リビング越しの情事 ―隣の妻、俺の血、三人の息子―

ゆうな

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第1話:境界線(フェンス)越しの挨拶

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​第1話:境界線(フェンス)越しの挨拶

​「……ふぅ。これで最後か」
​俺は、新築の匂いが立ち込めるリビングの中央で、最後の段ボールを床に置いた。
都心から少し離れた閑静な住宅街。
無理をして組んだ35年ローン。
手に入れたのは、庭付きの一戸建てという「幸福の象徴」だった。
​「パパ! お庭、すっごく広いよ! 走ってもいい?」
​長男が、まだ何もない芝生の上を、無邪気に駆け回る。
妻が、埃を払いながら苦笑いして俺の隣に立った。
​「もう、はしゃぎすぎよ。……ねえ、あなた。お隣にご挨拶に行かないと。あちらはまだお子さんがいらっしゃらないみたいだけど、若そうなご夫婦だったわよ」
​「そうだな。ちょうど今、奥さんが庭にいらっしゃるみたいだ」
​低いフェンスの向こう側。
隣の家の庭で、プランターの花に水をやっている女性の姿が見えた。
真っ白なワンピースが風に揺れ、細い足首が覗いている。
​「こんにちは。今日、隣に越してきた者です」
​俺がフェンス越しに声をかけると、彼女は驚いたように肩を揺らして振り返った。
その瞬間、俺の心臓が妙な跳ね方をした。
​透き通るような白い肌。
湿り気を帯びた大きな瞳。
清楚な雰囲気の中に、隠しきれない淫靡な色香が漂っている。
​「あら……。ご丁寧に、ありがとうございます。お隣の者です」
​彼女は上品に微笑み、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
​「これから、よろしくお願いします。こちらは……元気なお子様がいらっしゃるんですね。羨ましいわ」
​彼女は、芝生を走る俺の息子たちを、どこか寂しげな、それでいて熱を帯びた眼差しで見つめた。
​「ああ、上が6歳と4歳、下が2歳です。男の子ばかりで、お騒がせするかもしれませんが」
​妻が横から顔を出し、にこやかに挨拶を交わす。
家族という形を完成させた俺たちと、まだ二人きりの隣家。
対照的な二つの家庭が、フェンス越しに向き合った。
​「いえ、賑やかなのは大好きです。ねえ、あなた! お隣さんがいらしたわよ!」
​彼女が家の中に声をかけると、穏やかそうな男性が出てきた。
隣の旦那だ。
​「どうも。いやあ、同世代のご家族で嬉しいですよ。うちはまだ子供がいないので、色々教えてください」
​「こちらこそ、よろしくお願いします。何かあれば遠慮なく言ってください」
​俺たちはフェンス越しに握手を交わした。
理想的な隣人関係。
この時の俺は、自分たちの平穏が、このフェンス一枚で隔てられた「向こう側」に食い尽くされるとは微塵も思っていなかった。
​その時だ。
彼女と一瞬、目が合った。
​「……お宅の旦那様、とても頼もしそうですね。良いお父様という感じで」
​「ええ、まあ。仕事だけは真面目なんです」
​妻が笑って答える。
だが、彼女の視線は俺の顔から離れなかった。
値踏みするような、それでいて誘うような、熱を孕んだ視線。
​「素敵ですね。……これから、色々とお世話になるかもしれません。……『深く』」
​彼女の声が、耳元で少しだけ湿度を持って響いた。
妻には聞こえないほどの、密やかな、小さな声。
​「あ、あはは。こちらこそ」
​俺は動揺を隠すように笑った。
彼女は悪戯っぽく微笑むと、隣の旦那の腕にそっと手を添えた。
​「夜は冷えますから、風邪を引かないようにしてくださいね、お隣さん。……おやすみなさい」
​その夜。
俺は妻と子供たちが寝静まった後、暗いリビングで一人、ビールを飲んでいた。
​カーテンの隙間から、隣の家の明かりが見える。
