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第一話:二年前
過ち
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仮面の集団、突如生き返った自分、消えた魔術書、殺人者となってしまった父、悪魔・・・
あらゆる意味の分からないものが私を取り巻き、私を絞め殺そうとしている。いくら考えても答えが出ず、いくら悩んでも同じところを廻っている。
でも、今だけは関係ない。私の前には確実に一本の道があった。目的があって、それに向かって進むことができるというのは、なんて爽快な心地なのだろう。
アイゼン郊外の酒場の主人、グーズリーを殺す。
それが私に与えられた使命だった。
世の中には絶対に生きていちゃいけない人間がいる。
ルークの話を聞く限り、グーズリーは確実にその一人だ。
無力で社会的地位のないルークを奴隷のように扱って、さらには性的な暴行を加えた。
力を持たない弱者を一方的に利用し、いたぶり、そして本人は素知らぬ顔でのうのうと生きている。絶対に許せない。
きっと誰かは、私の事を無謀な正義主義者と笑うだろう。でも、そんなの知ったことではない。なんでもいい。生きている意味が欲しい。それは、一日中ベッドで寝転がっていたり、里親の手伝いをして媚びる事ではない。これは悪に対する、私のささやかな復讐なのだ。
エゴだとわかっている。悪人なら殺してよいなんてことはないと知っている。でも、抑えられない。心の中に燃え盛る炎が、私を突き動かしている。
私は一人でアイゼンの郊外をうろついていた。ここは、いわゆる貧民街だった。
アイゼンの路地裏に捨てられていた 襤褸を継ぎ合わせたようなローブを着て周りの人間に溶け込み、深くフードを被って少女であることを隠した。そうでなければ、とてもここを歩けない。一応衛兵は配備されているようだけれど、あまりに数が少ないし、ちゃんと働くのか疑問だ。だから、どれだけ自己防衛に徹したとしてもしすぎるということはない。グーズリーを殺す前に他の犯罪に巻き込まれては、元も子もない。
私は一つの建物の前で立ち止まった。
風に揺れる 屋号に酒を示す記号が描かれており、 蔦が巻き付けられている。営業中のようだ。
私は迷いなくその酒場に入った。
酒場の中は、閑古鳥も啼かぬようなありさまだった。
清掃は行き届いておらず、ところどころに蜘蛛の巣が張っている。
客は二人組がひとグループ、酒場の隅にいるだけで、まるで活気がない。
「・・・いらっしゃい」
虚ろな表情の主人が私に声をかけた。毛むくじゃらの体毛に禿げた頭の巨漢。間違いない。彼がグーズリーだろう。
グーズリーは私が何の反応も示さないことを訝しんでいる様子だったので、私は小さく深呼吸し、フードを脱いで素顔を露わにした。
「ここで・・・働かせてくれませんか」
私が気の弱い少女を演じて言うと、グーズリーは目の色を変えた。
「ほう・・・」
ああ、その舐めまわすような視線。気持ち悪い。
今すぐにでも奴の頬に平手打ちをして立ち去りたかったけれど、私はグッと堪えた。
私の忍耐が功を奏した時、やつは平手打ちよりも強烈な致命傷を負うことになるのだ。
酒場の隅にいた客が主人に呼びかけた。
「葡萄酒を追加だ!」
私がその方向に気をとられていると、グーズリーはカウンター越しに私を小突いた。
「おい、客が呼んでるぞ。ちゃんと働け」
「は、はい」
私はカウンターの方に回り、不衛生なジョッキに葡萄酒を注いだ。そして、グーズリーに尋ねた。
「あの、葡萄酒はいくらで売るんですか?」
「銀貨五枚だ」
銀貨五枚。葡萄酒にしては、ずいぶん安いようだ。
私はジョッキになみなみ注がれた葡萄酒を運ぼうとした。でも、首筋をグーズリーの太い腕に掴まれて、それを阻まれた。
「そのまま出すわけねえだろう。水で薄めるんだよ」
グーズリーに言われて視線を落とすと、彼の足元に水がくまれた桶が置かれていた。桶の中に木製のスプーンが浮いているのを見て、私は全て察した。
すぐにスプーンで水を掬ってジョッキに注ぐ。
「これくらいでいいですか?」
私が確認すると、グーズリーはジョッキを手に取り、ゴクリと一口飲んだ。「まぁ、だな」
