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第二章 火を見るよりあきらか
19 夕暮れティータイム
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夕暮れの学術都市は、空に群青のヴェールを纏い始めていた。
西の空にわずかに朱を残し、校舎を吹き抜ける風はどこか冷たさを帯び、一日の終わりを静かに告げている。
中庭ではまだ、訓練に励む生徒たちの姿がぽつぽつと見受けられた。
石畳の広場では、巨大な封印陣を描いたフィールドで三人一組の術者たちが展開訓練を行っている。魔素が火花のように弾け、「再構築!」という叫びが飛ぶ。陣がわずかに歪み、術式は霧散した。
その隣では、長い木製の槍を手にした生徒たちが、型を反復していた。槍の穂先には魔素を纏わせる術式が組み込まれており、実戦形式の対魔獣戦技だ。掛け声とともに地面が踏み鳴らされ、淡く飛沫が上がる。
さらに奥の林では、感応訓練中の生徒たちが静かに座り込んでいた。幾重にも張られた結界は、触れる者の魔素にだけ応じて反応する。練度がなければ、ただの空間にすぎない。
それらすべてが、未来の退魔師たちの歩む道である。
──そんな喧騒から少し離れた一角。黄昏の光も届かぬ、静寂な研究棟の奥。
螺旋階段の先にある、重たい木扉の向こうの一室。
仄かに魔素の香りが漂うその部屋で、二人の若者がぐったりと机に突っ伏していた。
「し、死ぬかと思ったぁ……」
カナメが弱々しく呻き、レンが追い打ちのように天を仰ぐ。
スメラギの研究室は、天井まで届く古書が整然と並び、机の上には幾重にも重ねられた資料と論文。壁には古代術式を刻んだ短剣が額装されており、学術的緊張感に満ちていながらも、不思議と息苦しさはない。魔力濃度の高い空間であるにもかかわらず、それは圧ではなく、穏やかに包むような柔らかさで漂っていた。
「ヒウラ、ご苦労だったな」
戸棚の前で、スメラギが淡々と告げる。
何かを探しているらしく、背を向けたまま静かに棚を漁っていた。
その背中には、退魔戦術の講師としての威厳と、ひとりの術者としての気配が静かに滲む。
彼は、クロークコートと詰襟のジャケットを脱ぎ、漆黒のシャツの上に上質なノーマル丈のジレを重ねていた。
深く落ち着いた色合いの布はその細身の躯体に完璧に馴染み、シャツの柔らかな皺すら計算されたように整っている。
特に──腰回りのラインは顕著だった。
どれほど着込んでいても隠しきれないその造形。布地の下にある体の構造が、輪郭すら浮かび上がるかのような密やかな色気を醸し出している。くびれた腰からゆるやかに落ちるジレのライン、軽く湾曲した背中と、細いながらも鍛えられた腰骨の位置が、着衣越しに明確だった。
魔力による温度調整が施された服装は、見た目以上に快適でありながら、見る者には一種の幻想めいた重ね着の美を強く印象づける。
(……うう、スメラギ先生、カッコ良すぎる気がするんだけど?)
