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幕間
家族の団欒、あるいは鼻水の魔法1
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ルシアンが食事の様子を見にいくと部屋を出ていった。
しばらくしてメシの載ったワゴンを押して入ってきたのは、なぜか母だった。
母はベッドの上で座っている俺を見て泣きそうに微笑むと、ワゴンを置き去りにして駆けよってきた。ベッドの縁から身をのりだして、俺の手をとる。
「ああ、ブラッド、よかった。わたくしのことが、わかる?」
「うん。わかるよ、母さん」
俺は自分が口にした呼び名に驚いた。あれ? 今、初めて母さんって言ったよ、俺。
母もびっくりした表情で俺を見ている。俺は照れて笑った。母の長い下睫にささえられて、涙がもりあがる。それがきらきらと光る。
「ブラッド」
母はそう呼んで涙をこぼすと、俺の手を握った上に顔を伏せて、そのまま泣きだした。
俺は姿勢を変えてもう一方の手を伸ばし、彼女の肩に触れた。そして、彼女が泣き止むまで、その肩を撫で続けたのだった。
……というのは嘘だ。そうだったらカッコよかったのに、という話だ。
俺は、三撫で目には、母の肩を揺すった。
「ごめん、母さん、メシください」
母は、まあ、と言って顔をあげると、空腹のあまり情けない顔をしている俺を見て、くすくすと笑った。そうだったわね、すぐに準備するわ、と、涙を拭きながらベッドを離れる。
そうしてやっと目の前に粥の入った皿が用意された。空腹のせいでぶるぶると震える手を伸ばす。ああ、うまそうな匂いだ。むしゃぶりついて器ごと飲みくだしたい。
しかし、手が届こうとする瞬間、皿が遠くへと引っ込められた。
「か、かあさん?」
頼む。頼むから、メシください。
「だめですよ、ブラッド。おなかがびっくりしてしまいますからね。ゆっくりいただかないと」
いや、もう、限界なんです。目の焦点も合わないような気がするんです。そんな悠長なことしてられないんです!!
「どーでもいいから」
さっさとよこせ。メシよこせ!! とは上品な母に向かって言えず、俺は出したままの手を、届かないのがわかっていながらも、もっと伸ばした。
「はい、はい。いい子ね~」
母は一口すくった粥に、ふうと息を吹きかけて冷ましてから、口元に持ってくる。
「はい、あーん。ブラッド?」
俺は恥も外聞も忘れて、それに食いついた。絶妙のタイミングでスプーンが引き抜かれ、味わいもせずに飲みくだす。
「おいしい? はい、あーん」
そうしてまたすぐさま繰りだされるスプーン。それを俺は無我夢中でしゃぶった。眼前に現れる食い物に、とにかく食らいつかずにはいられなかったのだ。
しばらくして少々腹がふくれてきたところで、やっとハタと我に返る。すると一瞬で理性が常識の蓋を開け、その中から羞恥心がすごい勢いで噴き出してきた。
あーんとかって、幼児かバカップルのイタイ所業そのものじゃないか!!
「えーと。後は自分で食べられるから、かしてください」
俺は恥ずかしさを振り払おうと、勢いよく両手をつきだした。
「あん。ダメですよ。わたくしが、やりたいの。やらせて? ね、ブラッド?」
母があくまでも賢母の微笑で、しかし、反則的なほど可愛らしくおねだりしてくる。
胸の奥が、きゅうっときた。傾げた首の角度が、自然にくねった腰が、上目遣いの瞳がぁっ。なんですか、その破壊力は。うおお。可愛い、愛しい、綺麗だ、駄目だ、逆らえない。
「……しかたないなあ」
俺は内心の動揺は押し隠して、ふっと軽く溜息をついてみせた。うん。俺、今、病みあがりだし、俺たち病人と看病人だしな。恥ずかしいことないよな?
