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閑話 ルティンの恋
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ルティンは、まず捕縛した時の話を船長に聞き、それからエーランディアの船に乗り込んで検分を行った。
長く日に晒され、風に吹かれ、痕跡は風化していたが、いたるところに血の跡がついていた。櫂の握りの部分には、握っていたそのままに指の形が残っていた。床面に残る血溜まりの大きさから見ても、彼らが命絶えるまで持ち場を離れなかったことを物語っていた。
唯一無事だった女は、ウルティアと名乗ったと報告を受けた。これが罠でないとすれば、彼女はそれだけの忠誠を集める人物なのだろう。
それは、姉に聞いた話と重なった。エーランディアの他の多くの将軍が兵を置いて逃げ出したのに対し、ウルティアは必ず自分が殿に残り、一兵でも多くを逃そうとしたと。また、二度と同じ戦術には引っかからなかったとも。
「私でもあんな立場になったら浮き足立つと思う。我ながら、やり方がえげつないとも思うしね。想像すると、ぞっとするよ。なのにウルティアは、最後まで立ちはだかる。いい将なんだ。ぜひにも欲しいくらいだ。もし生け捕りにできたら、熱心に口説くのだけど」
落とすのは無理かもしれないな。姉は苦笑交じりに語っていた。エーランディアの動きには戦略というものが感じられない、場当たり的に戦を繰り返しているようだ、と。あれほどの将がそうせざるを得ない状況に置かれ、職務を放棄しないのならば、それだけの信念があるのだろう。そんな人間が寝返るとは思えない。
だが、そのウルティアが聖王を殺して逃げ出してきたという。聖王の首だという酒に漬けられたものを見たが、その臭気だけでなく、贅肉だらけの醜悪な面に吐き気がした。
残念ながら、その真偽を確かめる術は、今は無い。が、証拠として我らが王の許へ送ることになる。義兄にはじっくりとっくり突きつけて、むしろいっそ悪夢にうなされろ、と思ったが、姉の目には入れたくないと心底思ったほどであった。
さて、これをどう取るか。真実か、罠か。真実ならば、聖王が死に、ウルティアが戦線を離脱した今、その混乱に乗じて一気に攻勢をかけるべきだ。だが罠であるとすれば、エーランディアでも有数の将軍を囮にする作戦とはなんだ。それとも、彼女は単なる政争の敗者なのか。政争があったとすれば、それはどの程度のものなのか。そこに付け入る隙はあるのか。
ルティンはそこで思考を止めた。先入観は邪魔だ。それが事実と違っていても、自分の描いたストーリーに当てはまるものだけを拾ってしまうだろう。見誤ることだけは避けなければならない。そのためには委細漏らさず見落とさないようにしなければ。
ハイデッカーに声をかけた。
「何か気になったことは?」
「これが全部人間の血だとして、嘘を言っているのでないとすれば、そのウルティアってのは、よっぽど侮れない人物なんだろう」
ルティンは、ハイデッカーと向き合った。彼は言葉を続けた。
「海に流したという死体が残っていたら、もう少し信憑性が増すんだが。生き残って船に乗っていたのが六人というのでは、捨て駒にしても惜しくない人数だからな。しかし、まあ、たとえ帆が無事だったとしても、この船を六人では動かせないだろう。水も食料もほとんどなく、こんな船で漂流するのは自殺行為に近くはあるな」
「それも、この海域を知り尽くした彼らなら不可能ではないだろう」
海には、ある一定の時期に一定の方向に流れる潮があるらしい。彼らはそれを使い、速く楽に島の間を行き来するのだという。その情報に基づいて、本国から新しい船団がやって来ないかを警戒していた先に、この船を発見したのだ。
「疑い出せばキリがないが」
そう言ってハイデッカーは面倒くさそうに軽く息を吐いた。ルティンとほぼ同じことが頭の中を巡っているのだろう。ルティンは他の者にも意見を求めた。護衛とはいえ、全員が情報局の人員だ。
