星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第六章 回り始めた歯車

50  終焉を超える光

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 星剣が選び取ったのは、ひとりの少年だった。

 まだ幼さの残る手が、精緻な意匠の柄をしっかりと握りしめる。

 その瞬間、世界が音を立てて軋んだ。
 稲妻のような閃光が空を裂き、耳を劈く轟音が戦場を揺らす。

 ──空間そのものが、光に貫かれたのだ。

 レンが星剣を手にしたその刹那、戦場の空気は一変した。
 先ほどまで満ちていた濁った瘴気は潮が引くように消え、世界全体が息を呑んだように沈黙する。

 それはまるで、“選定”そのものが下された瞬間。

 神の意志か、あるいはただの偶然か──
 だが確かに、それは抗いようのない運命の介入だった。

 アプダの長姉、ティシフォネは凍りついたように目を見開いた。

「……そんな、はずはない。あってはならない……世界が介入したなど、あり得ない!!!!」

 その叫びは、やがて悲鳴となり、怒号に昇華していく。

 彼女の冷たい微笑みは粉々に砕け、その仮面の下から溢れ出したのは、剝き出しの狂気だった。

 紫黒の髪が逆立ち、肩口から迸った魔素が暴風のように空気を巻き込む。
 重く軋む空気。歪む景色。魔力の奔流は妹たちの魔素すら取り込み、黒く蠢く触手のようにレンへと伸びていく。

 だが──

 レンは、一歩、前へと進んだ。

 小さなその歩みには、しかし微塵の躊躇もなかった。
 その瞳には恐怖の影ひとつなく、ただ、誰かを守ろうとする意思がまっすぐに宿っていた。

「……行かせない!」

 少年の声が、風を断ち切るように鋭く響く。

 星剣が閃き、眩い光の弧を描いて振るわれた。
 放たれた一閃は、まるで空を裂く翼のごとく──黒き呪詛の奔流を、ことごとく切り払う。

 高く鋭い破裂音。
 ティシフォネの魔素は、たちまち霧散し、光に呑まれた。

「ぬああああああッ……!」

 ティシフォネの絶叫が空間を震わせる。
 それは怒りか、恐怖か、あるいは──絶望か。

「おのれ……おのれおのれぇっっ!! いつの世も、貴様らは……邪魔ばかりするッ!!」

 狂乱の中、彼女の声は嗄れ、感情に引き裂かれていた。

「ティー姉! どうすんだよ……! こんなん聞いてないってば……!」

 妹の一人、アレクトゥが呻くように叫ぶ。
 レンの光に焼かれたその顔は、醜く爛れていた。

「黙れ、下衆がッ!」

 ティシフォネが唸り声とともに魔素を放つ。
 逆立つ髪が蛇のように伸び、猛毒の風となって少年に襲いかかる。

「死ねぇええええええッ!!」

 ──だが。

 レンは、ただ静かに剣を構える。

 振るってはいない。それでも星剣は、少年の意志に呼応してまばゆい光を放った。

 その光に触れた瞬間、ティシフォネの魔素はまるで霧のように消滅した。

 まるで──存在そのものが、この世界から拒絶されたかのように。

「なっ……」

 ティシフォネの目に、はっきりとした“恐怖”が浮かぶ。

 その様を遠くから見ていたスメラギは、膝をついたまま、息を呑んでいた。

(この剣は……“理”を変える……)

 単なる攻防の力ではない。
 星剣が示したのは、世界の法則そのものを、根源から書き換える力だった。

 レンの存在が今まさに──“運命”を改変しようとしていた。

 ──

「ば、バカな……っ、術式が弾かれた……! 冥府にすら届くはずの破滅の呪いが……反転するっ……逆流……!」

 切迫したティシフォネの声に、妹のメガイラが蒼白な顔を歪める。
 術式回路が悲鳴を上げ、毒素と熱が逆流し、制御不能に陥っていた。

「姉様の術式は、類稀なる構築……それを、こんな子供が……!」

「──子供じゃ、ない!」

 レンの声が、雷鳴のように展示室を貫いた。

「俺は知らない。この剣が、なぜ俺に応えたのかも、本当は……わからない。
 でも……俺は、先生を守りたかったんだ!」

 その言葉とともに、星剣が命のように煌めく。
 それは希望であり、抗いであり、ただ“誰かのために在りたい”という意志の光だった。

「これ以上先生を……ミナトさんを、傷つけるな……!」

 レンの足が、一歩、前へ。

 その一歩が空間を軋ませ、展示室全体が沈黙する。
 まるで、世界の構造が少年を中心に再編されていくかのようだった。

「おのれ……おのれ……! なぜ貴様が、その光を持つ……ッ!」

 ティシフォネの顔から余裕が消え、怒気と恐怖が入り混じる。

 暴走する魔素の奔流を撒き散らしながら、ティシフォネは後退する。
 その身を庇うように、メガイラとアレクトゥが前へと進み出る。

「姉様!」
「ティー姉!」

 だが──レンが、静かに星剣を横に振る。

 わずかな動き。
 それだけで、展示室に充満していた毒気と闇が、一瞬で霧のように掻き消えた。

 剣閃は音もなく空を裂き、空間そのものを“浄化”する。

 それはまるで、世界そのものからの拒絶であった。

 スメラギは、膝をついたまま、少年の背中を見上げていた。

(……イシミネ・レン……)

 その名を、心の奥で静かに呼ぶ。
 現実離れした光景が、なぜか確かに理解できていた。

(本当に……お前が)

 彼が今まで見てきた、あらゆる術者とも兵器とも違う。
 レンは力に呑まれない。それを拒むのでもなく、ただ──“想い”を中心に据える。

「くっ……こんなところで……終われるものか……!」

 ティシフォネの顔が苦悶に歪む。
 魔素は暴走の極致に達し、空間が断末魔のような音を立てて悲鳴を上げる。

 咆哮とともに放たれた濁流のような魔素。
 世界が、闇に呑まれかけた──そのとき。

 レンの手にある星剣が、静かに、きらりと輝いた。

 ──一閃。

 すべての闇も、呪いも、咆哮も、切り裂いた。

「次は……必ず……ッ!」

 ティシフォネの声が、怒りと悔しさに満ちて響く。
 だが、もはや彼女の足はふらつき、立つことすらままならなかった。

「姉様、もう……!」

「ここは──引く!!」

 妹たちがティシフォネの身体を支え、三人の姿は魔素の霧とともに消え去った。

 残されたのは、嵐の通り過ぎたあとのような静寂。

 ようやく、博物館の展示室に“世界”の音が戻り始める。

 静まり返った空間の中、スメラギは崩れるように膝をついたまま、少年の背中を見つめていた。

 その小さな背に、確かに──星のような光が宿っていた。

「……レン……君は……君なら……」

 その先の言葉を、彼は口にすることができなかった。

 だが、胸の奥には確かな想いが芽生えていた。

 ──お前ならば、終わらせられるかもしれない。

 誰にも託せなかった希望。
 ずっと自分だけが背負ってきた終焉の未来。

 その運命を変える力が、今、少年の掌に──確かに握られていた。

 スメラギはただ、光に包まれたその背中を、深く、静かに見つめ続けていた。
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