暁にもう一度

伊簑木サイ

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第九章 束の間の休息(海賊の末裔の地キエラにおいて)

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 夜、寝る前は勉強の時間になっていた。
 必ず行われるのは、エランサ語の復習だ。朝にスーシャたちに教えてもらったそれを、殿下相手に使ってみる。

 それ以外にも、キエラ領内の説明も受けている。地図を開いて税の帳簿を片手に、どこがどんな土地で、どれほどの人が住み、どんな物がどれほど取れるのか。私兵の配置、有力な市長の名前、彼らの性格や逸話。

 ウィシュタリアの大きな地図を持ってきて、毒殺騒ぎで処分になった、新しく王太子領となる領地や王領について検討することもあった。

 今日も、殿下は地図を出して来て、ベッドの上に広げた。
 キエラは大陸の西南に飛び出した半島の内側にある。一帯ではそこだけが水深が深く、半島から続く大陸が抉られたように見える他の場所はどこも遠浅で、小型船はまだしも、大型船が近寄れない。

「もしかして私は、ジェナスを呼んだと、おまえに言ってなかっただろうか?」

 自信がなさそうに尋ねてきた。

「はい。でも、母が会いにみえると言っていたので、いったいいつなのだろうとは思っていたのです」
「ああ。私もそれを聞いていたから、おまえは知っているような気になっていた。突然で驚いただろう。すまなかった」
「いいのです。それで、これは?」

 地図を指し示す。

「ああ。ジェナスには色々頼もうと思っていてな。前に海軍を創らねばならんと言っただろう。海洋民族に、我らが海上で戦を挑むのは不利だが、奴らがやってくるとしたら、陸橋からか海からとなろう。実際の戦は地の利のある陸上でとは思っているが、好きに沿岸部を蹂躙させるわけにはいかん。海軍を創らぬわけにはいかんのだ。それで、まずは軍港地の選定を、この半島の突端のどこかに」

 そう言って、殿下は地図の上に指を滑らせた。

「キエラの漁師組合の長老や、ミシアの商船組合長にも協力してもらって、決めようと思っている。ハリーを責任者にして、ジェナスには技術顧問をやってもらう。同時に軍船も造らねばならん。海を越えて攻め込むわけではないから、大型なものはいらんのだが、とにかく船足の速いものが良いと思っているのだ。それの開発と製造も頼む予定だ」

 確かに、この半島の突端をまわらなければ、大陸の南沿岸部には行けない。東西大陸に挟まれた海峡に入り込むにしても、見張りとなりえる。

「兵はどうするおつもりですか?」
「接収した領地の兵を当てようと思っている」
「危険ではありませんか?」

 地図から隣の殿下へと視線をめぐらせた。

「いつまでも、危険だからと荷物にしておくわけにはいかんのだ。それらを監視付きでバートリエに向かわせたことは、前に言ったな?」
「はい」
「今回の戦で、服従を誓わせるつもりだ。国内の敵ではなく、外敵から国を守るためなら、団結を促しやすいだろう。敵をくだすのに圧倒的な力を示すことができれば、その力を、誰でもなく彼らにゆだねるのだと言えば、心を掴むことができるのではないかと思っている」

 私兵制をやめ、国軍一つにするための足がかりとして、彼らをなんとしても配下に組み込まねばならない。それすら出来ないようでは、第一歩すら踏み出すことができないのだ。
 けれど、冷静に語られるそこに、なぜか苦痛を感じて、ソランは殿下の腕に触れた。

「何を憂えておいでですか?」

 殿下は目を見開いた。それから、苦笑する。

「私は憂えているのか」

 そうか、と呟く。一つ吐息を漏らし、ソランの髪に指を絡めた。物憂げに微笑んで、口を開く。

「ジェナスに新しい兵器を頼んだのだ。視察の時に少し話しただろう。切り立った崖すら砕く力があると。なんでも、発火しやすい鉱物を使ったものでな、瞬間的に大きな力を得られるのだそうだ。それを纏めて火を付ければ、あたりのものを巻き込んで、大地さえ抉って吹き飛ばす。ジェナスは『爆発』と言っていたが」