この地は海軍に統括されているが、ルティンたちは直接従属していない。輸送船は海軍の管轄でも、内陸の補給線は陸軍の管轄であったし、情報系統は情報局の範疇だ。情報局は情報を集めるばかりでなく、それを基に戦略を描き、それに添った後方支援を行うことが最も大きな仕事になる。その意味で、陸軍と海軍、ウィシュタリアとエランサ、そういった異なった部門同士の折衝も受け持つ。
情報を一手に握り、また、王直属の彼らは、その気になれば大きな権力を振るうことができる。王がそんな事を企む者を局員とするはずもなかったが、もしもの場合の命令系統の混乱を防ぐために、局員は必ず事務方として派遣された。そこにハイデッカーたちが護衛部隊として独立した形式で付いたのは、ルティンを守るためであったが、最前線でのこうしたイレギュラーな事態に即応するためでもあった。
クーリィが手を挙げた。
「もしできるなら、生き残りに海図を書かせたらいいですよ。日付も入れて。あの目立つウルティアが、ここしばらく出陣していないのは本当でしょう」
足取りを掴んで整合性を見るのは、確かに必要だ。
「そうだな。では、様子を見て海図の写しを作ろう。見せる海図の精度をどの程度にするかは、取り調べをしながら決める。捕虜たちはクーリィとウィラーに任せる。いいな? とりあえず、ウルティアの主張を汲んだ対応をしてくれ」
異口同音に復唱で了解を示し、クーリィは自分の心臓の位置をぽんと叩いて掌をこちらに向けてみせ、ウィラーは胸に手を当てた。
エリクスンが鼻の頭をかきながら手を挙げた。
「俺たち、エーランディア語がわからないふりをした方がいいんですかね」
ルティンはハイデッカーと目を合わせ、どちらともなく頷き合った。相手に油断を与えるのも、情報を引き出すには有効な手だ。
「そうしよう。彼らと会話するのは、当面の間、私とクーリィとウィラーの三名とする。他には?」
「特には」
彼らは口々に言いながら、肩をすくめたり首を振ってみせたりした。
「では、そろそろ行こうか。かの有名な将軍に会いに」
ルティンは直ぐ傍に浮かんでいる、彼女が捕われている自国の戦艦を見上げて、次の行動を宣言した。
長く日に晒され、風に吹かれ、痕跡は風化していたが、いたるところに血の跡がついていた。櫂の握りの部分には、握っていたそのままに指の形が残っていた。床面に残る血溜まりの大きさから見ても、彼らが命絶えるまで持ち場を離れなかったことを物語っていた。
唯一無事だった女は、ウルティアと名乗ったと報告を受けた。これが罠でないとすれば、彼女はそれだけの忠誠を集める人物なのだろう。
それは、姉に聞いた話と重なった。エーランディアの他の多くの将軍が兵を置いて逃げ出したのに対し、ウルティアは必ず自分が殿に残り、一兵でも多くを逃そうとしたと。また、二度と同じ戦術には引っかからなかったとも。
「私でもあんな立場になったら浮き足立つと思う。我ながら、やり方がえげつないとも思うしね。想像すると、ぞっとするよ。なのにウルティアは、最後まで立ちはだかる。いい将なんだ。ぜひにも欲しいくらいだ。もし生け捕りにできたら、熱心に口説くのだけど」
落とすのは無理かもしれないな。姉は苦笑交じりに語っていた。エーランディアの動きには戦略というものが感じられない、場当たり的に戦を繰り返しているようだ、と。あれほどの将がそうせざるを得ない状況に置かれ、職務を放棄しないのならば、それだけの信念があるのだろう。そんな人間が寝返るとは思えない。
だが、そのウルティアが聖王を殺して逃げ出してきたという。聖王の首だという酒に漬けられたものを見たが、その臭気だけでなく、贅肉だらけの醜悪な面に吐き気がした。
残念ながら、その真偽を確かめる術は、今は無い。が、証拠として我らが王の許へ送ることになる。義兄にはじっくりとっくり突きつけて、むしろいっそ悪夢にうなされろ、と思ったが、姉の目には入れたくないと心底思ったほどであった。
