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7-偽りの聖女
74.少女、オカズにされる。
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「うぃーっと、夜の見回りぃも、ラクじゃないんだぜーぇっっとくらぁ! ヒック」
月明りの下、足元のおぼつかない男のシルエットがふらふらと左右に揺れる。ブロニィ村の住人である彼は自警団の詰め所……とは名ばかりの物置小屋の前で渡された警棒を肩に担ぎ、こちらは自宅からこっそりと持ってきていたスキットルを、グッと呷る。
「てやんでぇ! 女がそんなに偉いのかよぉ、誰のおかげで喰ってけると思ってんだばぁぁーろぉぉぉ」
彼はぽたぽたと最後の滴が落ちるのを確認して、ケッと足元の砂を蹴った。
とにかく今日は朝から付いていなかった。昨晩、仲間内で朝まで飲み明かした自分も悪かったが、朝から不機嫌な女房にどなられ家の雑用を厭々こなし、割れるように痛む頭を抱えつつ村から少し離れた場所にあるクレナ畑の世話をして、そして疲れて帰ってきたところでまたガミガミ。ふて寝を決め込もうとしたところで今日の夜警の見回り当番グループだったことを思い出したのだ。ブツクサと文句を垂れながらやる気なく歩みを進める。
「っったくよぉぉ、ニチカちゃんのコンサートも見逃すしよぉぉ」
先日からこの村に滞在している聖女様は、なんでも世界を救うために旅をしているのだとか。その旅費を稼ぐために公演をしているとのウワサを聞いて自分も見に行かねば!と決意したのが昨日の事。酒が入っていたこともありすっかり忘れていた。
「おーれも救ってくれねぇぇかなぁぁ、聖女ちゅわぁぁ~ん」
酔っ払いのたわごとが夜の空に消えていく。その時、男の視界に丘のふもとにポツンと立つ建物が入った。村から外れた場所にあるその石牢は、この平和なブロニィ村ではめった使われることがないのだが、今日はめずらしく収容されている人物がいるらしい。見回りルートにそこも含まれていることを思い出した男は、フラつきながら斜面を下り始めた。
「おらぁ! 囚人ども大人しくしてるかー!」
警棒をやたらと振り回しながら近づいた時、押し殺したような悲鳴が中から聞こえてきた。
「お?」
どうやら若い女の声のようで、悩ましげな吐息が断続的に聞こえる。かんぬきを外そうと手をかけたその時、
――あっ、あっ、だめ、ぇっ
一際大きな喘ぎ声が聞こえ、扉の外の男はゴクリと喉を鳴らした。そういえば聞いた話では旅の若い男女が放り込まれているとか……。ニヤと笑った男は牢の裏手へ回った。
「へっへっへ、若いってのはいいねぇ」
こっそり中をのぞき込もうとするが、ボロ布が内側から張られており見ることができない。だが中の喘ぎ声はますます激しくなっていく。
(つまんねぇ見回りだと思ってたが、こいつはどうしてなかなか。ここんとこかーちゃんともご無沙汰だったからなぁ)
窓を背に茂みの中に隠れるようしゃがんだ男は、カチャカチャとベルトをはずし始めた。
***
「見ろ、自分でなぐさめ始めたぞ。足止め成功だ」
「いやぁぁー! 聞こえない聞こえない! 絶対見ないから!」
その酔っ払いの情けない姿を、オズワルドは小さな川を挟んだ木立の中から観察していた。その足元で真っ赤になったニチカが後ろ向きのまま耳を抑え頭をブンブンと振る。自分の声が自慰の材料にされているなど、想像しただけで卒倒しそうだ。真面目な顔をしたオズワルドは冷静に今回使った魔女道具の解説を始めた。
「『木霊(こだま)鳥』は覚えさせた音を繰り返すだけの単純な道具だが、こういう工作にはもってこいだな」
「いいから早く行こうよっ」
少女はバッと立ち上がって木立の中を進んでいく。すぐに向こう側に抜けて土手に突き当たった。そこを足音荒く上がりながら憤懣やるせなく叫ぶ。
「まったくもう!」
またも、またしても騙されたのだという屈辱にニチカは打ちのめされていた。さきほどの情事は全て演技。甘い言葉も、態度も、切なくかすれるような低い声も
――ずっと俺のそばに居ろ
「っ……」
じわりと滲んだ涙を気合いでひっこめ、丘の上で振り返る。後からやってきた黒い影に向かって叩きつけるように叫んだ。
