22 / 42
#22 はじまりの足音(1)
しおりを挟む
最近、ライラは早朝に目を覚ます。
両手を開いて、体力が回復していることを確認し、拳を握り込む。「もう起きてますのぉ?」と部屋に入る侍女のミリアンに、おはようと抱きつく。窓をコンコンと叩く音に振り返れば、虹色の鳥がライラを窺っていた。目も鼻も無いその鳥はライラの手に降り立つと、虹色の光を放ちながら数枚の便箋へと姿を変えた。兄たちの母親であるフルーレからの手紙だ。あちこちを気ままに漫遊しているフルーレからは、時折こうやって手紙が届く。どこの土地で食べたコレが美味しかっただの、今の彼女との相性がばっちりだの――そう、彼女である――内容は雑談だ。ライラはいつも楽しみにしており、何も書いていない残りの便箋に返事を書いて鳥を飛ばす。フルーレの魔術がかかっており、ライラが何をしなくとも、送り主の元へ飛び立っていってくれるのだ。今朝の返事は帰宅してからゆっくり書こうと便箋を引き出しにしまい、階下に降りる。
朝食を食べ、両親と話し、居間に降りてきた次兄ファルマスのキスを額に受け、寝坊しがちの長兄アルフォードを起こしに行く。「キスしてくれたら起きます」と寝惚けたことを言う兄に、ライラは頬にキスをする。「おはようライラ。今日も可愛いですよ」ご機嫌に微笑んだ兄に頭を撫でられる。
ヨハンからお弁当をもらい、ぎゅっと抱きしめられ抱きしめ返し、門を出て学園へと《転移》する。学園への《転移》はさすがに慣れて、問題なく扱えるようになった。
今日もいつもと変わりない一日の始まり。
「おはようライラ。キャロンも」
レオナルドの登校時間は遅めである。キャロンと話しているライラの後ろを通り過ぎるとき、頭をポンポンと撫でられるのが日課となっている。
「レオおはよー」「おはようございます」
レオナルドは意外と軽いスキンシップを好むらしい。特に楽しそうなのは、ライラの左目の下にある黒子を撫でること。隣の席についてから、長い右腕を伸ばしライラの頬を片手で包んでくる。黒子の位置あたりを親指で優しくさすられる。
「なーに?」
「別に、何でも?」
ライラはされるがまま、レオナルドのしたいようにさせている。彼の目元が綻んで優しく笑うので、悪くないなと思いながら黙って見つめている。
キャロンはこれ見よがしにため息をついた。「これで付き合ってないとか……」とか聞こえたような、気のせいのような。
「なぁ、今度の休み、一緒に北嶺行かねぇ?」
「北嶺?」
北嶺とは、名前の通り魔界の北に位置する地だ。険しい山々がそびえる、融けることのない雪の大地。日照時間も少なく、闇の深淵のような夜が訪れる。広大な森と峻嶽には、未踏の領域もあるという。
「一族の別邸がいくつかあるんだ。建物保存の魔術はかけてあるけど、一応定期的に見に行っててな。北嶺、淫魔はあんまり行かないだろ? 興味あったらどうかと思って」
「北嶺は大狼族や大山羊族の領域みたいなもんですわよねぇ。いいんじゃないですの、ライラ」
「行ってみたい! ただ、私一人での《転移》はできないと思う」
基礎演習の魔術すら覚束ないライラが、遠い北の果ての北嶺まで《転移》できる訳もない。
「それは俺に任せろ。途中からは《転移》もできない区域に入るしな。キャロンはどうする?」
「えっ、私も、ですの? ううう嬉しいですけど、貴方、てっきり遠回しにデー……ゴニョゴニョ」
「? 行きたくないなら無理に誘わないけど」
「……本気で私も誘ってるのですね? ええと、次の休みは家の予定があったかもしれません。確認してからでいいですか?」
「おう、分かった」
「キャロンちゃんも一緒に行けるといいなぁ」
「無理そうなら別の日でもいいしなぁ」
「……二人で行けばいいですのよ、二人で」
少し怒っているようにも見えるキャロンの頬は赤く、口元は抑えきれない笑みの形だった。
