Day of the Necromancy

キャスケットボーイ

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第一話:二年前

慰み

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 あれから何回目かの朝が来た。

ゆっくりと まぶたを開け、身体を起こす。
ベッドの縁に寄せて置いてあるブーツを履き、静かに立ち上がった。

部屋を出て居間に降りると、ゴールドン家の家族が食卓を囲んで私の事を待っていた。

「やあ、セリナ。いい朝だね」
「うん」

私は空いている一つの席に座り、今日は彼らと食事を摂ることを態度で表した。
私は依然、食前の祈りだけは捧げなかったけれど、それ以外では普通に食事を摂った。時々、家族が私の事を微笑ましい表情で眺めていて、それが恥ずかしかった。

「お皿洗い、手伝うわ」
食後、私は初めて夫人にこんなことを言った。夫人は台所で、私を ひし・・と抱きしめた。
私からしてみれば、もうずっと寝ているというのが退屈になってきたから、とにかく何か仕事をしたいというのが実際のところで、あまりよく考えずに放った言葉だったのだけれど、夫人にはどうやらそれが、引きこもりな私が人生を前に進めるための大きな第一歩を踏み出したように見えたらしく、偉い、偉いとやたら褒めた。

 その日から、私は夫人の家事をたまに手伝い、それ以外の時間は、あの日、屋根裏部屋で見つけた魔法陣を眺めたりして過ごした。
 夫人の同行の元、アイゼンの修道院をいくつか回って本を借り、この魔法陣がどのようなもので、私が見つけたあの本が何だったのかを調べようとしたりもしたけれど、特に有力な手掛かりはなかった。
とにかく問題になっているのが文字で、この大陸に住んでいる民族の言語を殆どすべて網羅した学術書にさえ、この魔法陣に書かれている謎の文字に類似するものはなかった。
いっそ修道僧にこの魔法陣を見せて、直接聞いてみようかとも思ったけれど、どうせ相手にしてもらえないだろうことはわかりきっていた。
結局、この本が一体何なのかについては、未だにわからずにいる。

 なんだか、妙な平穏が訪れるのを、私は日に日に感じていた。
まるで、生まれたときからゴールドン家のわがまま娘として生きていたように思えた。マレス村の思い出・・・あれは幸せな夢なんだったのではないかとさえ、思ってしまった。


 その日、私はいつも通り部屋で魔法陣を眺めて過ごしていた。
"闇の中で待て"
魔法陣の裏面に書かれたこの文面は常に私を悩ませた。実際に夜中に家を抜け出し、何もない道端でずっと待っていたこともある。何も起きなかったけれど。

ふと、扉がノックされ、返事を待たずにルークが顔を覗かせた。
 ルークは毎日私に人懐っこく構ってきていた。
普段はゴールドンの仕事である古物商の仕事を手伝っていたが、ちょっとした暇を見つけては私を訪ねてくるのだ。

 彼は私がベッドの上で座り込んでいるのを見ると、自分も同じようにベッドにあがり、隣に膝を抱えて座った。

「何か用?」
私が煩わしそうに聞くと、ルークは少し傷ついたような表情を見せたが、すぐに気を取り直して言った。
「お互いの事を、話しませんか」
「お互いの事?」意味が分からず、今度は露骨に不機嫌そうな表情をしてみせたけれど、ルークはもう狼狽えなかった。
「はい。あなたが辛い思いをして、ようやくこの家に流れ着いたのはなんとなくわかります。僕もそうなんです。昔は孤児で、そのせいでひどい目にあって、でもなんとか生きていたら、やっとゴールドンさんに出会えたんです」

 私は意地悪く笑った。
「なるほどね。私の不幸とあなたの不幸を戦わせて、どっちが強いか決めようって?」

ルークは慌てて首を横に振り「そうじゃありません」と強く否定した。
「お互いの辛い過去を共有するんです。僕の話は、今まで誰にもしたことがありません。でも、あなたになら話してもいいと思っています。誰かに話せば、きっと気が楽になります。辛いのは自分だけじゃないんだって、そう思えると思うんです」

そう力説しているルークからは、妙な生命力のようなものを感じた。前向きに生きる人間というのは、こうも暑苦しいのか。

「傷の舐めあいなんて、したくない」
私は少しだけルークに預けていた視線を取り返し、魔法陣に集中しはじめた。
早く部屋から出ていってほしいと振舞いで示したつもりだったけれど、ルークはその場に留まり続けた。

「じゃあ、ボクが一方的に話します。あなたは、話したくなったら話してください」
ルークが少し私の方に近寄ってきた。
「聞きたくもない」
私はルークに詰められた距離の分だけ、壁の方に逃げた。
「どうして? ただ聞くだけです。感想を求めたり、励ましてほしいと言ったりしません。ただ、あなたの新しい家族が、どんな人間なのかを知ってほしいんです」

 実際、私はどうして彼がそう前向きな人間なのかについて気になり始めていた。
でも、彼の身に降りかかった不幸を聞く気にだけは、ならなかった。

怖いのだ。
もし、彼の口から放たれる過去の出来事が、誇張なしに私の身に降りかかった不幸の何倍も苦しいものだったら、私は大したことでもない事でずっと塞ぎこんでいる馬鹿な娘に成り下がってしまう。それに、不幸というものを比べるということ自体、ひどく厚かましいことのように思えた。例え近くに私より不幸な人がいたって、私の不幸が消えるわけじゃないのに。「私はこんなに苦しんでいるのに、どうしてあなたは」なんて、「その程度で」なんて、私の不幸の重さを他人に測ることができるはずないのに。

