暁にもう一度

伊簑木サイ

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閑話 ルティンの恋

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 指揮官室には、両手足を鎖で繋がれた若い女が椅子に座らされていた。白い豊かな髪がくくられることなく肘の辺りまで流れ、ウィシュタリアやエランサ人より濃い肌色の顔を縁取っていた。

 決して大柄ではないのに、長い手足も体も引き締まり、力に満ちている。無造作に座っている姿は粗野であったが、優雅であり、どこか高貴ですらあった。相当の使い手であることもひしひしと伝わってきた。彼女がおとなしくしているのはその意志によるもので、けっして手足を縛められているからではないと思われた。

 ルティンは扉を入ったところで立ち止まった。不用意に近付くのを恐れたのだ。彼女はまるで不羈の獣だった。隙を見せれば喉笛に食いつかれ、噛み裂かれるだろう。

 異相の瞳がルティンを正面から捉え、射抜くかのようだ。見たこともないほど澄んだ、美しい赤い瞳は深い英知を、金茶の瞳は強い意志を宿して輝いていた。
 彼女は確かに、『軍神』と呼ばれるに相応しい魅力の持ち主だった。ウィシュタリア軍の兵士が姉のために命を惜しまないのと同じに、彼女の下にエーランディアの兵たちもかしずいたのだろう。一見しただけでそう納得させるだけのものが、彼女にはあった。

 ルティンは、強く容赦のない彼女の視線から、一度目をそらした。それでも目で追われている気配がする。特に睨んでいるわけでもないのに、すさまじい眼力だ。
 ルティンは、腹に一物持っているような輩と渡り合うのに、気後れしたことはない。だが彼女のそれは、なんだか頭からバックリ食われそうな勢いで、人間を相手にしているというより、飢えた野生の肉食動物に狙われている気分になる。

 なんにしても、しっかりと腰を据えて話したかった。この手のタイプは、小手先の理論で翻弄することはできないだろう。獣に言葉や理屈が通じないのと同じだ。食うか食われるかしかない。
 しかし今は、食ったり食われたりしたいのではなくて、この猛獣を手懐けたいのだ。だとすれば、腹を割って話すしかない。こちらが策を弄するかぎり、彼女は敏感に感じ取って、決して心を開きはしないだろう。

 ルティンは端に寄せられていた椅子を見つけて、一脚持ってきた。突然食らいつかれない程度の距離をとって腰掛ける。
 それから、意識して心を開いて話しかけた。相手の尊厳を認めて、敵味方ではなく、人として真摯に。彼女はそうされるに足る人間に感じられ、ルティンはそうすることに何の抵抗も覚えなかった。

 ルティンの質問に、彼女はどれも少し考えてから返答してきた。あらかじめ用意されたものをすぐに返すのではなく、その場その場で正確に答えようとしているのが見てとれた。
 そこには、己を庇う素振りが見られなかった。彼女はその権利は失っただろうに、『ウルティア将軍』としての義務と責任を放棄しようとしなかったのだ。その姿は潔よいというより愚直で、ルティンはもどかしさを感じて、胸がざわめいてしかたなかった。
 ルティンの心情とは反対に、彼女は淡々と冷静に答え続けた。その彼女が、ふと小さく呼吸を乱して息をついた。

『だが、私は逃された』

 そう答えた時だった。それまでルティンをひたと見据えていた瞳が、わずかに虚ろになった。遠く、ここではない何かを見ていた。恐らく、逃がされた時のことを。
 その表情に、ルティンはなぜか、初めて船の甲板から、底の見定められない真っ青な海を見下ろした時の感覚を、思い出した。深く重く積み重なって、水底に塗り込められていく青。途方も無く美しく、そして恐ろしく、でも心が吸い込まれて目が離せない光景。

 もっとよく確かめたかった。だから近付いて傍で膝をつき、その瞳を覗きこんだ。ルティンを捉えて、瞳に意志の光が戻る。その美しさに、そこに宿る無辺の深さに、どうしようもなく心が震えた。
 ああ。ここにもある。
 姉が抱く、ルティンが魅せられ惹かれてやまないものと、同じ『思い』が。

 ルティンは時に、姉に雲ひとつ無い空の果てなさを見る。それをなんと言えばいいのか、言葉で表そうとすれば、きっと違うものになってしまう。それでも強いて表すとすれば、祈り、なのだろう。深い愛情と、源を一にする嘆き、そこから立ち上る誰かを守ろうとする強い意志。それとよく似たものが、彼女の中にも確かにあった。

『大丈夫ですか。無理をさせてしまったようですね』

 近くで見れば、よくわかった。彼女の肌には艶が無く、目の下にも隈がある。彼女を支えているのは、強靭な精神力なのだろう。それも今では、少し綻びかけている。

『あと一つだけ、お答えいただけますか?』

 彼女の集中力が途切れがちなのはわかっていた。何かを隠そうという相手なら、ここからが取り調べの本番となる。だが、彼女にそれは必要ない。彼女は嘘を言っていないと、ルティンの直感が告げていた。
 両親の神官の血筋を受け継いだのだろう、ルティンはこの手の直感を外したことがない。

 たとえ、彼女の外に思惑があり、彼女がそれに踊らされていたのだとしても、それは彼女のあずかり知らぬことだ。
 彼女の知っていることは、これから時間をかけて丁寧に聞き出していけばいい。協力的な相手なら、その方が効率的でもある。だから、今はいくつか用意していた質問の中から、最も重要と思われるものを尋ねるにとどめた。

『あなたを逃したのはだれですか?』

 答えを待つルティンに、彼女ははっきり、彼女の意志を伝えるように、エーランディアに不利となるその名を口にした。

『バルトロー・ユースティ二アだ』

 最大の植民地イルチスの総督の名。ならば、彼は現在、この大陸にいない可能性が高い。そしてその存在の有無よりも、彼が聖王に反旗を翻したこと、あるいは聖国を掌握しようとしていることが重要だった。
 今の時点で彼の生死は知れない。だが、生きて聖国の中枢のいくらかでも握ることができていたとしたら、彼女と聖王の首は、彼からのメッセージに他ならないことになる。

 油断はならない。すべてが仮想で、どれ一つとして確かなものはない。それでも、ルティンは知っていた。人の強くまっすぐな思いは、世界を変える力を持つ。姉や王が示してきたように。
 ウルティアと名乗る彼女もまた、強い思いを持っている。のみならず、行動に移した。それが世界に一石を投じてないと、誰が言える?

 どんな小さな石が起こした波紋も、伝わるほどに大きく広がっていく。その波紋が消えないうちに次の手を打つのは、ルティンたちの仕事だ。その石を投げられる位置にいる者は、一握りしかいない。そして、本当に実行できる者は、稀なのだ。

『ありがとうございます』

 ルティンは微笑んで礼を言った。それは、彼女が嘘偽りなく答えてくれたことに対してのものではなかった。そのように、彼女も居合わせた者たちも受け止めるように言ったのは、真意を伝えるべきではないと判断したからだ。けれど、どんな形であろうと、ルティンはどうしても感謝を表しておきたかったのだ。
 事態を変える一手を打ってくれた、彼女の意志と、己の命も顧みぬ、その覚悟に。
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