さて、これをどう取るか。真実か、罠か。真実ならば、聖王が死に、ウルティアが戦線を離脱した今、その混乱に乗じて一気に攻勢をかけるべきだ。だが罠であるとすれば、エーランディアでも有数の将軍を囮にする作戦とはなんだ。それとも、彼女は単なる政争の敗者なのか。政争があったとすれば、それはどの程度のものなのか。そこに付け入る隙はあるのか。
ルティンはそこで思考を止めた。先入観は邪魔だ。それが事実と違っていても、自分の描いたストーリーに当てはまるものだけを拾ってしまうだろう。見誤ることだけは避けなければならない。そのためには委細漏らさず見落とさないようにしなければ。
ハイデッカーに声をかけた。
「何か気になったことは?」
「これが全部人間の血だとして、嘘を言っているのでないとすれば、そのウルティアってのは、よっぽど侮れない人物なんだろう」
ルティンは、ハイデッカーと向き合った。彼は言葉を続けた。
「海に流したという死体が残っていたら、もう少し信憑性が増すんだが。生き残って船に乗っていたのが六人というのでは、捨て駒にしても惜しくない人数だからな。しかし、まあ、たとえ帆が無事だったとしても、この船を六人では動かせないだろう。水も食料もほとんどなく、こんな船で漂流するのは自殺行為に近くはあるな」
「それも、この海域を知り尽くした彼らなら不可能ではないだろう」
海には、ある一定の時期に一定の方向に流れる潮があるらしい。彼らはそれを使い、速く楽に島の間を行き来するのだという。その情報に基づいて、本国から新しい船団がやって来ないかを警戒していた先に、この船を発見したのだ。
「疑い出せばキリがないが」
そう言ってハイデッカーは面倒くさそうに軽く息を吐いた。ルティンとほぼ同じことが頭の中を巡っているのだろう。ルティンは他の者にも意見を求めた。護衛とはいえ、全員が情報局の人員だ。
この地は海軍に統括されているが、ルティンたちは直接従属していない。輸送船は海軍の管轄でも、内陸の補給線は陸軍の管轄であったし、情報系統は情報局の範疇だ。情報局は情報を集めるばかりでなく、それを基に戦略を描き、それに添った後方支援を行うことが最も大きな仕事になる。その意味で、陸軍と海軍、ウィシュタリアとエランサ、そういった異なった部門同士の折衝も受け持つ。
情報を一手に握り、また、王直属の彼らは、その気になれば大きな権力を振るうことができる。王がそんな事を企む者を局員とするはずもなかったが、もしもの場合の命令系統の混乱を防ぐために、局員は必ず事務方として派遣された。そこにハイデッカーたちが護衛部隊として独立した形式で付いたのは、ルティンを守るためであったが、最前線でのこうしたイレギュラーな事態に即応するためでもあった。
クーリィが手を挙げた。
「もしできるなら、生き残りに海図を書かせたらいいですよ。日付も入れて。あの目立つウルティアが、ここしばらく出陣していないのは本当でしょう」
足取りを掴んで整合性を見るのは、確かに必要だ。
「そうだな。では、様子を見て海図の写しを作ろう。見せる海図の精度をどの程度にするかは、取り調べをしながら決める。捕虜たちはクーリィとウィラーに任せる。いいな? とりあえず、ウルティアの主張を汲んだ対応をしてくれ」
異口同音に復唱で了解を示し、クーリィは自分の心臓の位置をぽんと叩いて掌をこちらに向けてみせ、ウィラーは胸に手を当てた。
エリクスンが鼻の頭をかきながら手を挙げた。
「俺たち、エーランディア語がわからないふりをした方がいいんですかね」
ルティンはハイデッカーと目を合わせ、どちらともなく頷き合った。相手に油断を与えるのも、情報を引き出すには有効な手だ。
「そうしよう。彼らと会話するのは、当面の間、私とクーリィとウィラーの三名とする。他には?」
「特には」
彼らは口々に言いながら、肩をすくめたり首を振ってみせたりした。
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