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第一章 終わりのはじまり
4 星屑のような囁き
しおりを挟む昼休みの裏庭は、校舎の喧騒から切り離された別世界のように静寂に包まれていた。木漏れ日がゆっくりと地面に模様を描き、風に揺れる緑の葉はさらさらと軽やかな音を奏でている。ほんのりと漂う花の香りが、まるで時間の流れをゆるやかに緩めるかのようだった。
「……な、なに? 話って」
レンの声は戸惑いに満ちていた。目を大きく見開き、少し震える指先で腕をさすりながら、彼はカナメを見つめる。けれど彼女は何も言わず、ただじっと彼を見つめ返した。その瞳は冷たくも鋭く、真っ直ぐにレンの奥底を射抜くようだった。
透明感のあるブルネットが、爽やかな昼下がりの風に揺れる。さらさらとした中に淡い菫色の糸が織り込まれたような彼女の髪は、光を浴びて静かに輝いた。
「率直に聞く。君――ナシリじゃないよね」
カナメの声はまるで心の深層を透視するかのように静かで、しかしそこには疑念と警戒が宿っていた。
レンは目を見開き、数歩後ろに下がる。
「は……え? ナシ……、ナシリ???それ、昨日も言ったよね……えっ、やっぱ夢じゃなかったんだ!?」
彼の動揺に、カナメの表情が一瞬揺らいだ。核心を突くはずの問いは、予想外の反応によって彼女の手をすり抜けていくようだった。
「しらばっくれないでよ! 昨日もそうだったけど――君の魔素は、一般人のそれじゃない!!」
「ま、まそ……? マジで何言ってるかわかんないってば……」
頭を抱えるレンにカナメは一歩踏み出し、詰め寄るようにして声を強めた。
「と、とにかく!! 許可なく魔素を垂れ流すのは重罪なんだよ! “先生”が言ってたんだから!」
「“先生”って……誰のことよ?」
「~~~ッッ! んもう!!一緒に来てもらうからねっ!!」
その瞬間、彼女がレンの腕を掴もうとしたところで――
地鳴りのような低い振動が、地下深くから響き渡った。
「……な、なんの音?」
冷たい風が突如として吹き荒れ、校庭の穏やかだった空気は一瞬にして張り詰める。木々の葉はざわめき、空の青さすら凍りつくかのようだった。
あまり使われていない倉庫の陰から、黒く濁った魔素の塊が姿を現した。眼窩のない頭部に、ねじれた角が何本も生え、無数の爪が禍々しい影を落とす。肉のような質感と影のような輪郭が入り混じったその異形は、見る者の理性を蝕み、恐怖の根源を揺さぶる“魔獣”だった。
「うそ……なんで、学校に……本物の魔獣が……?」
カナメの声は震え、足がすくんで動けなくなった。
「お、おいヒウラ! 昨日みたいにやっつけろよ!」
腰を抜かしたレンが必死に叫ぶ。だがカナメは首を激しく横に振り、顔をこわばらせた。
「無理だよ……昨日のは訓練用の擬似魔獣なんだよ!?……私、まだ本物なんて……戦えない……!」
魔獣が低く呻き、禍々しい音を響かせる。爪のような前肢を振り上げ、空気を裂くように影をねじらせた。
「くっ……!」
カナメは急いで詠唱を始めた。掌から風の魔法を編み出し、壁のような障壁を形成しようとする。だがその防御は、薄紙のように脆くもたやすく破られた。
巨大な爪が、彼女の頭上に振り下ろされる――
だが、その刹那。
「――星々よ眠れ。夢の剣《つるぎ》よ、闇に還れ」
声が響いた。静かで冷たく、それでいて不思議なほど美しい。まるで遠い夜空から零れ落ちた星の囁きのように、耳に深く刻まれた。
黒衣の男が、影のように現れた。
冷たい風が一層強く吹き、彼の纏う星影のクロークコートは、繊維に織り込まれた微細な魔素結晶が光を受けて淡く輝き、まるで深い夜空そのものが生きて動くかのようにたなびいた。動くたびに星屑のような光の紋様がちらちらと舞い、彼の静けさは優雅さを併せ持っていた。
物語の奥から飛び出してきたような衣裳の彼が手を一振り、静かに降る。
無数の小さな光の刃が、星屑の軌跡のごとく宙を舞い、冷静に狙いを定めた先へ一直線に魔獣へと飛び込んでいく。
宙に浮かぶ彗星の欠片が、幾筋も煌めく光の軌道を描きながら異形を貫く。
光が弾け、魔獣の身体は裂かれ、黒煙を残して消え去った。
辺りに沈黙が訪れた。微かに揺れる空気と、消え残った魔素の匂いだけが静かに漂う。
二人の視線は自然と、クロークコートを纏った男に吸い寄せられた。
風が再び吹き抜ける。コートの裾が、木々のざわめきに紛れて揺れた。
彼は何も語らず、まるで何事もなかったかのように静かに立っていた。
レンは、呆然としたままその横顔を見つめている。確かに知っている。昨日、自分の命を救ってくれたあの男だ。
けれども。
今目の前にいる彼は、あの時とは違っていた。
まるで夜そのものを纏い、遠くて触れがたい存在に見えた。
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