レンが背中越しに見とれ、無意識に心の中で呻いた。
「うぅ、ロドキン・ジェリーの効果は絶大……。恐るべし伝説のパティシエ……」
アフタヌーンティー一つで、ここまで酷使されるとは──
カナメが机に突っ伏したまま呟く。
「ヒウラ、ありがとう。でも……俺も疲れたー!」
レンも負けじと頭を机に突きつけた。
そんな二人のもとに、気づけばスメラギが歩み寄っていた。
香り立つ湯気とともに、陶器のカップが二つ、そっと机の上に置かれる。琥珀とは異なる、透明感のある幻想的な液体が、光を受けて微かに輝いていた。
それは──星雫茶(せいしゅちゃ)。
微光花〈ルミリス〉の花弁と、浄化作用をもつ結晶を細かく砕いて抽出した特殊な茶で、見る角度によって色が揺らめく。夜明け前の空のような蒼、柔らかな紫、そしてまれに虹の膜が浮かび上がることもある。
一口含めば、言葉にできないほど繊細で、心の芯まで沁み渡るような透明な味わいが広がる。
「……えっ、これっ……スメラギ先生が、淹れてくれたんですか?」
驚いたようにカナメが顔を上げた。
「……無理を言ったからな。不要だったか?」
スメラギは表情を崩さぬまま、静かに椅子に腰を下ろした。背筋はすっと伸び、長い脚を優雅に組む動作も無駄がない。
「とととととんでもない!!ありがたくいただきます!!!」
カナメが一転して直立不動で頭を下げる。
「不思議な色の紅茶~……え、めっちゃ美味しい!!」
レンが一口飲んで、目を丸くした。
「ちょっと!!スメラギ先生の紅茶なんて、そうそういただけるものじゃないんだから!!ちゃんと味わいなよ!!」
「んな大袈裟な……」
レンは苦笑いしつつ、もう一口を口に運ぶ。
そのやり取りを見守るように、スメラギはそっと微笑んだ。
長い睫毛の奥、彼の瞳がわずかに細められる。優しさというより、それは懐かしさに似た──遠い記憶をなぞるような表情だった。
「……イシミネ」
レンが顔を上げると、紅茶の湯気の向こうから、スメラギの静かな声が届いた。
「明日からは忙しくなるぞ。なにせお前は、学ぶべき手習いをスキップしている。初めは苦労するのが火を見るよりも明らかだ」
「ううー……脅かさないでくださいよぉ……」
レンが肩を落とし、カップを両手で抱えたまま項垂れる。
「ふふ、なるようになるさ」
その一言に、レンが思わず顔を上げた。
スメラギが──笑っていたのだ。
教室では見せない、柔らかく、どこかあたたかな笑み。
カナメはその表情に、思わず目を見開いた。
(……また、笑った)
一瞬、胸の奥がふわりと温かくなる。
その笑みにどこか遠く寂しげな気配があったのは──きっと気のせいだ。
西の空にわずかに朱を残し、校舎を吹き抜ける風はどこか冷たさを帯び、一日の終わりを静かに告げている。
中庭ではまだ、訓練に励む生徒たちの姿がぽつぽつと見受けられた。
石畳の広場では、巨大な封印陣を描いたフィールドで三人一組の術者たちが展開訓練を行っている。魔素が火花のように弾け、「再構築!」という叫びが飛ぶ。陣がわずかに歪み、術式は霧散した。
その隣では、長い木製の槍を手にした生徒たちが、型を反復していた。槍の穂先には魔素を纏わせる術式が組み込まれており、実戦形式の対魔獣戦技だ。掛け声とともに地面が踏み鳴らされ、淡く飛沫が上がる。
さらに奥の林では、感応訓練中の生徒たちが静かに座り込んでいた。幾重にも張られた結界は、触れる者の魔素にだけ応じて反応する。練度がなければ、ただの空間にすぎない。
それらすべてが、未来の退魔師たちの歩む道である。
──そんな喧騒から少し離れた一角。黄昏の光も届かぬ、静寂な研究棟の奥。
螺旋階段の先にある、重たい木扉の向こうの一室。
仄かに魔素の香りが漂うその部屋で、二人の若者がぐったりと机に突っ伏していた。
「し、死ぬかと思ったぁ……」
カナメが弱々しく呻き、レンが追い打ちのように天を仰ぐ。
スメラギの研究室は、天井まで届く古書が整然と並び、机の上には幾重にも重ねられた資料と論文。壁には古代術式を刻んだ短剣が額装されており、学術的緊張感に満ちていながらも、不思議と息苦しさはない。魔力濃度の高い空間であるにもかかわらず、それは圧ではなく、穏やかに包むような柔らかさで漂っていた。
「ヒウラ、ご苦労だったな」
戸棚の前で、スメラギが淡々と告げる。
何かを探しているらしく、背を向けたまま静かに棚を漁っていた。
その背中には、退魔戦術の講師としての威厳と、ひとりの術者としての気配が静かに滲む。
彼は、クロークコートと詰襟のジャケットを脱ぎ、漆黒のシャツの上に上質なノーマル丈のジレを重ねていた。
深く落ち着いた色合いの布はその細身の躯体に完璧に馴染み、シャツの柔らかな皺すら計算されたように整っている。
特に──腰回りのラインは顕著だった。
どれほど着込んでいても隠しきれないその造形。布地の下にある体の構造が、輪郭すら浮かび上がるかのような密やかな色気を醸し出している。くびれた腰からゆるやかに落ちるジレのライン、軽く湾曲した背中と、細いながらも鍛えられた腰骨の位置が、着衣越しに明確だった。
魔力による温度調整が施された服装は、見た目以上に快適でありながら、見る者には一種の幻想めいた重ね着の美を強く印象づける。
(……うう、スメラギ先生、カッコ良すぎる気がするんだけど?)