私は頷き、それを客のテーブルに運んだ。
「お待たせしました」
私が葡萄酒を運んでくると、客は珍しいものでも見るように私の顔をじろじろ見た。
「なんだ、新入りか?」
「はい。その・・・さっき、雇ってもらいました」
客は私が気弱そうなのを見ると、不愛想に銀貨を五枚、わざとらしく床に放り出した。
「ああ、落としちまったよ。ついお嬢ちゃんに見とれちまってね」
私は内心で舌打ちしたが、必死にその屈辱に耐え、身をかがめてその銀貨をかき集めた。形だけでも奴らの前に 跪いているというのが、すごく恥ずかしかった。
さらに、羞恥に身を震わす私の胸に、もう片方の客の蹴りがお見舞いされた。
「おっとごめんよ。足が当たっちまって」
思わず歯ぎしりした。人間のクズ。みんな死ねばいいのに。
怒りに震える身体を、なんとか 諭す。大丈夫、ルークが味わった苦痛に比べれば、なんてことはない。
必死に自分に言い聞かせるが、涙があふれてきた。すぐに袖で拭い、何事もなかったかのように立ち上がる。
「・・・どうぞごゆっくり」
私はそそくさとカウンターの方に戻っていった。
初日の仕事は、ほとんどこれだけだった。どうやら酒場は全く繁盛していないらしい。
夕方頃になると、グーズリーは私に店を閉めるように言った。
「これからが、一番の稼ぎ時なんじゃないんですか?」
私が尋ねても、グーズリーは不機嫌そうに「いや、今日は終わりだ」と言って、カウンターにもたれかかっていた。
仕方なく、私は屋号の蔦を外し、異臭のする雑巾で店の中を清掃した。一応箒があったので、それで蜘蛛の巣も払っておいた。
「終わりました」
私がそう告げると、グーズリーは何か怪しげにニヤリと笑った。
「今日は初日だが・・・よく頑張ったな」
彼は立ち上がって酒樽のコルクを捻り、一杯の葡萄酒をジョッキに注いだ。
「これはご褒美だ」
そう言って、私の前にジョッキを置く。
・・・怪しい。
私の脳裏を埋め尽くしたのは、それだった。
ルークが言っていたグーズリーは、従業員を労ったりなどしない。であるならば、これは?
罠だ。
間違いなく。でも、ここで断ったら怪しまれる。
多分、毒を盛るなんてことまではしていないはずだ。そんな素振りはなかったし、この酒場の閑散とした様子を見るに、毒を買うお金を持っているとは思えない。
私は恐る恐る、その葡萄酒を口に運んだ。低劣で後を引く、悪酔いするような、ひどい味だった。
あの客たち、こんな腐った葡萄汁に銀貨五枚も払っていたっていうの? 信じられない。私の父なら、こんな粗悪品を買ってきたりしない。
「おいしいです」
自分がそんなお世辞を言えたのは、半ば奇跡だった。
「ああ、そうだろう。なんせ、特殊なルートから仕入れてる最高級品だからな」
グーズリーが自慢げに鼻を鳴らす。
なんてはしたない男だろう。葡萄酒一つだってまともに選べないくせに酒屋を経営するなんて。しかも、少し前まではその無能のしわ寄せは全てルークに及んでいたのだ。可愛そうなルーク。今なら心から同情できる。私ならこんな生活、三日だって耐えられない。
グーズリーはカウンターを立ち、馴れ馴れしく私の肩に手を置いた。
「疲れたろう。こっちに寝室がある」
私は彼に連れられるまま、強いアルコールでふらつく足をなんとか制御しながら地下への階段を下った。
ああ、酒というのは飲み方を間違えるとこうも凶悪なのか、お父さんやお母さんが私にしつこく「上手に飲みなさい」といっていた理由が、ようやくわかった。
グーズリーの顔が二つにも四つにも見える、彼の目に関しては、六つだ。まるで蜘蛛のよう。
・・・いつの間にか、私は地下のベッドに寝かされていた。
部屋の奥でグーズリーが鼻歌交じりに燭台に灯をつけているのが見える。彼は上着を脱ぎすてていた。
私は気怠いのを我慢して自分の袖に目を移した。ああ、よかった。私はまだ、ちゃんと服を着ている。まだなにもされていない。まだ・・・。
「よかった・・・」
私が体を起こし、ベッドに腰かけて呟くと、グーズリーは眉を 顰めてこちらを見た。暗がりで灯に照らされる彼の脂ぎった 恰幅の良い身体は、醜い巨大なナメクジを想起させた。
「なにが、よかったって?」
