星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第一章 終わりのはじまり

5 その癖、知ってる

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「先生!!」

 カナメの叫び声が、静寂に包まれた裏庭を突き破った。制服の裾を激しく翻しながら、彼女は黒衣の男のもとへと駆け寄る。守られていると感じたのか、その顔にはどこか安心した幼子のような表情が浮かんでいた。

 冷たい風が吹き抜ける。破壊された魔素の残滓が空気中に淡く漂い、まるでこの場所だけが別の次元に侵されたかのような錯覚を覚えさせる。

 男は冷静に問いかけた。

「無事か?」

「はい……ありがとうございます!」

 カナメは深々と頭を下げるが、その瞳には不安の影が残っていた。男の目元には情がほとんど浮かばない。任務を遂行する者の厳しい視線がそこにあった。

「不可侵区域における魔素の使用は、候補生には許可されていない。その理由をレポートにまとめて提出すること」

「う……すみません……」

 肩を落とすカナメに、男は少しだけ口調を和らげた。

「……だが、一般人の生命が最優先だ。レポートは五ページに収めておく」

「っ……はい!」

 レンは地面に座り込みながら、心の中で突っ込みを入れた。

(いや、それでも多いだろ……!)

 身体はまだ恐怖と混乱で固まっていた。

 必死に言葉を紡ぐ。

「……あんたたち、一体なんなんだよ……」

 男はしばらく沈黙したのち、静かに片手を掲げた。掌から柔らかな光が滲み出す。それは夢幻のような美しさと、抗い難い力の象徴だった。

 空気が震える。レンの記憶の奥底に触れようとする何かが迫る。

「先生、待ってください!!」

 カナメの声が割って入った。

「彼は……ただのナシリじゃないかもしれません!」

 男は動きを止めた。カナメの言葉にわずかに目を細め、ゆっくりとレンに近づく。視線は鋭くも深い湖のように静かだった。

 男はしゃがみ込み、至近距離でレンを見下ろす。

「魔素感知領域における反応を確認した。分布は広範囲かつ高密度で、未分化ながら発光素の純度が異常に高い」

 まるで論文を紡ぐかのように、男は淡々と分析を口にした。

「外部からの操作がないのにこの出力……自己覚醒の兆候か? いや、それにしては——」

「え……何を言って……」

 レンは呆然とし、言葉を失う。

「……お前、…………」

「え……、あの……、えーっと、」

 返答に、男のまぶたがわずかに動いた。繰り返すようにその名を口の中で転がす。

「……イシミネ・レン」

「えっ、何で……俺の名前……」

 その名を噛み締めるかのように。一瞬だけ表情が揺れたが、それが何の感情なのかは読み取れなかった。

 風が吹き抜け、男のクロークコートの裾を軽やかに揺らす。沈黙が数秒間、静かに場を支配した。

 カナメがためらいながら声をかける。

「先生……どうなさいますか?」

 男はゆっくりと立ち上がり、深く静かに答えた。

「仕方がない。ヒウラ、由《ゆい》を結べ。イシュ・アルマへの帰還路を開く」

「えっ!? 今ここでですか!?」

「……なにか問題でも?」

「いえ……何でもありません……(次の授業……出たかったのに……)」

 カナメは小さく息を吐きながら印を結ぶ。足元に魔素が収束し、小さな結界円が静かに咲くように浮かび上がった。由《ゆい》と呼ばれる結界は、元々の空間をじわじわと歪め、瞬く間にそこにはなかったはずの新たな空間を生み出した。

 レンはその場の流れに押し流され、つぶやいた。

「あ、あの……」

 男は振り返らず、冷たく言い放った。

「同行してもらう。拒否権はない」

「そ、そんな……!」

 肩を震わせて項垂れるレン。その様子に、男はふと目を伏せた。迷いではない。だが何か説明のつかない違和感が胸に刺さったように思えた。

 何も言わず、カフスボタンを指先で整える。その所作はあまりにも自然で優雅で——

(……ん??あれは……)

 レンの心にかすかな疑問が灯った。だがそれを深く考える暇もなく、結界の輪は完成に近づいていた。

 不穏で不可思議な旅の幕開けが、もうすぐそこにあった。
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