星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第一章 終わりのはじまり

7 ようするに、魔法使いの杖

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 重たく軋む音を立てて、扉が開いた。
 彼は何も言わず、ただ一歩だけ先に入る。
 わずかに顎を引いて、二人に促した。

「……入りなさい」

 その一言で、レンとカナメは思わず姿勢を正した。

 部屋の中は外の回廊とはまた違った空気を纏っていた。
 灯りは控えめで、天井には古い魔導照明が幾つか浮かんでいる。
 無造作に積まれた魔道書と資料。中央には大きな机。
 その表面には封印術式が重ね書きされた図面や魔素反応グラフ、年代も不明な文献などが広がっていた。
 一角には標本のような植物と水晶。ほのかに脈打つ魔素が室内を巡っている。

 整理整頓という言葉からは程遠い。だが、どこか整然とした秩序があった。
 それは混沌の中に意志の流れがあるような、学者特有の空間だ。

 レンとカナメが足を踏み入れたとき、部屋の結界が一瞬だけ反応音を立て、空間を調整した。
 異分子を受け入れるための調律だった。

 沈黙が落ちた。
 誰も口を開かない時間が数秒、数十秒と流れる。

 レンがそろそろと声を上げかけたそのとき。

「あの、」

「なぜ気がついた」

 それは、遮るような声だった。
 低く、静かだが、研ぎ澄まされた刀のように鋭い。
 レンは思わず言葉を飲み込む。

 スメラギは、ちらりとカナメのほうを見た。
 責めるようでもなく、ただ確認するように。

「わ、私は何も言ってませんからね!ねっ、イシミネ!」

 カナメが慌てて両手を振った。
 スメラギはそれに応えるように、深くため息をついた。

「……だろうな」

「いや……その、スメラギ先生ってそのカフス、よく触ってますよね?いつも無意識みたいに、左手のほうばっかり。で、なんとなく、あれ?って……」

 レンの言葉に、スメラギはわずかに目を見開いた。

 静かな驚きが、瞳の奥で微かに揺れた。
 だが次の瞬間にはもう、それを表情から消している。

「…………」

「あの……俺、なんか悪いこと……?」

「いいや」

 言葉は意外なほど柔らかかった。

「いい観察眼だと思ってな。無理強いしてすまなかったな。ここはイシュ・アルマ──魔導士たちの集う場所だ」

「ま、魔導士……? それっていわゆる魔法使い……ってこと??」

 レンは目をパチクリさせながら、ありえない単語をどう処理すべきか脳内で右往左往していた。

 ──それも当然だろう。
 魔法なんて、お伽話の世界だけの話だと、彼はこれまで信じて疑わなかったのだから。

 スメラギは静かにうなずき、少し距離を取るように机に手を置いた。
 そして、淡々と語りはじめる。

「……魔法とは、奇跡ではない。自然界に存在する魔素を理論的に制御し、意図通りの現象を引き起こす技術体系だ。
 生得的に魔素を感知・運用できる個体──それが『適性』と呼ばれる。
 適性は遺伝的傾向を持つが、環境要因も大きい。
 制御方法は、術式構文・音韻・具象具・契約媒体・精神演算など多岐に渡り──」

「せ、先生、ちょっと先生!!」

 カナメが慌てて袖を引いた。

「イシミネ、硬直してます!」

「…………」

 レンは椅子の背もたれに手をかけたまま、ほぼ半口を開け、目は完全に虚空を見つめている。
 誰がみても間抜けな顔をした彼の脳は今、前提を書き換えられるほどの情報を一気に押し込まれ、処理を停止していた。

 スメラギは僅かに眉を寄せたが、自分の語り方を省みることはない。

「……簡単に言うと、魔素っていう空気みたいなエネルギーがあって、使える人と使えない人がいる。使える人がマナ、使えない人がナシリっていうの。んで、ここはマナが勉強して魔法を使いこなすための学校、ってこと!」

 カナメが要点だけを抜き出してレンに伝えると、彼はようやく瞬きを再開した。

「……そ、そっか、空気みたいな……」

「そうそう、魔素はみんな吸ってるけど、コントロールできる人だけが“魔法”って形にできるんだって。あとスメラギ先生は理論厨だから難しく話しがち」

「理論厨……」

「ね? 先生、イシミネが固まっちゃったら元も子もないでしょ!」

 カナメが振り返ると、スメラギはすでに机の上の文献に目を落としていた。

「……理解力の不足は、指導の不備でもある。後で補講を入れておこう」

「今じゃないってば!!」

 カナメの声が室内に響いた。

 一方でレンは、まだ完全に状況を飲み込んだとは言いがたかったが、目の前にいる男──スメラギの存在だけは、確かにこの世界の“本物”なのだと、理解しはじめていた。

 ⸻

 薄暗い研究室の奥。大理石のように冷たい床に、仄白い光が斜めに差し込んでいる。整然と並ぶ実験台の上には、古びた書物と魔導器の残骸。レンは戸惑いを隠せず、その真ん中に立っていた。

 隣では、スメラギが懐から小ぶりな装置を取り出す。真鍮と魔力導線が織り込まれた、どこかアンティークな気配のする道具だ。表面には螺旋状の装飾が施され、中央には青白く光る宝珠が嵌め込まれている。