グーズリーは少し私を警戒している様子だった。どうやら、強い酒を飲ませられた私が、こんなにすぐに回復するとは思っていなかったようだ。
私はベッドに座ったまま、服の中に布にくるんで隠していた包丁を取り出した。
「もしあなたが女の子に興味が無かったら、ここまで連れてきてもらえなかったから」
グーズリーは目を見張った。どうやら私の目的を察したようだ。
「なんだ・・・? 俺の何を知ってる?」
「ルークに聞いたわ。あなた、ひどい人だそうね。・・・今でもあの子、怯えてるわ。あなたが生きている限り、きっと彼に平穏は訪れない」
ルーク、という名を聞くと、グーズリーは怒りで顔を真っ赤にした。
「ルーク。あいつ、まだ生きてたのか。あんなガキ、どこかで野垂れ死んでると思って放っておいたが・・・ああ、あいつのせいだ。あいつがいなくなったせいで、俺の酒場は経営不振に陥った。あいつが・・・」
彼が忌々しそうにつぶやく間、私は不潔なベッドをゆっくりと撫でた。
なにかの液体の染みがへばりついていて、ところどころに 虱が跳んでいる。とてもムードがあるとは言えないどころか、ごわごわしていて、寝返りをうつだけで擦り傷ができてしまうような、ひどいものだった。
「このベッドの上で、ルークに酷いことをしたんでしょう?」
軽蔑の念をいっぱいに湛え、グーズリーを睨む。
グーズリーは不思議ともう怒ってはいない様子で、妙にフレンドリーに話しかけてきた。
「でもお嬢さん。ここまでついて来たっていうことは、お前も何か期待しているんじゃないのか?」
下品な顔で下品なことをいう彼の言葉に、私は吐き気をおぼえた。
「ルークから聞いたわ。この地下室は内部の音を外に殆ど漏らさないんですってね」
「ああ、五年間かけて一人で掘ったんだ。すごいだろ?」
私はおもむろに立ち上がり、彼に包丁を向けた。
「ここならあなたの悲鳴は外に漏れない。だれもこの部屋を知らないから、あなたの死体を発見もしない」
私は自分の足が震えているのを、必死に誤魔化した。
こんなクズを殺すのに、私は一体何を怖がっているのだろう。
この殺人は正義だ。グーズリーを殺して喜ぶ人こそいれど、悲しむ人間などいるはずがない。
正義。内心で呟いてみると、不思議と力が湧いてきた。
この正義は、神に意思に属するものではない。これは、私の正義だ。私の意思によって制定され、私の力によって成されるのだ。
もう躊躇はない。私は静かに深呼吸し、彼にこう言った。
「あなたが五年間かけて掘ったのは、自分の墓場よ」
あらゆる意味の分からないものが私を取り巻き、私を絞め殺そうとしている。いくら考えても答えが出ず、いくら悩んでも同じところを廻っている。
でも、今だけは関係ない。私の前には確実に一本の道があった。目的があって、それに向かって進むことができるというのは、なんて爽快な心地なのだろう。
アイゼン郊外の酒場の主人、グーズリーを殺す。
それが私に与えられた使命だった。
世の中には絶対に生きていちゃいけない人間がいる。
ルークの話を聞く限り、グーズリーは確実にその一人だ。
無力で社会的地位のないルークを奴隷のように扱って、さらには性的な暴行を加えた。
力を持たない弱者を一方的に利用し、いたぶり、そして本人は素知らぬ顔でのうのうと生きている。絶対に許せない。
きっと誰かは、私の事を無謀な正義主義者と笑うだろう。でも、そんなの知ったことではない。なんでもいい。生きている意味が欲しい。それは、一日中ベッドで寝転がっていたり、里親の手伝いをして媚びる事ではない。これは悪に対する、私のささやかな復讐なのだ。
エゴだとわかっている。悪人なら殺してよいなんてことはないと知っている。でも、抑えられない。心の中に燃え盛る炎が、私を突き動かしている。
私は一人でアイゼンの郊外をうろついていた。ここは、いわゆる貧民街だった。
アイゼンの路地裏に捨てられていた 襤褸を継ぎ合わせたようなローブを着て周りの人間に溶け込み、深くフードを被って少女であることを隠した。そうでなければ、とてもここを歩けない。一応衛兵は配備されているようだけれど、あまりに数が少ないし、ちゃんと働くのか疑問だ。だから、どれだけ自己防衛に徹したとしてもしすぎるということはない。グーズリーを殺す前に他の犯罪に巻き込まれては、元も子もない。