 でも、ルークは構わずに話し始めた。
そんな彼を無理やり部屋から追い出せるほど、私はまだ身心が回復してはいなかった。

「僕が小さい頃のことは、よく覚えていません。ただどこかで泣いていて、両親の顔は見たこともありませんでした。気が付いたら、いつのまにか修道院で育てられてました。マルゼンブルグの、聖サルバドール修道院ってところです。修道院長がすごく怖い人で・・・まぁ、院長って大体の人が怖いんですけどね。いつも悪魔や魔女と戦っているわけですから。それで、僕たちはその片手間に育てられたんです」

私はいつの間にか彼の話に耳を傾けていた。いや、そうせざるを得なかった。何か他に集中できるものがあれば話は別だけれど、今手元には意味不明な黒い本しかない。必然的に集中は彼の話に向かってしまう。

「僕"達"っていうのは、他の子も一緒にいたからなんです。でも、みんな年上の男の子で、力も強くて、僕はいつもイジメられてました。まぁ、大した事ではないんですけどね。面倒な家事を押し付けられたり、遊びの時はいつも損な役回りをさせられたり。でも、いじめって程苦しいものではなかったんです。なんていうのかな・・・孤児たちが集まったら、そうなるのが当然だし、兄さんたち・・・ああ、兄さんたちっていうのは他の孤児の事です。僕が一番年下でしたから、そう呼んでました。その兄さんたちも、僕の事を本気で嫌っていたわけじゃないと思うんです。食事はいつも少し多くよそってくれて「はやくデカくなれ。お前は弱いんだから」っていつも言ってくれたりして。僕が外の世界で苦労しないように、鍛えてるって感じだったんだと思います。その方法が正しかったのかは、わかりませんけど」

その後しばらく、彼は退屈な幼少期の思い出話を楽しそうに話し続けた。この時になると、私はようやく彼の話に興味を失い、あの日見た黒い魔術書について考え始めることができた。
しかし、ある程度話すと、ルークは途端に寂しそうな顔になった。どうやら彼の"不幸"がようやく幕を開けたらしい。

「ある日、一人の男が修道院に来て、僕たちの内、一人の里親になるって言ったんです。兄さんたちはいつも、こんな修道院を出ていって、新しい里親の元で暮らしたいって話してましたから、きっと我先にって引き取ってもらおうとすると思いました。でも、違いました。僕の背中を押して「こいつを引き取ってあげてよ」って言ったんです。僕が混乱しているうちに、修道院長と男の間で話が進んで、いつのまにか僕は引き取られました。後で、きっと兄さんたちは僕の為を思って、自分たちの身を引いたんだとわかりました。それがすごく嬉しくて、僕、頑張ろうって思いました。絶対幸せになろうって。
 ・・・男はアイゼンの酒場の主人で、僕に酒場の手伝いをさせました。でも、ひどかった。僕が仕事でミスをすると、お客の前では笑って許すのに、人目がなくなった途端に僕を つんです。食事も殆どくれなくて、お客が残して言ったお酒やご飯をつまみ食いして、なんとか生きていました。もちろん、バレたらすごく怒られて・・・それで・・・」

 ここにきて、急にルークの歯切れが悪くなった。
彼の目から輝きが失われていき、ここではないなにか別のものを見ているように見えた。
そして、意を決した様子のルークの口から、とんでもない言葉が流れ出た。

「ミスを重ねると・・・酒場の地下の部屋で・・・裸で踊らされて・・・。その・・・ベッドで・・・」

私は息をするのを忘れた。
心臓がドクドクと不規則に揺れるのがわかった。
咄嗟に冷静さを失って、デリカシーのないことを聞いた。

「慰みものにされたっていうの?」

ルークはその時の事を鮮明に思い出してしまったらしく、潤んだ目の焦点が合わないまま虚空を見つめていた。身体は小刻みに震えていて、自分の身体についた何かを振り払うように、手で自分を抱いた。
「はい・・・。ひどいことをされました。毎晩、毎晩・・・いつも夜が怖かった」
私は心臓を抉られるような感覚を覚えた。
そんな過去を持っていながら、どうしていつもあんな屈託のない笑顔を見せていられるのか、全く分からなかった。

 彼は急に怯えたように私から距離をとった。
「ああ・・・! ごめんなさい。僕、気持ち悪いですよね」
 実際、彼の事を薄気味悪いと思ってしまった自分に気が付き、私は心から自分を軽蔑した。
何と声をかけていいのかわからなかった。
ルークはまるで自分の過去の世界に戻っていってしまったかのように震えていた。

「ごめんなさい。やっぱり話すんじゃなかった。僕、過去を克服したんだと思ってました。でも、無理だ。一度穢されたら、二度と────」

彼が言いきる前に、私は彼の腕を掴んだ。力を込めて、強く。

「そいつは・・・まだ生きてるの?」
ルークは動揺を隠せない様子で固まっていた。

「は・・・?」
「その酒場の主人は、まだこの街のどこかで のうのう・・・・と暮らしてるの?」

ルークは恐怖を露わにした。
「はい。きっとまだ生きています。僕、逃げてきたんです。誰にも言わずに。でも、どうしてそんなことを?」

私は、心に重くのしかかった息苦しさを吐き出すため、大きくため息をついた。大した効果はなかったけれど。

「そんなの許さない」

私は独り言のように呟いた。
ルークは私が何を考えているのかわからない様子だったけれど、私はあまり気にしなかった。

「そんなクズが生きてるなんて、そんなの許さない」
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