「……お前をここへ連れてきた理由だが」

 重く静かな声が部屋に響いた。レンは反射的に背筋を伸ばす。しかし次の言葉が続くより早く、カナメが口を挟む。

「要するに、昨日の邂逅の件です。魔獣が君にだけ強く反応した。魔獣って言うのは、あの怪物ね。それは君の中に、魔素……つまり、魔法の源になる力が潜んでいるせい」

 レンは目を瞬いた。あの時の奇妙な感覚が、頭の奥で蘇る。

「だからそれを詳しく調べるために、こうしてここへ呼ばれた……ってわけ。……で、あってますよね? 先生」

「ああ」

 短く応じるスメラギ。その声音には感情の起伏はないが、どこか思案深い響きがあった。

「えっ、じゃあ俺も魔法使いってこと!?」

 レンの目がぱっと輝く。何それ、凄いじゃん!!
 憧れが一瞬、素直に言葉に乗った。

 カナメは肩をすくめて、苦笑混じりに訂正する。

「正確には、“その因子を持つ予備軍”。魔術を使えるかどうかは、まだ不明なの。だから今日、ソレを調べるってわけ」

 少し誇らしげに説明を締めくくったあと、ちらりとスメラギを見る。返ってきたのは無言の肯定。

「……そっか。予備軍、かぁ……」

 レンは頬を指で掻いた。ワクワクと不安が綯い交ぜになり、胸がざわつく。

 その間に、スメラギが先ほどの装置を構えた。宝珠が仄かに明滅し始める。

「じっとしていろ。すぐに済む」

 その声に、レンは思わず姿勢を正した。と、同時に――

 装置から放たれた淡い光が、レンの頬を撫ぜた。優しく、しかし芯に触れるような感覚。

「くすぐった……!」

 レンは身体をよじったり、肩を揺すぶったりと落ち着かない。だがカナメが即座に鋭く叫ぶ。

「じっとしてて!」

「ご、ごめん!」

 測定器の宝珠が、次第に明るくなっていく。数値が跳ね上がり、止まる気配がない。

「……え、これ大丈夫?」

 レンが不安げに言ったその瞬間――

 ボフンッ

 黒煙を上げて、測定器が破裂音とともに沈黙した。

「……壊れちゃった……」

 カナメが呆然としたままぽつりと呟く。その声には、明らかな怒りよりも呆れが混じっていた。

「先生、物持ち良すぎにも程がありますよ! 何年前の機械ですか、コレ!」

 カナメは完全に機械の老朽化を疑っているようだが、スメラギは何も言わず、煙の残る装置を見つめていた。

 ――測定不能。異常反応。レンの魔素が、既存の理論に収まらない。

 沈黙のなか、彼は眉をわずかに寄せる。

「……存外、面倒なことになったな」

 ぼそりと落とされた言葉。レンは瞬時に身構えた。

「……え?」

「仕方がない。実地による再測定に変更する」

「ええ~!? マジですかぁ……」

 カナメは深々と肩を落とした。測定が破損すれば終わり、と思っていたらしい。

 スメラギは淡く笑った。口元だけが、わずかに持ち上がる。

「そう言うな。追加課題として、単位に加味しておくから」

 スメラギは社交辞令よろしく、感情のこもらない形だけの微笑みで言い切る。

「うぅ、上手く誤魔化された感……」

 肩をすくめたカナメの横で、レンだけがぽかんとしていた。

「え、どゆこと?」

 話が飲み込めず、完全に置いてけぼりだ。

 それに対し、スメラギは淡々とした口調で言い渡す。

「イシミネ。お前はこれから、ヒウラと共にある場所へ向かってもらう」

「へっ?」

「その場所で魔素異常が検出された。調査と観測が目的だ。難しいことは何もない。ただ、見て帰ってくるだけだと思えばいい」

 ――“見るだけ”。だが、その意味がどこまで本当なのか、レンにはまだわからなかった。

「……はぁ」

 思わず曖昧な返事が口から漏れる。だがカナメがすかさず念を押す。

「足、引っ張んないでよね」

 レンは苦笑した。気安く放たれた一言に、不思議と肩の力が抜ける。

 スメラギは背後の戸棚から、一つの小箱を取り出す。美しい宝石細工が施された古風な箱だった。

 ぱちりと蓋が開かれる。中に入っていたのは、銀色にきらめく指輪――

「これはエーテル・バインダーだ」

 リングは淡く光を反射している。内側には、細かな魔術式の刻印。

「魔素の流れを調律し、外界との接続を助ける。お前のためにあつらえられたものではないが……まぁ、とりあえずの間に合わせだ」

 レンはその輝きを見つめながら、ふわっと返事を漏らす。

「……はぁ」

 その反応に、今度はカナメが頬を膨らませる。

「ちょっとイシミネ!! 先生がせっかく説明してくれてるのに、何その気のない返事は」

「いや、色々ついてけなくて……」

 正直な言葉に、スメラギの目が少しだけ細くなる。

「無理もないさ。その指輪も要するに“魔法使いの杖”とでも思っていればいいし、お前はヒウラに同行し現場を“見て”くればいい。ただそれだけだ。……何か質問は?」

 レンはしばらく考えた。けれど、混乱が晴れないまま、ぽつりと答える。

「ない……多分」

「よろしい」

 スメラギは静かに頷いた。

 そして、その眼差しの奥で――何かを、見定めるように、レンを見つめていた。
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