「ああいう作戦なら最初から説明してくれればいいじゃないっ! この鬼! 悪魔!」
「敵を騙すには味方からという言葉を知らんのか。それに説明したところでどうなる? お前に演技ができるとは思えないが」
「失礼ね! 私だってその気になれば――」
「やってみろ」
急な切り返しに一瞬呆けたニチカだったが、散々迷った挙句に数学の難問を解いているようなしかめっ面でその一言を発した。
「あ、あはん」
ブッ! と、盛大に吹き出したオズワルドが顔をそむけて震えだす。激昂したニチカは拳を握りしめた。
「ちょっ、やれって言ったのはそっちのくせに!」
「ぶっ、っくく……やめ……ツボに入っ……」
「~~っ!!」
数歩戻った少女はその背中にドスッと一発たたき込む。だが心底ツボに入ったらしい男はとうとう声を上げ笑い始めた。
「もう知らない!」
怒れる背中を見せながら遠ざかっていく少女に、オズワルドは笑いすぎて涙がにじむ目を向けた。本当にからかいがいのある女だ。打てば響くように反応が返ってくる。こんなに笑ったのはいつぶりだろうかと考え、そもそも自分に笑い転げるような機会があっただろうかとふと真顔になる。
「……」
騙すという体ではあったが、囁いた睦言は本当に演技だけのものだったろうか? 唐突に湧きあがった欲情は、すがりつく少女に感じた愛しさは
(……まさか、な)
幸か不幸か、男はそこで考えることを止めた。役に入り込みすぎただけだと己を納得させニチカの後を追う。むくれてこちらを見ようともしないその小さな頭を、なぜか唐突に撫でたいと思った。
「わっ!?」
驚いて声を上げる少女を無遠慮に、まるで犬でも撫でるように髪をかき乱す。まるで聞き分けのない子に言い聞かせるよう苦笑しながら口を開いた。
「そう怒るな、あんな事態になったのはお前のせいでもあるんだぞ」
「わかってるってば、次からは気を付ける……から、やめてよもうっ」
振り払おうとした手を無意識に捕らえる。立ち止まってじっと覗き込んでやれば、さきほどの事を思い出したのか、ニチカは、あぅあぅと呻きながら耳まですぐに染まっていった。その様子が少しだけ可愛いと思ってしまった。不覚にも。
「お前なんか、玩具だ」
「はっ?」
だから宣言しておいた。こんな子供に自分が本気になどなるわけない、と。
「オモチャだ、ペットだ、そこんとこ勘違いするなよ」
「それこそわかってるわよ! 契約だからって言うんでしょ」
手を振りほどきながらニチカは目を吊り上げる。その言葉にオズワルドはふと師弟関係を結ぶかどうかの賭けをした時のことを思い出した。
――このカードのうち、一枚はスペードのエース。一枚はジョーカーだ。エースを引いたのなら連れてってやるよ
実を言えばこの男、端(はな)から勝負をする気など全くなかった。少女が確かめないのをいいことに、掲げた二枚のカードは両方ジョーカーだったのだ。本当に過去の自分を殴りたい。みすみすこんな面白いものを捨てるところだった。軽く口の端を吊り上げながら、オズワルドは問いかける。
「なぁニチカ、世界はお前の望む通りに動いているか?」
「?」
でなければ、どうしてあの時ジョーカーがエースに変化したのか分からない。神(イニ)の加護だとでも言うのだろうか。少し考えていた少女は、しばらくして小さな声で答えた。
「……質問の意味がよくわからないけど、今のとこひとつだけ除いて順調」
「一つだけ? なんだ?」
ここでこちらをキッとにらみつけてきた少女は、なぜか頬を染めながら怒ったように言った。
「言わないっ、あなただけにはぜっっったいに言わないんだから!」
「はぁ?」
「もうこの話はおしまい! 早くいこうってば」
なぜ自分だけには言わないのか。少しムッとしたオズワルドはその後を追いながらしつこく訊ねた。
「おい待て、師匠である俺にだけ隠し事とはなんだ。他の奴になら言うのか?」
「うるさいなぁ、こんな時だけ師匠面しないでよ」
「今日のお前、少しおかしくないか?」
「あなたの方がよっぽどヘンだから!」
わぁわぁと喚き続ける二人に、村人が誰も気づかないのは幸運としか言いようがなかった。
***
「ここにあの偽者が居るのね」
昼間つかまったステージに戻ってきた二人は、その後ろに構える大きな屋敷を見上げていた。固い表情をするその姿は絶えず変色する煙に覆われている。例によってオズワルドの魔女道具『隠れ玉』の効果だ。辺りに人影がないことを確かめた師匠は肩を一つ叩いて促した。