「今日だけだよ」
「ふふふ。じゃあ、今日は、いっぱい甘えてちょうだいな」
楽しげな母の様子に、俺の心も明るくなる。
「うん。ありがとう、母さん」
すんごく照れくさいが、化け物じみた色気たっぷりでねっとりと攻められるよりも、一億倍ほど健康的だ。
俺はベッドの上で口を開いて、次の一口を待ち受けた。
……待ち受けていたのだが。
「いいかげん失せろ、クソババア」
玲瓏たる朗らかな声の罵詈雑言が耳に飛び込んできて、俺は動きを止めた。扉からつかつかとルシアンが急ぎ足でやってきて、母からスプーンをとりあげようとする。奴はその間ずっと、キラキラしく爽やかな笑顔を崩さなかった。
対する母は、ついっとその手をよけ、ルシアンそっくりに笑みを深める。
「あら。いけない子ですね、ルシアンは。そんな言葉遣いをしてはいけませんよ。ああ、もしかして、これが反抗期というものかしら。まあ、困ったわ。ルシアンは思春期という暗い帳の中にいるのね。でも、大丈夫よ、ルシアン。明けない夜はないのですからね」
うふふふ。母はまくしたてるだけまくしたてると、やはり賢母の微笑を浮かべた。見当違いな言葉の数々は、完全にあてこすりに聞こえるのだが、こちらも発言内容と表情が一致していない。
二人の間に熱い何かが渦を巻く。
「頭のゆるい妄想するな、クソババア。医務室行って、脳みそ縮んでないか見てもらってこい」
「まあ、ありがとう、ルシアン。わたくしの健康の心配をしてくれるなんて。グレてもいい子ね」
どうも、母の方が一枚上手なようだ。ルシアンから急激に殺気が漏れだしてきている気がする。それにしても、ずいぶんお互いに遠慮がない。
俺は疑問に思ったことを口にした。
「いつの間に、そんなに仲良くなったんだ?」
すると間髪入れず、二人はクルリとこちらへ顔を向けた。良く似た顔が、同時に喋りだす。
「何言ってんの、こんなババアと仲良くなった覚えはないよ!!」
「おほほ。もちろんブラッドも愛していますよ」
俺は思わずふきだした。
一見違うことを言ってるようだが、内容は同じだろう。しかも、表情までそっくりって。
「あはははは」
俺は堪らなくなって、ベッドを叩きながら笑い転げたのだった。
しばらくしてメシの載ったワゴンを押して入ってきたのは、なぜか母だった。
母はベッドの上で座っている俺を見て泣きそうに微笑むと、ワゴンを置き去りにして駆けよってきた。ベッドの縁から身をのりだして、俺の手をとる。
「ああ、ブラッド、よかった。わたくしのことが、わかる?」
「うん。わかるよ、母さん」
俺は自分が口にした呼び名に驚いた。あれ? 今、初めて母さんって言ったよ、俺。
母もびっくりした表情で俺を見ている。俺は照れて笑った。母の長い下睫にささえられて、涙がもりあがる。それがきらきらと光る。
「ブラッド」
母はそう呼んで涙をこぼすと、俺の手を握った上に顔を伏せて、そのまま泣きだした。
俺は姿勢を変えてもう一方の手を伸ばし、彼女の肩に触れた。そして、彼女が泣き止むまで、その肩を撫で続けたのだった。
……というのは嘘だ。そうだったらカッコよかったのに、という話だ。
俺は、三撫で目には、母の肩を揺すった。
「ごめん、母さん、メシください」
母は、まあ、と言って顔をあげると、空腹のあまり情けない顔をしている俺を見て、くすくすと笑った。そうだったわね、すぐに準備するわ、と、涙を拭きながらベッドを離れる。
そうしてやっと目の前に粥の入った皿が用意された。空腹のせいでぶるぶると震える手を伸ばす。ああ、うまそうな匂いだ。むしゃぶりついて器ごと飲みくだしたい。
しかし、手が届こうとする瞬間、皿が遠くへと引っ込められた。
「か、かあさん?」
頼む。頼むから、メシください。
「だめですよ、ブラッド。おなかがびっくりしてしまいますからね。ゆっくりいただかないと」
いや、もう、限界なんです。目の焦点も合わないような気がするんです。そんな悠長なことしてられないんです!!