私は一つの建物の前で立ち止まった。
風に揺れる 屋号に酒を示す記号が描かれており、 蔦が巻き付けられている。営業中のようだ。
私は迷いなくその酒場に入った。
酒場の中は、閑古鳥も啼かぬようなありさまだった。
清掃は行き届いておらず、ところどころに蜘蛛の巣が張っている。
客は二人組がひとグループ、酒場の隅にいるだけで、まるで活気がない。
「・・・いらっしゃい」
虚ろな表情の主人が私に声をかけた。毛むくじゃらの体毛に禿げた頭の巨漢。間違いない。彼がグーズリーだろう。
グーズリーは私が何の反応も示さないことを訝しんでいる様子だったので、私は小さく深呼吸し、フードを脱いで素顔を露わにした。
「ここで・・・働かせてくれませんか」
私が気の弱い少女を演じて言うと、グーズリーは目の色を変えた。
「ほう・・・」
ああ、その舐めまわすような視線。気持ち悪い。
今すぐにでも奴の頬に平手打ちをして立ち去りたかったけれど、私はグッと堪えた。
私の忍耐が功を奏した時、やつは平手打ちよりも強烈な致命傷を負うことになるのだ。
酒場の隅にいた客が主人に呼びかけた。
「葡萄酒を追加だ!」
私がその方向に気をとられていると、グーズリーはカウンター越しに私を小突いた。
「おい、客が呼んでるぞ。ちゃんと働け」
「は、はい」
私はカウンターの方に回り、不衛生なジョッキに葡萄酒を注いだ。そして、グーズリーに尋ねた。
「あの、葡萄酒はいくらで売るんですか?」
「銀貨五枚だ」
銀貨五枚。葡萄酒にしては、ずいぶん安いようだ。
私はジョッキになみなみ注がれた葡萄酒を運ぼうとした。でも、首筋をグーズリーの太い腕に掴まれて、それを阻まれた。
「そのまま出すわけねえだろう。水で薄めるんだよ」
グーズリーに言われて視線を落とすと、彼の足元に水がくまれた桶が置かれていた。桶の中に木製のスプーンが浮いているのを見て、私は全て察した。
すぐにスプーンで水を掬ってジョッキに注ぐ。
「これくらいでいいですか?」
私が確認すると、グーズリーはジョッキを手に取り、ゴクリと一口飲んだ。「まぁ、だな」
私は頷き、それを客のテーブルに運んだ。
「お待たせしました」
私が葡萄酒を運んでくると、客は珍しいものでも見るように私の顔をじろじろ見た。
「なんだ、新入りか?」
「はい。その・・・さっき、雇ってもらいました」
客は私が気弱そうなのを見ると、不愛想に銀貨を五枚、わざとらしく床に放り出した。
「ああ、落としちまったよ。ついお嬢ちゃんに見とれちまってね」
私は内心で舌打ちしたが、必死にその屈辱に耐え、身をかがめてその銀貨をかき集めた。形だけでも奴らの前に 跪いているというのが、すごく恥ずかしかった。
さらに、羞恥に身を震わす私の胸に、もう片方の客の蹴りがお見舞いされた。
「おっとごめんよ。足が当たっちまって」
思わず歯ぎしりした。人間のクズ。みんな死ねばいいのに。
怒りに震える身体を、なんとか 諭す。大丈夫、ルークが味わった苦痛に比べれば、なんてことはない。
必死に自分に言い聞かせるが、涙があふれてきた。すぐに袖で拭い、何事もなかったかのように立ち上がる。
「・・・どうぞごゆっくり」
私はそそくさとカウンターの方に戻っていった。
初日の仕事は、ほとんどこれだけだった。どうやら酒場は全く繁盛していないらしい。
夕方頃になると、グーズリーは私に店を閉めるように言った。
「これからが、一番の稼ぎ時なんじゃないんですか?」
私が尋ねても、グーズリーは不機嫌そうに「いや、今日は終わりだ」と言って、カウンターにもたれかかっていた。
仕方なく、私は屋号の蔦を外し、異臭のする雑巾で店の中を清掃した。一応箒があったので、それで蜘蛛の巣も払っておいた。
「終わりました」
私がそう告げると、グーズリーは何か怪しげにニヤリと笑った。
「今日は初日だが・・・よく頑張ったな」
彼は立ち上がって酒樽のコルクを捻り、一杯の葡萄酒をジョッキに注いだ。
「これはご褒美だ」
そう言って、私の前にジョッキを置く。
・・・怪しい。
私の脳裏を埋め尽くしたのは、それだった。
ルークが言っていたグーズリーは、従業員を労ったりなどしない。であるならば、これは?
