星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第六章 回り始めた歯車

53 星剣に選ばれしもの

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 アクタビは、無造作に積み上げられた文献の山から、まるで初めからそこにあると知っていたかのように、一枚の羊皮紙を器用に引き抜いた。
 乾いた音を立てて持ち上げられたその紙片は、長い時を経て褐色を帯び、端がわずかに焦げている。指先で触れただけで崩れてしまいそうなほど、脆く古びていた。

 だが、その紙面に描かれていたものは、時代の風化すら拒むような、圧倒的な存在感を放っていた。
 幾何学的に構成された紋様、流れるような古代語の文言。それらは重層的に交差し、渦を巻くように描かれており、見る者の意識を奥へ奥へと引き込む――奇妙な“吸引力”を宿していた。

「ごらん。“世界の意志が形を持つ時、それを握る者は世界そのものの守護者となる”――ってね」

 アクタビは、薬草の汁が染みついた爪先で、ある一文をなぞるように指し示した。
 そこには既に忘れ去られた旧時代の魔素計測記号や、現代の体系では解明しきれない複雑な魔法式が、紙面を埋め尽くすようにびっしりと描き込まれていた。

 レンの目が、自然とその文字列を追っていた。意味はわからない。けれど、そこに“何かが息づいている”のを、確かに感じていた。
 紙の向こうから、じわりと圧のようなものが押し寄せてくる。理屈ではなく、本能がそれを捉えていた。

「……時代も、出典も不明。けれど、こうした“星剣”に関する記録は、時折こうして浮かび上がってくるんだよ。
 共通するのは、どれも“理論体系の外側”にあること。まるで……“世界そのものの自己修復機構”ってとこかね。
 だから、我々はそれを“星剣”と呼ぶ」

 アクタビの口調はあくまで淡々としていたが、その奥底には、陶酔にも似た熱が宿っていた。
 それは研究という枠すら超えた、もっと根源的な“興味”の深み。世界の真理そのものに触れようとする者の眼差しだった。

「自己修復……?」

 レンがぽつりと呟いた。
 頭ではなく、肌の奥がその言葉の意味を探ろうとしていた。ざらりとした違和感が、胸の奥に沈殿していく。どこか不穏で、けれど抗えない引力を帯びて。

「そう。世界が破綻の兆しを察知したとき、自らの一部を“武器”として顕現させる。
 それは、魔素や魔法が“学問”や“技術”になる遥か以前……ただの“現象”だった頃の、名残だよ」

 アクタビは手のひらをくるりと返しながら、指を一回転させた。宙に描かれたその弧は、まるで空気を撫でているかのように、微細な揺らぎを残す。
 研究室に漂う魔素の気配が、彼女の言葉に反応するようにふわりと揺れた。

「魔素とは、世界の法則に介入する力。それを行使するには、理論、媒介、そして精神集中が必要となる。
 人間がその限界を超えるために、体系という支えが必要だった。でも――“星剣”は違う。
 誰かが鍛えた武器でも、術式に従った魔法でもない。
 それは、“世界そのもの”が意志を持ち、魔素を結晶化させて生み出した……いわば、“応答”なんだ」

 その瞬間、レンの脳裏に稲妻のように閃いた映像があった。

 ――あの日。剣に触れた瞬間。
 まるで生き物のように、掌の中で“脈打った”それ。

 呼吸のように。心音のように。
 あれは、ただの道具じゃなかった。
 確かに“意思”があった。目覚めていた。存在していた。

「……イシミネが持ってた、あの……?」

 控えめな声音で、カナメが口を開いた。
 蜂蜜色の瞳が揺れている。問いというよりも、確かめるような呟き。
 彼女の中に、ひとつの答えがうっすらと浮かび上がっていた。

 アクタビはにやりと唇を歪め、金の瞳を細める。
 どこか愉悦の混じった表情で、言った。

「“持ってた”じゃない。“呼び覚ました”のさ。
 星剣は、“必要だから生まれる”ものじゃない。この世界が……坊や、お前という存在に反応して“創った”んだよ」

 瞬間、胸を殴られたような衝撃が、レンを貫いた。

 ――世界が、自分に?

「じゃあ……俺って、いったい……何なんですか」

 声が震えた。
 それは疑問ではなかった。問いの形を借りた、恐れそのものだった。

 “自分は、普通の人間じゃないのか”。
 “選ばれた”という言葉は、決して栄誉ではなかった。
 それは、重く、冷たく、意識の底に沈み込んでいく。

「それを知るには、時間がかかる。……それなりの“覚悟”もね」

 アクタビの目が、鋭い光を帯びた。
 普段の飄々とした色は消え、そこに浮かんでいたのは、禁術の淵を覗き込みながらも、なお知へ手を伸ばす者だけが持つ、“観察者”の眼だった。

「でも、いずれ分かる。ワタシも興味があるよ。坊やのことも、あの剣のことも。
 ただひとつだけ、確実に言えるのは――お前は“選ばれた”ってことだ。
 あの剣に。魔素に。そして、この世界の意志に……ね」

 言い終えると、アクタビはふと視線を逸らした。
 研究室の片隅で、静かに座っていた男の方へ。

「そうだろ? なぁ、スメラギ」

 沈黙。
 その名を呼ばれた男――スメラギは、答えなかった。

 だが、その沈黙こそが“答え”だった。
 その眼差しに宿る、深く静かな覚悟。
 重ねた悠久の時を背負い、それでもなお、今この瞬間に“選ばれた少年”を見つめ続けている。

 それは、言葉以上に雄弁な“真実”だった。
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