「どーでもいいから」
さっさとよこせ。メシよこせ!! とは上品な母に向かって言えず、俺は出したままの手を、届かないのがわかっていながらも、もっと伸ばした。
「はい、はい。いい子ね~」
母は一口すくった粥に、ふうと息を吹きかけて冷ましてから、口元に持ってくる。
「はい、あーん。ブラッド?」
俺は恥も外聞も忘れて、それに食いついた。絶妙のタイミングでスプーンが引き抜かれ、味わいもせずに飲みくだす。
「おいしい? はい、あーん」
そうしてまたすぐさま繰りだされるスプーン。それを俺は無我夢中でしゃぶった。眼前に現れる食い物に、とにかく食らいつかずにはいられなかったのだ。
しばらくして少々腹がふくれてきたところで、やっとハタと我に返る。すると一瞬で理性が常識の蓋を開け、その中から羞恥心がすごい勢いで噴き出してきた。
あーんとかって、幼児かバカップルのイタイ所業そのものじゃないか!!
「えーと。後は自分で食べられるから、かしてください」
俺は恥ずかしさを振り払おうと、勢いよく両手をつきだした。
「あん。ダメですよ。わたくしが、やりたいの。やらせて? ね、ブラッド?」
母があくまでも賢母の微笑で、しかし、反則的なほど可愛らしくおねだりしてくる。
胸の奥が、きゅうっときた。傾げた首の角度が、自然にくねった腰が、上目遣いの瞳がぁっ。なんですか、その破壊力は。うおお。可愛い、愛しい、綺麗だ、駄目だ、逆らえない。
「……しかたないなあ」
俺は内心の動揺は押し隠して、ふっと軽く溜息をついてみせた。うん。俺、今、病みあがりだし、俺たち病人と看病人だしな。恥ずかしいことないよな?
「今日だけだよ」
「ふふふ。じゃあ、今日は、いっぱい甘えてちょうだいな」
楽しげな母の様子に、俺の心も明るくなる。
「うん。ありがとう、母さん」
すんごく照れくさいが、化け物じみた色気たっぷりでねっとりと攻められるよりも、一億倍ほど健康的だ。
俺はベッドの上で口を開いて、次の一口を待ち受けた。
……待ち受けていたのだが。
「いいかげん失せろ、クソババア」
玲瓏たる朗らかな声の罵詈雑言が耳に飛び込んできて、俺は動きを止めた。扉からつかつかとルシアンが急ぎ足でやってきて、母からスプーンをとりあげようとする。奴はその間ずっと、キラキラしく爽やかな笑顔を崩さなかった。
対する母は、ついっとその手をよけ、ルシアンそっくりに笑みを深める。
「あら。いけない子ですね、ルシアンは。そんな言葉遣いをしてはいけませんよ。ああ、もしかして、これが反抗期というものかしら。まあ、困ったわ。ルシアンは思春期という暗い帳の中にいるのね。でも、大丈夫よ、ルシアン。明けない夜はないのですからね」
うふふふ。母はまくしたてるだけまくしたてると、やはり賢母の微笑を浮かべた。見当違いな言葉の数々は、完全にあてこすりに聞こえるのだが、こちらも発言内容と表情が一致していない。
二人の間に熱い何かが渦を巻く。
「頭のゆるい妄想するな、クソババア。医務室行って、脳みそ縮んでないか見てもらってこい」
「まあ、ありがとう、ルシアン。わたくしの健康の心配をしてくれるなんて。グレてもいい子ね」
どうも、母の方が一枚上手なようだ。ルシアンから急激に殺気が漏れだしてきている気がする。それにしても、ずいぶんお互いに遠慮がない。
俺は疑問に思ったことを口にした。
「いつの間に、そんなに仲良くなったんだ?」
すると間髪入れず、二人はクルリとこちらへ顔を向けた。良く似た顔が、同時に喋りだす。
「何言ってんの、こんなババアと仲良くなった覚えはないよ!!」
「おほほ。もちろんブラッドも愛していますよ」
俺は思わずふきだした。
一見違うことを言ってるようだが、内容は同じだろう。しかも、表情までそっくりって。
「あはははは」
俺は堪らなくなって、ベッドを叩きながら笑い転げたのだった。
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