レンが背中越しに見とれ、無意識に心の中で呻いた。
「うぅ、ロドキン・ジェリーの効果は絶大……。恐るべし伝説のパティシエ……」
アフタヌーンティー一つで、ここまで酷使されるとは──
カナメが机に突っ伏したまま呟く。
「ヒウラ、ありがとう。でも……俺も疲れたー!」
レンも負けじと頭を机に突きつけた。
そんな二人のもとに、気づけばスメラギが歩み寄っていた。
香り立つ湯気とともに、陶器のカップが二つ、そっと机の上に置かれる。琥珀とは異なる、透明感のある幻想的な液体が、光を受けて微かに輝いていた。
それは──星雫茶(せいしゅちゃ)。
微光花〈ルミリス〉の花弁と、浄化作用をもつ結晶を細かく砕いて抽出した特殊な茶で、見る角度によって色が揺らめく。夜明け前の空のような蒼、柔らかな紫、そしてまれに虹の膜が浮かび上がることもある。
一口含めば、言葉にできないほど繊細で、心の芯まで沁み渡るような透明な味わいが広がる。
「……えっ、これっ……スメラギ先生が、淹れてくれたんですか?」
驚いたようにカナメが顔を上げた。
「……無理を言ったからな。不要だったか?」
スメラギは表情を崩さぬまま、静かに椅子に腰を下ろした。背筋はすっと伸び、長い脚を優雅に組む動作も無駄がない。
「とととととんでもない!!ありがたくいただきます!!!」
カナメが一転して直立不動で頭を下げる。
「不思議な色の紅茶~……え、めっちゃ美味しい!!」
レンが一口飲んで、目を丸くした。
「ちょっと!!スメラギ先生の紅茶なんて、そうそういただけるものじゃないんだから!!ちゃんと味わいなよ!!」
「んな大袈裟な……」
レンは苦笑いしつつ、もう一口を口に運ぶ。
そのやり取りを見守るように、スメラギはそっと微笑んだ。
長い睫毛の奥、彼の瞳がわずかに細められる。優しさというより、それは懐かしさに似た──遠い記憶をなぞるような表情だった。
「……イシミネ」
レンが顔を上げると、紅茶の湯気の向こうから、スメラギの静かな声が届いた。
「明日からは忙しくなるぞ。なにせお前は、学ぶべき手習いをスキップしている。初めは苦労するのが火を見るよりも明らかだ」
「ううー……脅かさないでくださいよぉ……」
レンが肩を落とし、カップを両手で抱えたまま項垂れる。
「ふふ、なるようになるさ」
その一言に、レンが思わず顔を上げた。
スメラギが──笑っていたのだ。
教室では見せない、柔らかく、どこかあたたかな笑み。
カナメはその表情に、思わず目を見開いた。
(……また、笑った)
一瞬、胸の奥がふわりと温かくなる。
その笑みにどこか遠く寂しげな気配があったのは──きっと気のせいだ。
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