60 / 109
第六章 回り始めた歯車
53 星剣に選ばれしもの
しおりを挟む
アクタビは、無造作に積み上げられた文献の山から、まるで初めからそこにあると知っていたかのように、一枚の羊皮紙を器用に引き抜いた。
乾いた音を立てて持ち上げられたその紙片は、長い時を経て褐色を帯び、端がわずかに焦げている。指先で触れただけで崩れてしまいそうなほど、脆く古びていた。
だが、その紙面に描かれていたものは、時代の風化すら拒むような、圧倒的な存在感を放っていた。
幾何学的に構成された紋様、流れるような古代語の文言。それらは重層的に交差し、渦を巻くように描かれており、見る者の意識を奥へ奥へと引き込む――奇妙な“吸引力”を宿していた。
「ごらん。“世界の意志が形を持つ時、それを握る者は世界そのものの守護者となる”――ってね」
アクタビは、薬草の汁が染みついた爪先で、ある一文をなぞるように指し示した。
そこには既に忘れ去られた旧時代の魔素計測記号や、現代の体系では解明しきれない複雑な魔法式が、紙面を埋め尽くすようにびっしりと描き込まれていた。
レンの目が、自然とその文字列を追っていた。意味はわからない。けれど、そこに“何かが息づいている”のを、確かに感じていた。
紙の向こうから、じわりと圧のようなものが押し寄せてくる。理屈ではなく、本能がそれを捉えていた。
「……時代も、出典も不明。けれど、こうした“星剣”に関する記録は、時折こうして浮かび上がってくるんだよ。
共通するのは、どれも“理論体系の外側”にあること。まるで……“世界そのものの自己修復機構”ってとこかね。
だから、我々はそれを“星剣”と呼ぶ」
アクタビの口調はあくまで淡々としていたが、その奥底には、陶酔にも似た熱が宿っていた。
それは研究という枠すら超えた、もっと根源的な“興味”の深み。世界の真理そのものに触れようとする者の眼差しだった。
「自己修復……?」
レンがぽつりと呟いた。
頭ではなく、肌の奥がその言葉の意味を探ろうとしていた。ざらりとした違和感が、胸の奥に沈殿していく。どこか不穏で、けれど抗えない引力を帯びて。
「そう。世界が破綻の兆しを察知したとき、自らの一部を“武器”として顕現させる。
それは、魔素や魔法が“学問”や“技術”になる遥か以前……ただの“現象”だった頃の、名残だよ」
アクタビは手のひらをくるりと返しながら、指を一回転させた。宙に描かれたその弧は、まるで空気を撫でているかのように、微細な揺らぎを残す。
研究室に漂う魔素の気配が、彼女の言葉に反応するようにふわりと揺れた。
「魔素とは、世界の法則に介入する力。それを行使するには、理論、媒介、そして精神集中が必要となる。
人間がその限界を超えるために、体系という支えが必要だった。でも――“星剣”は違う。
誰かが鍛えた武器でも、術式に従った魔法でもない。
それは、“世界そのもの”が意志を持ち、魔素を結晶化させて生み出した……いわば、“応答”なんだ」
その瞬間、レンの脳裏に稲妻のように閃いた映像があった。
――あの日。剣に触れた瞬間。
まるで生き物のように、掌の中で“脈打った”それ。
呼吸のように。心音のように。
あれは、ただの道具じゃなかった。
確かに“意思”があった。目覚めていた。存在していた。
「……イシミネが持ってた、あの……?」
控えめな声音で、カナメが口を開いた。
蜂蜜色の瞳が揺れている。問いというよりも、確かめるような呟き。
彼女の中に、ひとつの答えがうっすらと浮かび上がっていた。
アクタビはにやりと唇を歪め、金の瞳を細める。
どこか愉悦の混じった表情で、言った。
「“持ってた”じゃない。“呼び覚ました”のさ。
星剣は、“必要だから生まれる”ものじゃない。この世界が……坊や、お前という存在に反応して“創った”んだよ」
瞬間、胸を殴られたような衝撃が、レンを貫いた。
――世界が、自分に?