壁一枚、フェンス一枚。
その向こう側で、彼女が旦那と過ごしている。
まだ子供のいない、静かな夜を。
​(……お世話になるかもしれません、か)
​彼女のあの瞳。
あの、濡れたような声。
俺の頭の中では、昼間の彼女の姿が何度もリフレインしていた。
​すると、庭の方で微かな音がした。
俺は引き寄せられるように、掃き出し窓を開けて庭に出た。
冷たい夜気が頬をなでる。
​暗闇の中、フェンスの向こう側に、白い影が立っていた。
​「……眠れないんですか?」
​鈴の鳴るような声。
やはり、彼女だった。
昼間のワンピースの上に、薄いシルクのようなカーディガンを羽織っている。
ボタンは一つも留められておらず、中のキャミソールの胸元が月光に白く光っていた。
​「ええ、少し。環境が変わったせいか……。あなたは?」
​「ふふ。私もなんです。……主人はもう、いびきをかいて寝てしまいましたけど」
​彼女はフェンスに腰掛けるようにして、俺を見上げた。
月の光に照らされた彼女の顔は、昼間よりもずっと妖艶に見えた。
​「お隣さん。……あなたの奥さん、幸せそうですね。あんなに可愛いお子さんに囲まれて」
​「……そうですか? 毎日バタバタしていて、あんな感じですよ」
​「私、ずっと子供が欲しいと思っているんですけど……。主人はあんな感じで、夜も淡白で。寂しいものですね。……ねえ、触ってみる?」
​「えっ……?」
​彼女はいきなり、自分の細い手首をフェンス越しに差し出してきた。
​「冷えてるの。温めてくれないかしら」
​俺は戸惑いながらも、その手首を握った。
ひんやりとしているが、肌の質感は驚くほど滑らかだった。
​「……本当に、冷たいですね」
​「そう。心まで冷え切ってるから。……ねえ、もっとこっちに来て」
​彼女は俺の手を引き、自分の顔の近くまで寄せた。
夜風に乗って、甘い、熟した果実のような香水の匂いが鼻をくすぐる。
名前も知らない、隣の女。
​「……綺麗だと、昼間から思っていました」
​俺が掠れた声で言うと、彼女の瞳が妖しく光り、濡れた唇が弧を描いた。
​「嬉しい。……ねえ、もし良かったら」
​彼女はフェンスの隙間から、もう片方の指を俺の胸元に這わせた。
ワイシャツのボタンの隙間に指が入り込み、直接肌に触れる。
​「今度、主人が出張でいない時に……。うちのリビングに、遊びに来ませんか?」
​俺はその指の感触に、抗えなかった。
隣の旦那が、すぐそこの二階で寝ているというのに。
​「……いいんですか? 隣なのに」
​「隣だから、いいんです。……誰にもバレない。一番近い、秘密の場所。……あなたの元気な種を、分けてほしくなっちゃうわ」
​彼女は挑発するように、俺の指を自分の唇に持っていった。
柔らかな唇の感触。
そして、熱い舌先が指先を這う。
​「……っ」
​「楽しみにしてますね。……お隣さん。あなたの……その大きな手で、私の冷えた体を全部、温めてほしいわ」
​彼女はそう言い残すと、妖精のようにふわりと闇の中に消えていった。
​俺は自分の指先に残る、彼女の唾液の湿り気を確かめながら、激しく脈打つ鼓動を抑えられなかった。
足元がふわふわと浮いているような、非現実的な感覚。
​リビングに戻り、ソファに深く沈み込む。
静まり返ったリビングに、自分の荒い呼吸だけが響く。
​(これは、いけないことだ。……分かってる。でも……)
​俺の視線は、隣の家へと続く壁に釘付けになっていた。
これから始まるのは、ただの浮気ではない。
境界線を越え、彼女の体内に俺の血を注ぎ込み、隣の家庭を塗り替えていく……。
地獄への入り口だった。
​「……お隣さん、か」
​俺は独り言を漏らし、暗闇を見つめた。
子供のいない隣の家のリビングに、俺の血を分けた子供が生まれる日。
それは、破滅へのカウントダウンでもあった。
​第1話 完
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