罠だ。
間違いなく。でも、ここで断ったら怪しまれる。
多分、毒を盛るなんてことまではしていないはずだ。そんな素振りはなかったし、この酒場の閑散とした様子を見るに、毒を買うお金を持っているとは思えない。
私は恐る恐る、その葡萄酒を口に運んだ。低劣で後を引く、悪酔いするような、ひどい味だった。
あの客たち、こんな腐った葡萄汁に銀貨五枚も払っていたっていうの? 信じられない。私の父なら、こんな粗悪品を買ってきたりしない。
「おいしいです」
自分がそんなお世辞を言えたのは、半ば奇跡だった。
「ああ、そうだろう。なんせ、特殊なルートから仕入れてる最高級品だからな」
グーズリーが自慢げに鼻を鳴らす。
なんてはしたない男だろう。葡萄酒一つだってまともに選べないくせに酒屋を経営するなんて。しかも、少し前まではその無能のしわ寄せは全てルークに及んでいたのだ。可愛そうなルーク。今なら心から同情できる。私ならこんな生活、三日だって耐えられない。
グーズリーはカウンターを立ち、馴れ馴れしく私の肩に手を置いた。
「疲れたろう。こっちに寝室がある」
私は彼に連れられるまま、強いアルコールでふらつく足をなんとか制御しながら地下への階段を下った。
ああ、酒というのは飲み方を間違えるとこうも凶悪なのか、お父さんやお母さんが私にしつこく「上手に飲みなさい」といっていた理由が、ようやくわかった。
グーズリーの顔が二つにも四つにも見える、彼の目に関しては、六つだ。まるで蜘蛛のよう。
・・・いつの間にか、私は地下のベッドに寝かされていた。
部屋の奥でグーズリーが鼻歌交じりに燭台に灯をつけているのが見える。彼は上着を脱ぎすてていた。
私は気怠いのを我慢して自分の袖に目を移した。ああ、よかった。私はまだ、ちゃんと服を着ている。まだなにもされていない。まだ・・・。
「よかった・・・」
私が体を起こし、ベッドに腰かけて呟くと、グーズリーは眉を 顰めてこちらを見た。暗がりで灯に照らされる彼の脂ぎった 恰幅の良い身体は、醜い巨大なナメクジを想起させた。
「なにが、よかったって?」
グーズリーは少し私を警戒している様子だった。どうやら、強い酒を飲ませられた私が、こんなにすぐに回復するとは思っていなかったようだ。
私はベッドに座ったまま、服の中に布にくるんで隠していた包丁を取り出した。
「もしあなたが女の子に興味が無かったら、ここまで連れてきてもらえなかったから」
グーズリーは目を見張った。どうやら私の目的を察したようだ。
「なんだ・・・? 俺の何を知ってる?」
「ルークに聞いたわ。あなた、ひどい人だそうね。・・・今でもあの子、怯えてるわ。あなたが生きている限り、きっと彼に平穏は訪れない」
ルーク、という名を聞くと、グーズリーは怒りで顔を真っ赤にした。
「ルーク。あいつ、まだ生きてたのか。あんなガキ、どこかで野垂れ死んでると思って放っておいたが・・・ああ、あいつのせいだ。あいつがいなくなったせいで、俺の酒場は経営不振に陥った。あいつが・・・」
彼が忌々しそうにつぶやく間、私は不潔なベッドをゆっくりと撫でた。
なにかの液体の染みがへばりついていて、ところどころに 虱が跳んでいる。とてもムードがあるとは言えないどころか、ごわごわしていて、寝返りをうつだけで擦り傷ができてしまうような、ひどいものだった。
「このベッドの上で、ルークに酷いことをしたんでしょう?」
軽蔑の念をいっぱいに湛え、グーズリーを睨む。
グーズリーは不思議ともう怒ってはいない様子で、妙にフレンドリーに話しかけてきた。
「でもお嬢さん。ここまでついて来たっていうことは、お前も何か期待しているんじゃないのか?」
下品な顔で下品なことをいう彼の言葉に、私は吐き気をおぼえた。
「ルークから聞いたわ。この地下室は内部の音を外に殆ど漏らさないんですってね」
「ああ、五年間かけて一人で掘ったんだ。すごいだろ?」
私はおもむろに立ち上がり、彼に包丁を向けた。
「ここならあなたの悲鳴は外に漏れない。だれもこの部屋を知らないから、あなたの死体を発見もしない」
私は自分の足が震えているのを、必死に誤魔化した。
こんなクズを殺すのに、私は一体何を怖がっているのだろう。
この殺人は正義だ。グーズリーを殺して喜ぶ人こそいれど、悲しむ人間などいるはずがない。
正義。内心で呟いてみると、不思議と力が湧いてきた。
この正義は、神に意思に属するものではない。これは、私の正義だ。私の意思によって制定され、私の力によって成されるのだ。
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