ライラの三限は薬学基礎である。今日は学園内にある薬草園で実習を行う予定だ。温室の広さは教室が三クラス分入るくらい、高さは二階建て程で、三角屋根のガラス張りで造られている。それが横に三つ並んで建ってあり、ライラは一番左の第一温室に入った。早く来たため一番乗りかと思ったが、先客が一人いた。同学年の女子であり、煙々羅という妖系統の出で名前はユキ。いつも穏やかにしている彼女が、ぼんやり虚空を見つめていた。よく見ると顔色が真っ青である。
「ユキさん? だ、大丈夫?」
ライラが声をかけると、ユキがゆっくりとライラの方を向いた。うまく焦点の合わない目で「……ライラさん、ですか?」と小さく言う。普通ではないその様子にライラは慌てた。
「ねぇ、具合悪そうだよ。医務室に行った方がいいんじゃないかな? 一緒に行こう?」
「そうですね……医務室。ああ、でも、これ……」
ユキは実習用具等を置いてある机の上を指した。薬草図鑑や調合教本の本が積まれている。
「私……これの準備をしなくちゃいけなかったのだけど、本を間違えてしまったの。これを返して、取りに、行かなきゃ」
「分かった、私がするよ。ユキさんは医務室に行こう?」
「……ライラさんが、これを持って、行ってくれるのなら……。そう、私は、医務室に」
かなりぼんやりしている様子が不安である。ライラは一緒について行くと言ったが、「大丈夫だから、それよりも実習準備を、お願い」と念を押されてしまった。心もとない足取りで歩くユキを見送り、ライラは間違いの調合教本を持って、教えてもらった四号棟の第五準備室へと向かう。よりにもよって四号棟とは、学園内でも外れの方にある。
(でも四号棟って、主に部活動で使ってる棟だよね。授業でも使うのかな?)
駆け足で向かったが、四号棟に着くころにはもう講義開始時間が迫っていた。理由があるので先生も咎めはしないだろうが。
四号棟の中はしんと静まっていた。ライラは一瞬寒気を感じ、身震いした。人気がないからだろう。
「第五、第五、第五……あ、あった」
ライラが教室の扉を開いて一歩足を踏み入れたとき、手元の調合教本と足元が光った。目が眩むほどの魔術光がライラを襲う。
両手を開いて、体力が回復していることを確認し、拳を握り込む。「もう起きてますのぉ?」と部屋に入る侍女のミリアンに、おはようと抱きつく。窓をコンコンと叩く音に振り返れば、虹色の鳥がライラを窺っていた。目も鼻も無いその鳥はライラの手に降り立つと、虹色の光を放ちながら数枚の便箋へと姿を変えた。兄たちの母親であるフルーレからの手紙だ。あちこちを気ままに漫遊しているフルーレからは、時折こうやって手紙が届く。どこの土地で食べたコレが美味しかっただの、今の彼女との相性がばっちりだの――そう、彼女である――内容は雑談だ。ライラはいつも楽しみにしており、何も書いていない残りの便箋に返事を書いて鳥を飛ばす。フルーレの魔術がかかっており、ライラが何をしなくとも、送り主の元へ飛び立っていってくれるのだ。今朝の返事は帰宅してからゆっくり書こうと便箋を引き出しにしまい、階下に降りる。
朝食を食べ、両親と話し、居間に降りてきた次兄ファルマスのキスを額に受け、寝坊しがちの長兄アルフォードを起こしに行く。「キスしてくれたら起きます」と寝惚けたことを言う兄に、ライラは頬にキスをする。「おはようライラ。今日も可愛いですよ」ご機嫌に微笑んだ兄に頭を撫でられる。
ヨハンからお弁当をもらい、ぎゅっと抱きしめられ抱きしめ返し、門を出て学園へと《転移》する。学園への《転移》はさすがに慣れて、問題なく扱えるようになった。
今日もいつもと変わりない一日の始まり。
「おはようライラ。キャロンも」
レオナルドの登校時間は遅めである。キャロンと話しているライラの後ろを通り過ぎるとき、頭をポンポンと撫でられるのが日課となっている。
「レオおはよー」「おはようございます」
レオナルドは意外と軽いスキンシップを好むらしい。特に楽しそうなのは、ライラの左目の下にある黒子を撫でること。隣の席についてから、長い右腕を伸ばしライラの頬を片手で包んでくる。黒子の位置あたりを親指で優しくさすられる。
「なーに?」
「別に、何でも?」
