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閑話 ルティンの恋
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その船は小さな帆船だった。船首付近にエーランディア独特の魔除けのための目が描かれている。櫂は一段。細長い船体にして波の抵抗が少ないように設計された、かの国の高速艇だ。
メインマストの横帆のいくつかは落ちてしまっていたし、もう一本の恐らく縦帆だったマストは半ばから折れてしまっており、船体には無数の矢が射込まれ、投石器でやられたと思しき損壊も幾つも見受けられた。
エーランディア聖国の軍艦は、通常二段の櫂を備えた大型帆船である。群島国家周辺の海域は、風の吹き方も海流も不規則で、おかげで風だけに推進力を頼るわけにはいかない。そこを渡り歩く彼らは、風を捉え、操船する術にも長けていた。
もし蒸気機関が開発されなければ、ウィシュタリアに勝ち目はなかっただろう。
王は、当初、海軍を自国の沿岸部を守るためだけに使うつもりだった。だが、エランサの戦況を分析し、遠征は避けられないと、かなり早い段階で決断していた。
そこで、エーランディアの船の特徴を丹念に調べさせ、それよりも大きい船を造らせた。大砲を載せるのが前提だったために、大型にするしかなかったというのもある。大砲も砲弾も重い。蒸気機関を動かすためには石炭も必要であり、それらすべてを載せるには、相応の大きさが必要だった。
海戦で、ウィシュタリア軍は横一列となって側面に設けられた砲身をすべて向け、接近戦を主とするエーランディア軍を充分に引き寄せておき、その投石器の射程外から、飛距離のある大砲で攻撃した。
砲線を潜り抜けてやってきても、船高が違うために、彼らはウィシュタリア艦に乗り込むことはできなかった。唯一、推進をもたらす外輪が弱点だったが、鋼鉄の外装を施してあり、そう簡単に壊されることはなかった。
一方的な戦だった。そんな戦いを二度も繰り返せば、少なくとも近海に大軍団があるとは考えられない。
姉は陸戦を進めながら、ダニエル・エーランディアが配下にいることを明かし、降伏を再三にわたって勧告していた。ファング将軍も同じく、拿捕した船に降伏を促す書状を持たせて解放した。
条件は、植民地の放棄と奴隷の解放、及び、植民地の『借地料』と奴隷への『賃金』だった。敢えて賠償金という表現は避けて、相手の面子を守り、『聖戦』の必要がないことを説いたのだ。
エーランディア聖国の目的は、古に降された神託に従って、冥界に閉じ込められた神を救い出すためだと言われている。彼らにとってこれは聖戦なのだ。
だから、国名の由来となっている神官の血筋であるエーランディアの末裔が、こちらの味方となっていると喧伝したのだ。
エーランディアの血は、王家ユースティニアの血よりも尊ばれているという。その昔、冥界の門を探しに行かない王に見切りをつけ、単身船に乗って探しに出た聖人とされているのだそうだ。
その聖人は難破の挙句、マイリアノ大陸に流れ着き、子孫は商人となった。そうして現在、ダニエル・エーランディアは両陛下に忠誠を誓っている。
あちらに真偽を確かめる術がなかったとしても、エーランディアの名を出すことによって揺さぶりは掛けられるし、こちらの正当性を主張できる。
だが、反応は鈍かった。聖戦として始まった戦も、長期化して当初の理由を見失っているのだろう。戦は冥界の門ではなく、莫大な富をもたらした。それをそう簡単に放棄できるはずがない。
ウィシュタリアの目的は、エーランディアをエランサから撤退させることだ。エランサ人にしてみれば、エーランディアを根絶やしにするまで恨みが晴れないに違いないが、王と姉は、憎しみの連鎖を最も危惧していた。
争った我らだけでなく、子供たちや孫たち、もっと先に生まれ来る者にまで、憎しみを植え付け戦わせる権利は、我らにはない。憎しみも、恨みも、痛みも、与えられた我らだけが背負うべきものであり、そんな愚かな妄執で未来を縛ることは、どうしても避けたいと思っているのだ。
しかし、エーランディアが退く気配はなく、このままでは植民地を取り戻すために、多くの犠牲を払わなければならない。
それは、本当は簡単なことだ。こちらには圧倒的な火力と豊富な兵員がある。王の一声で、建物も人も同じようになぎ倒し、瓦礫の山にできるのだ。必要とあらば、王も姉もそれを躊躇いはしない。
だがそうすれば、中にいるエーランディアの一般人だけでなく、エランサ人の奴隷たちも犠牲になる。エーランディアのみならず、エランサからも怨嗟の声があがるに違いない。
事態を好転させる一手が欲しい。この状況を打破するきっかけが。有利に事を運んでいるはずのウィシュタリアの、それが真情だった。
