星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

文字の大きさ
31 / 109
第三章 夜帳のきざし

27 偽りの光、真なる光

しおりを挟む
 崩れかけた記録装置の奥――
 その空間が、不気味な軋みとともにひときわ大きく歪んだ。

「来るぞッ……!」

 スメラギの声が低く響いた瞬間、魔素が暴発する。
 奔流は炎のような輝きを伴いながら、一気に広がった。

 だが、それはただの熱ではない。
 耳に届いたのは、焼けつくような魔素の悲鳴――
 断末魔のようにひしゃげた〈記憶〉の残滓だった。

 燃え上がるように姿を現したのは、カサリビの深炎《シンカ》――ヒカリオクリ。

 仮面のような顔、尾を引く光の帯。
 美しさと禍々しさが同居するその姿は、見る者の精神を試すかのように異質だった。

「……自然発生体じゃないな。魔素の構造が、整いすぎている」

 スメラギが息を潜めるように告げると、レンとカナメは一瞬視線を交わした。

「整いすぎてるって、どういうこと……?」

「人為的に手が加えられているということだ。ここに残された記憶、魔素と融合し、“形”になった……負の媒介を宿した、暗き光だ」

 その説明の刹那――

 ヒカリオクリが、光線を放った。

 空間が悲鳴を上げ、裂ける。
 異界の口が穿たれるようなその一撃を、スメラギが即座に防ぐ。

「ッ……!」

 掌を翳すと同時に、幾重にも重なる魔法障壁が三人の前に展開された。
 灼熱の閃光を正面から受け止めると、空間全体が軋むように揺れた。

 だが、たとえ防いでも、その余波だけで皮膚を焼かれるような痛みが襲う。

(あれを、完全に防ぐには……)

 スメラギは脳内で、瞬時に複数の構築魔法を組み上げ、破棄し、また再構築する。
 それでも、どれも“最適解”ではなかった。

 ヒカリオクリ――その“本質”は、単なる破壊衝動ではない。

 それは誰かの魂が変質したもの。
 記憶が魔素となって形を成し、捩れた存在へと変わり果てたもの。

 ただ斬るだけでは届かない。
 ただ祓うだけでは、意味をなさない。

「……先生、攻撃が……!」

 焦るカナメの声が、微かに震える。
 彼女も術式を試みるが、そのすべてがヒカリオクリの“光”に吸い込まれ、霧散していく。

(打開策はある。“解放”による滅却。だが……)

 スメラギの視線が、一瞬だけレンの背へと留まる。

(……ここでは、“それ”は許されない)

 そう考えた時だった。

 レンが、小さく、しかし確かに呟いた。

「……先生。あいつ、泣いてる」

「……なに?」

 レンのその一言に、空間の温度が変わった気がした。

 視線の先――
 ヒカリオクリの尾を引く光が、かすかに揺れていた。
 そこに滲んでいたのは、怒りや憎しみではなく……哀しみだった。

 ――たすけて

 幻聴ではない。
 スメラギの眉が、わずかに動く。

「……」

 彼はほんの一拍、虚空を仰ぐように目を伏せた。
 誰にも見せぬ表情で、ひとつ、息を整える。

「……必要なのは、“真なる光”での祓いだ」

 それは誰かに説明するための言葉ではなかった。
 彼自身の覚悟を確かめるように、静かに呟かれた独白。

 “偽りの光”を、真の光で照らす。
 赦しを与えることで、浄化を促す。
 それが、彼らを昇華へと導く唯一の方法。

 スメラギが掌を掲げる。
 そこに浮かび上がったのは、金色に近い銀の魔法陣。

 夜明け前、最も深い闇を貫く一閃のように。
 その光は、どこか切なく、そして哀しかった。

「——汝、闇に在りて、光を識らず
 我、暁を掲げ、汝を迎えん」

 詠唱と同時に、空間を埋め尽くすほどの眩い光が放たれた。

 銀光の魔素がスメラギを包む。

 それはまるで、存在そのものを焼いていくような痛烈な輝き。
 骨の髄から何かが削れていく、鋭い音が耳奥を貫いた。

 だが、スメラギは顔色ひとつ変えない。
 その瞳だけが、静かに、真っ直ぐにヒカリオクリを見据えていた。

 無垢なる“ほんとう”の光が、異形の存在を包み込む。

 仮面が割れ、光の尾が千切れ、
 ヒカリオクリの輪郭が、そっと――崩れていった。

 まるで、ようやく安らぎに至る者の最期の吐息のように。

 

 ——ありがとう——

 レンには、確かにそう聞こえた気がした。

 ⸻




「先生……!」

 カナメの声に、レンが現実に引き戻される。

 そこには、片膝をついたスメラギの姿があった。

 意識はある。
 だが、肩はかすかに震え、色白の肌は血の気を失い、指先は凍えるように冷たかった。

「……問題ない。魔素のバランスが崩れただけだ。心配には及ばない」

 その声は、どこまでも平坦だった。
 あまりに整いすぎていて、どこか機械のようですらあった。

 だが――レンには、わかっていた。

 その言葉の中に、優しい嘘が含まれていることが。

 彼の魔法が放った温度の奥に、確かな痛みがあったこと。
 それでも誰かを守ろうとする意志が、確かに宿っていたことが。

(……先生)

 言葉にはしなかった。
 だがレンは、その背中を、まっすぐに見つめていた。

 そして、社の奥に残された空間には――
 再び、静寂が戻っていた。

 だがその静けさは、単なる終わりではない。
 そこには確かに、“新たな幕開け”の気配が漂っていた。

 ここで彼らが触れたもの。見届けたもの。

 それは物語の“始まり”を告げる、光の断章だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま

中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。 両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った叔父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。 故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!! 様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材! 僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX! ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした辺境伯婚約者オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。 うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか! 僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。 そうしてニ年後。 領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。 え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。 関係ここからやり直し?できる? Rには*ついてます。 後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。 ムーンライトにも同時投稿中

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!

野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ 平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、 どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。 数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。 きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、 生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。 「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」 それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

望まれなかった代役婚ですが、投資で村を救っていたら旦那様に溺愛されました。

ivy
BL
⭐︎毎朝更新⭐︎ 兄の身代わりで望まれぬ結婚を押しつけられたライネル。 冷たく「帰れ」と言われても、帰る家なんてない! 仕方なく寂れた村をもらい受け、前世の記憶を活かして“投資”で村おこしに挑戦することに。 宝石をぽりぽり食べるマスコット少年や、クセの強い職人たちに囲まれて、にぎやかな日々が始まる。 一方、彼を追い出したはずの旦那様は、いつの間にかライネルのがんばりに心を奪われていき──? 「村おこしと恋愛、どっちも想定外!?」 コミカルだけど甘い、投資×BLラブコメディ。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

その捕虜は牢屋から離れたくない

さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。 というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

処理中です...