「じゃあ……俺って、いったい……何なんですか」
声が震えた。
それは疑問ではなかった。問いの形を借りた、恐れそのものだった。
“自分は、普通の人間じゃないのか”。
“選ばれた”という言葉は、決して栄誉ではなかった。
それは、重く、冷たく、意識の底に沈み込んでいく。
「それを知るには、時間がかかる。……それなりの“覚悟”もね」
アクタビの目が、鋭い光を帯びた。
普段の飄々とした色は消え、そこに浮かんでいたのは、禁術の淵を覗き込みながらも、なお知へ手を伸ばす者だけが持つ、“観察者”の眼だった。
「でも、いずれ分かる。ワタシも興味があるよ。坊やのことも、あの剣のことも。
ただひとつだけ、確実に言えるのは――お前は“選ばれた”ってことだ。
あの剣に。魔素に。そして、この世界の意志に……ね」
言い終えると、アクタビはふと視線を逸らした。
研究室の片隅で、静かに座っていた男の方へ。
「そうだろ? なぁ、スメラギ」
沈黙。
その名を呼ばれた男――スメラギは、答えなかった。
だが、その沈黙こそが“答え”だった。
その眼差しに宿る、深く静かな覚悟。
重ねた悠久の時を背負い、それでもなお、今この瞬間に“選ばれた少年”を見つめ続けている。
それは、言葉以上に雄弁な“真実”だった。
乾いた音を立てて持ち上げられたその紙片は、長い時を経て褐色を帯び、端がわずかに焦げている。指先で触れただけで崩れてしまいそうなほど、脆く古びていた。
だが、その紙面に描かれていたものは、時代の風化すら拒むような、圧倒的な存在感を放っていた。
幾何学的に構成された紋様、流れるような古代語の文言。それらは重層的に交差し、渦を巻くように描かれており、見る者の意識を奥へ奥へと引き込む――奇妙な“吸引力”を宿していた。
「ごらん。“世界の意志が形を持つ時、それを握る者は世界そのものの守護者となる”――ってね」
アクタビは、薬草の汁が染みついた爪先で、ある一文をなぞるように指し示した。
そこには既に忘れ去られた旧時代の魔素計測記号や、現代の体系では解明しきれない複雑な魔法式が、紙面を埋め尽くすようにびっしりと描き込まれていた。
レンの目が、自然とその文字列を追っていた。意味はわからない。けれど、そこに“何かが息づいている”のを、確かに感じていた。
紙の向こうから、じわりと圧のようなものが押し寄せてくる。理屈ではなく、本能がそれを捉えていた。
「……時代も、出典も不明。けれど、こうした“星剣”に関する記録は、時折こうして浮かび上がってくるんだよ。
共通するのは、どれも“理論体系の外側”にあること。まるで……“世界そのものの自己修復機構”ってとこかね。
だから、我々はそれを“星剣”と呼ぶ」
アクタビの口調はあくまで淡々としていたが、その奥底には、陶酔にも似た熱が宿っていた。
それは研究という枠すら超えた、もっと根源的な“興味”の深み。世界の真理そのものに触れようとする者の眼差しだった。
「自己修復……?」
レンがぽつりと呟いた。
頭ではなく、肌の奥がその言葉の意味を探ろうとしていた。ざらりとした違和感が、胸の奥に沈殿していく。どこか不穏で、けれど抗えない引力を帯びて。
「そう。世界が破綻の兆しを察知したとき、自らの一部を“武器”として顕現させる。
それは、魔素や魔法が“学問”や“技術”になる遥か以前……ただの“現象”だった頃の、名残だよ」
アクタビは手のひらをくるりと返しながら、指を一回転させた。宙に描かれたその弧は、まるで空気を撫でているかのように、微細な揺らぎを残す。
研究室に漂う魔素の気配が、彼女の言葉に反応するようにふわりと揺れた。
「魔素とは、世界の法則に介入する力。それを行使するには、理論、媒介、そして精神集中が必要となる。
人間がその限界を超えるために、体系という支えが必要だった。でも――“星剣”は違う。
誰かが鍛えた武器でも、術式に従った魔法でもない。
それは、“世界そのもの”が意志を持ち、魔素を結晶化させて生み出した……いわば、“応答”なんだ」
その瞬間、レンの脳裏に稲妻のように閃いた映像があった。
――あの日。剣に触れた瞬間。
まるで生き物のように、掌の中で“脈打った”それ。
呼吸のように。心音のように。
あれは、ただの道具じゃなかった。
確かに“意思”があった。目覚めていた。存在していた。
「……イシミネが持ってた、あの……?」
控えめな声音で、カナメが口を開いた。
蜂蜜色の瞳が揺れている。問いというよりも、確かめるような呟き。
彼女の中に、ひとつの答えがうっすらと浮かび上がっていた。
アクタビはにやりと唇を歪め、金の瞳を細める。
どこか愉悦の混じった表情で、言った。
「“持ってた”じゃない。“呼び覚ました”のさ。
星剣は、“必要だから生まれる”ものじゃない。この世界が……坊や、お前という存在に反応して“創った”んだよ」
瞬間、胸を殴られたような衝撃が、レンを貫いた。
――世界が、自分に?
「じゃあ……俺って、いったい……何なんですか」
声が震えた。
それは疑問ではなかった。問いの形を借りた、恐れそのものだった。
“自分は、普通の人間じゃないのか”。
“選ばれた”という言葉は、決して栄誉ではなかった。
それは、重く、冷たく、意識の底に沈み込んでいく。
「それを知るには、時間がかかる。……それなりの“覚悟”もね」