それには新しい情報がいる。わずかなものでもいい。何が事態の鍵になるかわからないのだから。ルティンはどんな手を使っても、あの船から最大限の情報を引き出すつもりだった。
敬愛する王妃と王が、真に望む未来を、手繰り寄せるために。
メインマストの横帆のいくつかは落ちてしまっていたし、もう一本の恐らく縦帆だったマストは半ばから折れてしまっており、船体には無数の矢が射込まれ、投石器でやられたと思しき損壊も幾つも見受けられた。
エーランディア聖国の軍艦は、通常二段の櫂を備えた大型帆船である。群島国家周辺の海域は、風の吹き方も海流も不規則で、おかげで風だけに推進力を頼るわけにはいかない。そこを渡り歩く彼らは、風を捉え、操船する術にも長けていた。
もし蒸気機関が開発されなければ、ウィシュタリアに勝ち目はなかっただろう。
王は、当初、海軍を自国の沿岸部を守るためだけに使うつもりだった。だが、エランサの戦況を分析し、遠征は避けられないと、かなり早い段階で決断していた。
そこで、エーランディアの船の特徴を丹念に調べさせ、それよりも大きい船を造らせた。大砲を載せるのが前提だったために、大型にするしかなかったというのもある。大砲も砲弾も重い。蒸気機関を動かすためには石炭も必要であり、それらすべてを載せるには、相応の大きさが必要だった。
海戦で、ウィシュタリア軍は横一列となって側面に設けられた砲身をすべて向け、接近戦を主とするエーランディア軍を充分に引き寄せておき、その投石器の射程外から、飛距離のある大砲で攻撃した。
砲線を潜り抜けてやってきても、船高が違うために、彼らはウィシュタリア艦に乗り込むことはできなかった。唯一、推進をもたらす外輪が弱点だったが、鋼鉄の外装を施してあり、そう簡単に壊されることはなかった。
一方的な戦だった。そんな戦いを二度も繰り返せば、少なくとも近海に大軍団があるとは考えられない。
姉は陸戦を進めながら、ダニエル・エーランディアが配下にいることを明かし、降伏を再三にわたって勧告していた。ファング将軍も同じく、拿捕した船に降伏を促す書状を持たせて解放した。
条件は、植民地の放棄と奴隷の解放、及び、植民地の『借地料』と奴隷への『賃金』だった。敢えて賠償金という表現は避けて、相手の面子を守り、『聖戦』の必要がないことを説いたのだ。
エーランディア聖国の目的は、古に降された神託に従って、冥界に閉じ込められた神を救い出すためだと言われている。彼らにとってこれは聖戦なのだ。
だから、国名の由来となっている神官の血筋であるエーランディアの末裔が、こちらの味方となっていると喧伝したのだ。
エーランディアの血は、王家ユースティニアの血よりも尊ばれているという。その昔、冥界の門を探しに行かない王に見切りをつけ、単身船に乗って探しに出た聖人とされているのだそうだ。
その聖人は難破の挙句、マイリアノ大陸に流れ着き、子孫は商人となった。そうして現在、ダニエル・エーランディアは両陛下に忠誠を誓っている。
あちらに真偽を確かめる術がなかったとしても、エーランディアの名を出すことによって揺さぶりは掛けられるし、こちらの正当性を主張できる。
だが、反応は鈍かった。聖戦として始まった戦も、長期化して当初の理由を見失っているのだろう。戦は冥界の門ではなく、莫大な富をもたらした。それをそう簡単に放棄できるはずがない。
ウィシュタリアの目的は、エーランディアをエランサから撤退させることだ。エランサ人にしてみれば、エーランディアを根絶やしにするまで恨みが晴れないに違いないが、王と姉は、憎しみの連鎖を最も危惧していた。
争った我らだけでなく、子供たちや孫たち、もっと先に生まれ来る者にまで、憎しみを植え付け戦わせる権利は、我らにはない。憎しみも、恨みも、痛みも、与えられた我らだけが背負うべきものであり、そんな愚かな妄執で未来を縛ることは、どうしても避けたいと思っているのだ。
しかし、エーランディアが退く気配はなく、このままでは植民地を取り戻すために、多くの犠牲を払わなければならない。
それは、本当は簡単なことだ。こちらには圧倒的な火力と豊富な兵員がある。王の一声で、建物も人も同じようになぎ倒し、瓦礫の山にできるのだ。必要とあらば、王も姉もそれを躊躇いはしない。
だがそうすれば、中にいるエーランディアの一般人だけでなく、エランサ人の奴隷たちも犠牲になる。エーランディアのみならず、エランサからも怨嗟の声があがるに違いない。
事態を好転させる一手が欲しい。この状況を打破するきっかけが。有利に事を運んでいるはずのウィシュタリアの、それが真情だった。
それには新しい情報がいる。わずかなものでもいい。何が事態の鍵になるかわからないのだから。ルティンはどんな手を使っても、あの船から最大限の情報を引き出すつもりだった。
敬愛する王妃と王が、真に望む未来を、手繰り寄せるために。
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