 ゆるゆると横に首を振って小さな溜息を吐き、気を取り直して話を続ける。

「それを使って、人の頭ほどもある鉄の玉を飛ばせるようにしたものを、いくつか用意させた。ジェナスは『大砲』と名を付けていた。あれならば、船の先端にしようかくを付けて体当たりしなくても、敵船に穴を開けて沈めることができる。同様に、城壁を崩すことも可能だ」

 圧倒的な力があれば、必ずしも勝てるわけではない。現王が少数でもって王位についたように、力は使いようである。だが逆に言えば、効果的に使えば、元々の力以上の結果をもたらしもするのだ。
 それが大量の殺戮さえ可能にするものなら、それを世に放つのを憂えるのは当たり前だった。

 ソランは、己の髪を掴んだまま止まってしまっている殿下の手に手を添え、頬との間に挟むようにした。目を瞑り、その掌に頬をすり寄せる。大きくてごつごつしていてあたたかい愛しい手に。そうやって、殿下に寄り添いたかった。傍にいると伝えたかった。
 殿下はされるがままに手を貸していた。しばらくして、掠れた囁き声が落とされた。

「もし、私が先に死んだら、この剣を継いでくれ」

 ソランは驚いて目を開けた。すぐ傍で、強い瞳で見据えられていた。

「始めたら、途中でやめるわけにはいかぬ。空白ができれば、この国は分解し、蹂躙される。それだけは、あってはならぬ」

 嫌だった。この人を置いて先に無責任に死ぬつもりはなかったが、置いていかれるつもりもなかった。この人を死なせて、自分だけ生き残ることなど、考えていなかったのだ。

 それでも、殿下の訴える瞳に気圧されて言葉には出せず、小さく横に首を振ってみせるしかできなかった。それを頬に当てられた手に止められる。
 ソランは唇を引き結んだ。返事などできるわけもなかった。想像だけで悲しみで胸がいっぱいになって、涙が滲んでくる。

 見つめられたまま、親指で涙が拭われた。わかってくれと無言で言われる。
 ソランにもわかっていた。あってはならない力を世に放ち、血に塗れた道を切り開こうというのだ。それをした者は、流された血に見合う贖いをしなければならない。
 そして、ソランが殿下に寄り添い、共に生きたいのなら、ソランもまた、それを引き受けねばならないのだ。
 震える息を吸い込み、唾を飲み込んだ。頼りなく揺れる声を絞り出す。

「生涯お仕えすると誓いました」

 生きている間は、この人の意に従うと。

「うん」

 心を許しきった、穏やかな返答だった。

「でも、殿下も約束してくれました。けっして離さぬと。生涯傍に置いてくださると」
「うん。そうだったな」

 どこか笑みを含んだ声に、ソランは堪らなくなって殿下の手を離し、彼の膝を拳で叩いた。

「だったら、約束は守ってください」
「うん。努力する」

 そんな不確かな口約束にカッとして、もう一度叩いてやろうとした手を捕られ、腕ごと抱きくるめられた。

「わるかった。怒るな。もしもの話だ」

 耳元で囁かれ、そのままそこに口付けられる。ソランは殿下の体温を確かめようとその背に腕をまわした。
 この人を失いたくなかった。腕の中に留めておきたかった。無意識にしがみつく。少しでも取りこぼしたくなかった。ただただ、この人を感じたかった。
 もっと近く、もっと深く。死によってさえ別たれないほど一つとなってしまいたかった。誰かをこんなに求めたことはなかった。

 殿下が目尻の涙を吸い、そこにも口付けをくれた。目を瞑ると、涙の後を追うように頬を辿り、それから唇へと落とされるそれを受け入れる
 ソランは、その、痛く、悲しく、心を引き裂くほどに愛しい、彼と呼応する狂おしい感情に身をまかせた。



 その夜、殿下は先に言ったように、けっして本当の意味でソランに触れようとはしなかった。
 けれど、唇や指や手だけでなく、素肌でふれあい、思いを分かちあう、それ以上に神聖なことを、ソランは思いつけなかった。
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