ライラはされるがまま、レオナルドのしたいようにさせている。彼の目元が綻んで優しく笑うので、悪くないなと思いながら黙って見つめている。
キャロンはこれ見よがしにため息をついた。「これで付き合ってないとか……」とか聞こえたような、気のせいのような。
「なぁ、今度の休み、一緒に北嶺行かねぇ?」
「北嶺?」
北嶺とは、名前の通り魔界の北に位置する地だ。険しい山々がそびえる、融けることのない雪の大地。日照時間も少なく、闇の深淵のような夜が訪れる。広大な森と峻嶽には、未踏の領域もあるという。
「一族の別邸がいくつかあるんだ。建物保存の魔術はかけてあるけど、一応定期的に見に行っててな。北嶺、淫魔はあんまり行かないだろ? 興味あったらどうかと思って」
「北嶺は大狼族や大山羊族の領域みたいなもんですわよねぇ。いいんじゃないですの、ライラ」
「行ってみたい! ただ、私一人での《転移》はできないと思う」
基礎演習の魔術すら覚束ないライラが、遠い北の果ての北嶺まで《転移》できる訳もない。
「それは俺に任せろ。途中からは《転移》もできない区域に入るしな。キャロンはどうする?」
「えっ、私も、ですの? ううう嬉しいですけど、貴方、てっきり遠回しにデー……ゴニョゴニョ」
「? 行きたくないなら無理に誘わないけど」
「……本気で私も誘ってるのですね? ええと、次の休みは家の予定があったかもしれません。確認してからでいいですか?」
「おう、分かった」
「キャロンちゃんも一緒に行けるといいなぁ」
「無理そうなら別の日でもいいしなぁ」
「……二人で行けばいいですのよ、二人で」
少し怒っているようにも見えるキャロンの頬は赤く、口元は抑えきれない笑みの形だった。
ライラの三限は薬学基礎である。今日は学園内にある薬草園で実習を行う予定だ。温室の広さは教室が三クラス分入るくらい、高さは二階建て程で、三角屋根のガラス張りで造られている。それが横に三つ並んで建ってあり、ライラは一番左の第一温室に入った。早く来たため一番乗りかと思ったが、先客が一人いた。同学年の女子であり、煙々羅という妖系統の出で名前はユキ。いつも穏やかにしている彼女が、ぼんやり虚空を見つめていた。よく見ると顔色が真っ青である。
「ユキさん? だ、大丈夫?」
ライラが声をかけると、ユキがゆっくりとライラの方を向いた。うまく焦点の合わない目で「……ライラさん、ですか?」と小さく言う。普通ではないその様子にライラは慌てた。
「ねぇ、具合悪そうだよ。医務室に行った方がいいんじゃないかな? 一緒に行こう?」
「そうですね……医務室。ああ、でも、これ……」
ユキは実習用具等を置いてある机の上を指した。薬草図鑑や調合教本の本が積まれている。
「私……これの準備をしなくちゃいけなかったのだけど、本を間違えてしまったの。これを返して、取りに、行かなきゃ」
「分かった、私がするよ。ユキさんは医務室に行こう?」
「……ライラさんが、これを持って、行ってくれるのなら……。そう、私は、医務室に」
かなりぼんやりしている様子が不安である。ライラは一緒について行くと言ったが、「大丈夫だから、それよりも実習準備を、お願い」と念を押されてしまった。心もとない足取りで歩くユキを見送り、ライラは間違いの調合教本を持って、教えてもらった四号棟の第五準備室へと向かう。よりにもよって四号棟とは、学園内でも外れの方にある。
(でも四号棟って、主に部活動で使ってる棟だよね。授業でも使うのかな?)
駆け足で向かったが、四号棟に着くころにはもう講義開始時間が迫っていた。理由があるので先生も咎めはしないだろうが。
四号棟の中はしんと静まっていた。ライラは一瞬寒気を感じ、身震いした。人気がないからだろう。
「第五、第五、第五……あ、あった」
ライラが教室の扉を開いて一歩足を踏み入れたとき、手元の調合教本と足元が光った。目が眩むほどの魔術光がライラを襲う。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる