魅惑の出来ない淫魔令嬢

葛餅もち乃

文字の大きさ
24 / 42

#24 はじまりの足音(3)

しおりを挟む
 黒革のボディバックを背負ったファルマスが帰ってきて、軽く打ち合わせをする。《謀りの森》までの転移は、目標座標がないためバラバラになってしまう恐れがある。結界の感覚を捉えながら飛べるファルマスが先導する。そしてファルマスが結界を何とかして、ライラのいる場所まで疾駆。レオナルドの本性が一番早いので、不本意ながらアルフォードとファルマスを背に乗せる。おそらく屋敷にいるので、それを蹴破るのがレオナルド。屋敷内のライラの位置を感じ取りながら先行するのはアルフォード。

「ファルマス様、優秀過ぎません?」
「アルフォードほぼ何もしないじゃん……」

 戦略を横で聞いているキャロンとエリックが感想を言う。

「僕の出番は最後ですよ。《羊の姫》にも興味があるんでしょうが、半分は僕へのやっかみでしょうからねぇ。昔――ヘルムの狙っていた相手が僕を好きになり、禁じ手の《魅惑》をかけようとしても無理だったときから、何だか目の敵にされてるんですよ。一度本気でやっとかないと、もう面倒になってきましたしね。ライラの救出とその後は狼君に任せますよ」

 レオナルドは意外だった。絶対この兄弟たちがライラを連れ帰ると思っていたからだ。

「いいのか?」
「ファルマスは後始末で大変でしょうから」

 皆がファルマスの方を見る。彼は戦闘前だというのにもう疲れた顔をしてため息をついた。

「……面倒なことばっか押し付けてくるよなぁ。分かってたけどさぁ」
 何が起きるのだろう、と一回生組は思ったが、薄ら寒く美しいアルフォードの笑顔を見るとなんとなく分かる気がした。


 少し鬱蒼としているくらいの、何の変哲もない森だった。《謀りの森》は名前こそ怪しいが、魔界中央部と同じく安定している気候の地域であり、学園と似たり寄ったりの森林が広がっている。風に揺られてざわめく木々に、時折聞こえる魔鳥の鳴き声。珍しい植物や鉱石が取れることもない、ただの森である。
 ファルマスは数歩前に進み、そっと手を伸ばした。宙に浮かせた掌で何かを確かめ、一人で頷く。

「直径三マイルってとこかな。二人とも、ちょっとそこ動かないでね」

 そう言うと後退して、アルフォードとレオナルドよりも後ろの方に陣取った。ボディバッグに入れた小さな木箱から煌めく石を取り出す。透けた橙色をした五つの石を掌にのせ、ファルマスが何事か呟くと、一つは掌の宙に浮き、残りの四つは勢いよく飛んでいった。『囲め囲め、其は愛しい兎、我は其を捕らえる者――』
 ファルマスの詠唱が始まる。レオナルドはその様子を興味深げに眺めていた。

「うん! 説明してあげましょうか狼君。ファルマスが持っている石は南西のあたりで採れる夕輝石ですね。事前に自分の魔力を詰めておいたものでしょう。それを使って、シュタイン家が張っていた結界をさらに覆う結界を張っていますね。奴らを逃がさないように、《転移封じ》のはずです」
「ほんと、器用だな」
「そうなんですよ。僕が大雑把だからですかねぇ、そういうのはファルの役割になってます」

 レオナルドがふぅんと頷く。ファルマスは詠唱を終え、遠い所を見つめながら微調整しているようだ。

「それで、僕に敵意を隠さない狼君? 言いたいことがあるなら聞きますよ、もうしばらく暇でしょうから」

 レオナルドは胡乱な目でアルフォード見た。彼は余裕たっぷりに微笑んでいる。そういうところが――ムカつくというか胡散臭いというか、どこか敵わない感じがして腹立たしいのかもしれない。

「まず姉貴に聞いてからと思ってたんだけど。……あんた、姉貴を弄んでんのか?」
 予想外なことに――アルフォードは驚いたような、キョトンとしたような、気の抜けた顔をした。
「いや、いや、いや。どちらかと言えば、振り回されてるのは僕の方じゃないかな」
「はぁ? え? あんたが振り回される?」
「そうそう。現状、都合のいい男ってとこですね。まぁ僕は、僕だけの人魚姫を、諦めるつもりなんてサラサラないですけど」
「ぼくだけのにんぎょひめ……?」

 その呼称が姉を指していることは分かるのだが、身内がそんなに甘く呼ばれているところなど想像すると寒気がした。しかも、よりにもよって、最高に美しいこの淫魔にである。姉を思い出しているのだろう、彼の瞳に仄暗い愉悦が見えた気がする。レオナルドはもう関わらない方がいいかもしれないと思い始めた。