アクタビの目が、鋭い光を帯びた。
普段の飄々とした色は消え、そこに浮かんでいたのは、禁術の淵を覗き込みながらも、なお知へ手を伸ばす者だけが持つ、“観察者”の眼だった。
「でも、いずれ分かる。ワタシも興味があるよ。坊やのことも、あの剣のことも。
ただひとつだけ、確実に言えるのは――お前は“選ばれた”ってことだ。
あの剣に。魔素に。そして、この世界の意志に……ね」
言い終えると、アクタビはふと視線を逸らした。
研究室の片隅で、静かに座っていた男の方へ。
「そうだろ? なぁ、スメラギ」
沈黙。
その名を呼ばれた男――スメラギは、答えなかった。
だが、その沈黙こそが“答え”だった。
その眼差しに宿る、深く静かな覚悟。
重ねた悠久の時を背負い、それでもなお、今この瞬間に“選ばれた少年”を見つめ続けている。
それは、言葉以上に雄弁な“真実”だった。
0
あなたにおすすめの小説
嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま
中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。
両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った叔父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。
故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!!
様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材!
僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX!
ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした辺境伯婚約者オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。
うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか!
僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。
そうしてニ年後。
領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。
え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。
関係ここからやり直し?できる?
Rには*ついてます。
後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。
ムーンライトにも同時投稿中
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!
野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ
平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、
どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。
数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。
きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、
生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。
「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」
それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
望まれなかった代役婚ですが、投資で村を救っていたら旦那様に溺愛されました。
ivy
BL
⭐︎毎朝更新⭐︎
兄の身代わりで望まれぬ結婚を押しつけられたライネル。
冷たく「帰れ」と言われても、帰る家なんてない!
仕方なく寂れた村をもらい受け、前世の記憶を活かして“投資”で村おこしに挑戦することに。
宝石をぽりぽり食べるマスコット少年や、クセの強い職人たちに囲まれて、にぎやかな日々が始まる。
一方、彼を追い出したはずの旦那様は、いつの間にかライネルのがんばりに心を奪われていき──?
「村おこしと恋愛、どっちも想定外!?」
コミカルだけど甘い、投資×BLラブコメディ。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
その捕虜は牢屋から離れたくない
さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。
というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる