディーにはかけるべき言葉が見つからなかった。ただ、少年を目を凝らして見守った。
 やがて、不自然に鼻をすすり上げているのに気づいた。

「なぜ泣く」
「淋しいから」
「混じってしまえなくてか」
「わからない。探しているものが見つからない気がして」

 ディーにも淋しいという気持ちが降りてきて取り付いていた。この子の言うことがわかる気がした。

「俺でよければ、いてやろうか」

 言ってから後悔した。何を馬鹿なことを言っているのか。俺などいらないだろうに。
 なのに。

「本当?」

 その子は体を起こした。

「本当にいてくれる?」
「……おまえの親が良いと言えばだが」
「言わせるよ。僕、ちょうど迷子だし。城に連れて帰ってくれればいい」

 とは。とんでもないお坊ちゃんだったようだ。

「ねえ、冗談だったの?」
「いいや。本気さ」

 少年は満面の笑みで笑った。ディーも笑った。それは、数百年ぶりの心からの笑顔だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす

遊鷹太
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

処理中です...