「行くぞ」
月明りの下、足元のおぼつかない男のシルエットがふらふらと左右に揺れる。ブロニィ村の住人である彼は自警団の詰め所……とは名ばかりの物置小屋の前で渡された警棒を肩に担ぎ、こちらは自宅からこっそりと持ってきていたスキットルを、グッと呷る。
「てやんでぇ! 女がそんなに偉いのかよぉ、誰のおかげで喰ってけると思ってんだばぁぁーろぉぉぉ」
彼はぽたぽたと最後の滴が落ちるのを確認して、ケッと足元の砂を蹴った。
とにかく今日は朝から付いていなかった。昨晩、仲間内で朝まで飲み明かした自分も悪かったが、朝から不機嫌な女房にどなられ家の雑用を厭々こなし、割れるように痛む頭を抱えつつ村から少し離れた場所にあるクレナ畑の世話をして、そして疲れて帰ってきたところでまたガミガミ。ふて寝を決め込もうとしたところで今日の夜警の見回り当番グループだったことを思い出したのだ。ブツクサと文句を垂れながらやる気なく歩みを進める。
「っったくよぉぉ、ニチカちゃんのコンサートも見逃すしよぉぉ」
先日からこの村に滞在している聖女様は、なんでも世界を救うために旅をしているのだとか。その旅費を稼ぐために公演をしているとのウワサを聞いて自分も見に行かねば!と決意したのが昨日の事。酒が入っていたこともありすっかり忘れていた。
「おーれも救ってくれねぇぇかなぁぁ、聖女ちゅわぁぁ~ん」
酔っ払いのたわごとが夜の空に消えていく。その時、男の視界に丘のふもとにポツンと立つ建物が入った。村から外れた場所にあるその石牢は、この平和なブロニィ村ではめった使われることがないのだが、今日はめずらしく収容されている人物がいるらしい。見回りルートにそこも含まれていることを思い出した男は、フラつきながら斜面を下り始めた。
「おらぁ! 囚人ども大人しくしてるかー!」
警棒をやたらと振り回しながら近づいた時、押し殺したような悲鳴が中から聞こえてきた。
「お?」
どうやら若い女の声のようで、悩ましげな吐息が断続的に聞こえる。かんぬきを外そうと手をかけたその時、
――あっ、あっ、だめ、ぇっ
一際大きな喘ぎ声が聞こえ、扉の外の男はゴクリと喉を鳴らした。そういえば聞いた話では旅の若い男女が放り込まれているとか……。ニヤと笑った男は牢の裏手へ回った。
「へっへっへ、若いってのはいいねぇ」
こっそり中をのぞき込もうとするが、ボロ布が内側から張られており見ることができない。だが中の喘ぎ声はますます激しくなっていく。
(つまんねぇ見回りだと思ってたが、こいつはどうしてなかなか。ここんとこかーちゃんともご無沙汰だったからなぁ)
窓を背に茂みの中に隠れるようしゃがんだ男は、カチャカチャとベルトをはずし始めた。
***
「見ろ、自分でなぐさめ始めたぞ。足止め成功だ」
「いやぁぁー! 聞こえない聞こえない! 絶対見ないから!」
その酔っ払いの情けない姿を、オズワルドは小さな川を挟んだ木立の中から観察していた。その足元で真っ赤になったニチカが後ろ向きのまま耳を抑え頭をブンブンと振る。自分の声が自慰の材料にされているなど、想像しただけで卒倒しそうだ。真面目な顔をしたオズワルドは冷静に今回使った魔女道具の解説を始めた。
「『木霊(こだま)鳥』は覚えさせた音を繰り返すだけの単純な道具だが、こういう工作にはもってこいだな」
「いいから早く行こうよっ」
少女はバッと立ち上がって木立の中を進んでいく。すぐに向こう側に抜けて土手に突き当たった。そこを足音荒く上がりながら憤懣やるせなく叫ぶ。
「まったくもう!」
またも、またしても騙されたのだという屈辱にニチカは打ちのめされていた。さきほどの情事は全て演技。甘い言葉も、態度も、切なくかすれるような低い声も
――ずっと俺のそばに居ろ
「っ……」
じわりと滲んだ涙を気合いでひっこめ、丘の上で振り返る。後からやってきた黒い影に向かって叩きつけるように叫んだ。
「ああいう作戦なら最初から説明してくれればいいじゃないっ! この鬼! 悪魔!」
「敵を騙すには味方からという言葉を知らんのか。それに説明したところでどうなる? お前に演技ができるとは思えないが」
「失礼ね! 私だってその気になれば――」
「やってみろ」
急な切り返しに一瞬呆けたニチカだったが、散々迷った挙句に数学の難問を解いているようなしかめっ面でその一言を発した。
「あ、あはん」
ブッ! と、盛大に吹き出したオズワルドが顔をそむけて震えだす。激昂したニチカは拳を握りしめた。
「ちょっ、やれって言ったのはそっちのくせに!」
「ぶっ、っくく……やめ……ツボに入っ……」
「~~っ!!」
数歩戻った少女はその背中にドスッと一発たたき込む。だが心底ツボに入ったらしい男はとうとう声を上げ笑い始めた。
「もう知らない!」
怒れる背中を見せながら遠ざかっていく少女に、オズワルドは笑いすぎて涙がにじむ目を向けた。本当にからかいがいのある女だ。打てば響くように反応が返ってくる。こんなに笑ったのはいつぶりだろうかと考え、そもそも自分に笑い転げるような機会があっただろうかとふと真顔になる。
「……」
騙すという体ではあったが、囁いた睦言は本当に演技だけのものだったろうか? 唐突に湧きあがった欲情は、すがりつく少女に感じた愛しさは
(……まさか、な)
幸か不幸か、男はそこで考えることを止めた。役に入り込みすぎただけだと己を納得させニチカの後を追う。むくれてこちらを見ようともしないその小さな頭を、なぜか唐突に撫でたいと思った。
「わっ!?」
驚いて声を上げる少女を無遠慮に、まるで犬でも撫でるように髪をかき乱す。まるで聞き分けのない子に言い聞かせるよう苦笑しながら口を開いた。
「そう怒るな、あんな事態になったのはお前のせいでもあるんだぞ」
「わかってるってば、次からは気を付ける……から、やめてよもうっ」
振り払おうとした手を無意識に捕らえる。立ち止まってじっと覗き込んでやれば、さきほどの事を思い出したのか、ニチカは、あぅあぅと呻きながら耳まですぐに染まっていった。その様子が少しだけ可愛いと思ってしまった。不覚にも。
「お前なんか、玩具だ」
「はっ?」
だから宣言しておいた。こんな子供に自分が本気になどなるわけない、と。
「オモチャだ、ペットだ、そこんとこ勘違いするなよ」
「それこそわかってるわよ! 契約だからって言うんでしょ」
手を振りほどきながらニチカは目を吊り上げる。その言葉にオズワルドはふと師弟関係を結ぶかどうかの賭けをした時のことを思い出した。
――このカードのうち、一枚はスペードのエース。一枚はジョーカーだ。エースを引いたのなら連れてってやるよ
実を言えばこの男、端(はな)から勝負をする気など全くなかった。少女が確かめないのをいいことに、掲げた二枚のカードは両方ジョーカーだったのだ。本当に過去の自分を殴りたい。みすみすこんな面白いものを捨てるところだった。軽く口の端を吊り上げながら、オズワルドは問いかける。
「なぁニチカ、世界はお前の望む通りに動いているか?」
「?」
でなければ、どうしてあの時ジョーカーがエースに変化したのか分からない。神(イニ)の加護だとでも言うのだろうか。少し考えていた少女は、しばらくして小さな声で答えた。
「……質問の意味がよくわからないけど、今のとこひとつだけ除いて順調」
「一つだけ? なんだ?」
ここでこちらをキッとにらみつけてきた少女は、なぜか頬を染めながら怒ったように言った。
「言わないっ、あなただけにはぜっっったいに言わないんだから!」
「はぁ?」
「もうこの話はおしまい! 早くいこうってば」
なぜ自分だけには言わないのか。少しムッとしたオズワルドはその後を追いながらしつこく訊ねた。
「おい待て、師匠である俺にだけ隠し事とはなんだ。他の奴になら言うのか?」
「うるさいなぁ、こんな時だけ師匠面しないでよ」
「今日のお前、少しおかしくないか?」
「あなたの方がよっぽどヘンだから!」
わぁわぁと喚き続ける二人に、村人が誰も気づかないのは幸運としか言いようがなかった。
***
「ここにあの偽者が居るのね」
昼間つかまったステージに戻ってきた二人は、その後ろに構える大きな屋敷を見上げていた。固い表情をするその姿は絶えず変色する煙に覆われている。例によってオズワルドの魔女道具『隠れ玉』の効果だ。辺りに人影がないことを確かめた師匠は肩を一つ叩いて促した。
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