「たぶん、君がそう思うに至った、僕の人魚姫ちゃんを傷つけた魔族は別にいますよ。――まぁ、フォロー役は僕がいるので、君は安心してライラをオトせばいいです」
「……はっ?」この期に及んでレオナルドは狼狽えた。
「え、隠してるつもりだったんですか? にぶいのはライラだけですよ。ライラのは……にぶいと言うより、また別ですが」

 森に強い風が吹き抜ける。頭上を覆った雲が、大きな陰をつくった。
 アルフォードが言わんとしていることは、レオナルドにも何となく分かっていた。

「なんか面白い話してるだろ~。こっちの結界は終わったわ。次は向こうの結界を破るから――なるべく感づかれないようにするから、すぐ突入できるよう準備しといて」

 両腕を上げて体をほぐしながら、ファルマスが二人の間を抜ける。そして振り返ってにやりと笑った。

「俺はね、ライラのボディガードとしてはなかなかいいんじゃないかと思ってるね、レオ君のこと」
「ライラの学年で考えれば、適任は君あたりになるんでしょうかねぇ。純粋に力勝負だけ考えたらの話ですよ? ライラの好みとかは別ですからね?」

(俺もうこの兄弟ヤダ)

 アルフォードはおそらく嘘は言っていない。平然と嘘をつくタイプだろうが、姉の件に関しては本当だろうと思う。そもそも彼がレオナルドに嘘をつくような理由もない。とてつもない魔力と力を秘めた大狼族を相手にしても、彼が怯むことはないだろう。

(だとしたら俺は、……ほんとに、短絡的な阿呆だったんだな)

 いけ好かない淫魔がいることは事実だが、あの姉が淫魔に弄ばれたというのは思い込みの勘違いで、ライラに対して酷く当たったのもただの八つ当たりだ。
 情けない。

「合格点にいるだけ、重畳だと思っときます」
 アルフォードが面白がって微笑む。「急に殊勝ですねぇ」

 ファルマスは次の作業に取りかかっていた。空気を撫でるように、中空で右手を動かしている。左手は摘むような動作を繰り返す。

「案外綻びてるなぁ。この結界、ずいぶん更新してない気がする。もう開けるよ、二人とも見える?」

 ファルマスの前方周囲に、細く青白く光る線が数本蠢いている。「ええ」「なんとなく」二人の返答を聞いて、ファルマスは地面にしゃがみ込み、鎧戸を開けるように光る線の束を持ち上げた。

「くぐれ!」

 二人が低姿勢で駆け抜けると、ファルマスはマントを翻すように結界内に入り、本来あったように結界を閉じた。

「成功かな?」
「すげぇ器用だな」

 レオナルドの心の底からの称賛だった。

「さてここからは狼君、僕らを乗せて疾駆してもらえるかな」
「……単に本性を見たいだけの気がしてきた」
 腕組みしているファルマスが頷く。「ぶっちゃけそれもある」

 軽く息を吐いて、レオナルドは天を見上げた。彼の身体をとりまくように、蒼く白い無数の光のホログラムが輝きながら螺旋を描く。その煌めきはどんどん大きく、巨大になっていく。
 光が霧散すると現れたのは、美しく気高く、畏怖の念すら呼び起こすけだもの――澄みきった泉を思わせる水色の大狼である。大きさは二階建てのコテージ程だろうか。金色の瞳が二人を見下ろす。

「か……カッケー」

 ファルマスは目をキラキラさせながら喜んでいるし、アルフォードは小さく拍手している。
 レオナルド自身、本来の大きさであるこの本性になったのは久しぶりであった。内の中の狼が喜んでいる。この姿は、単純な魔力だけをはかると一番火力が高い。気分も清々しい。難点なのは、本能が強くなってしまい、理性が遠のくところである。

『行こう。軽く走るから、しっかり掴まれ』
「本気で走れば振り落とされる、と?」アルフォードがにたりと笑っている。
『当たり前だ。なめんな』
「流石に冗談です。ファルマス、方角はあっちへ真っ直ぐでいいんですかね?」

 ファルマスは大狼に乗ってうきうきと嬉しそうにしている。「ああ。でも、道案内しようか?」

『大丈夫だ。この姿だと、目も鼻も利く。森のものじゃない匂いも、魔獣じゃない魔力も、微量だが感じられる。もう一つ結界があるようだ。走るぞ』

 水色の獣が、森の奥へと迷いなく駆けていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

処理中です...