星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第六章 回り始めた歯車

58 運命の歯車

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 レンの掌に宿った四元素の光はやがて、ふわりと宙を舞い、まるで何かに導かれるように静かに空へと溶けていった。

 澄んだ青は水の気配、軽やかな白は風の呼吸、秘めた紅は火の鼓動、そして穏やかな黄は大地の温もり。

 それらの光は互いに反発することなく、自然の理に導かれるまま緩やかに輪を描き、重なり、溶け合い、やがて形を失っていく。

 何の痕跡も残さず、ただ、柔らかな余韻だけを空間に満たして――静かに消えた。

 それは、力の発露ではなかった。
 放たれたものではなく、確かな昇華だった。

 力で押し通すのではない。
 理を知り、調和をもって導く。

 その様は、破壊ではなく――祈りのようで。
 いや、もはやそれは奇跡と呼ぶほかない、穢れなき意思の顕現だった。

 それが、誰の目にも明らかだった。

 このイシミネ・レンという若者は、ただの“選ばれし器”ではない。
 世界の根幹にある理そのものと、純粋に共鳴できる存在なのだと。

 広間に、沈黙が落ちる。

 圧倒され、呑み込まれた空気の中で、誰一人として声を発することができなかった。
 賢者たちの口は閉ざされたまま、唇だけがかすかに震え、言葉にならない。

 それは畏敬か、驚嘆か。
 あるいは――恐れか。

 わずかな沈黙の後。
 静まり返る空間に、ひと際低く鋭い声が響く。
 氷の刃が空気を裂くような音色だった。

「……これが答えだ」

 スメラギが、広間の奥へと静かに視線を投げる。

 その双眸は、老いた賢者たち――そして、中央に座す“存在”を射抜くようだった。
 普段は感情の波を見せぬ彼の顔に、今は明確な激しさが宿っている。

 氷のように冷たく、そして……静かに、燃えていた。

 これまで彼は、あらゆる理不尽に対して感情を示さず、常に受け流してきた。
 政治の圧力にも、命の理不尽な消失にも、ただ黙して歩みを止めることはなかった。そうする事でしか、長く燻る思いを押し留める事ができなかったからだ。

 だが今――
 彼の内奥に、確かな火が灯っている。

 それは怒りか。
 警戒か。

 それとも、何かを護ろうとする無意識か。

「宣言通り、イシミネ・レンは引き続き私の管理下に置く。……異論はないな」

 その声は静かだった。だが、否応の余地はなかった。

 空気が震えた。

 その言葉には、“拒めばどうなるか”という無言の圧力が、確かな質量として込められていた。
 声にせずとも語られるそれは、老賢者たちの喉を塞ぎ、息を止めさせる。

 誰も口を開かない。
 いや――開けなかった。

 中央に鎮座する存在だけが、わずかに動く。
 顔を覆い、人とも分からぬような得体の知れない“議長”だねが、その指先だけをゆるりと動かした。

「……見事、である」

 くぐもったその声は、称賛にも似ていたが、それ以上に底の見えぬ“測定”の色を帯びていた。

「ならば、それもまた――この座の意志と致そう。……“今は”な」

 その最後の一言に宿る冷たさは、薄く研がれた刃のようだった。
 柔らかな語調の奥に、刺すような敵意が隠れている。

 スメラギは応えない。
 ただ、わずかに瞳を細めた。

 背中越しに、レンの視線を感じた。
 スメラギはわずかに振り返る。曇りない瞳が、自分を見ていた。

 その感情は不安ではなかった。
 大きな鳶色の瞳には、確かな意志が宿っていた。
 自分を信じてくれる誰かの背に、信頼を寄せる者の眼差し。

 その視線を受けて、スメラギの瞳がほんの一瞬だけ、緩やかに――和らいだように見えた。

 だが。

 広間に渦巻く思念は、決して純粋な賞賛や敬意だけではなかった。

『あの少年は――危険だ』
『制御できるのか?』
『氷帝と揶揄された男が、あのように感情を顕にするとは……』
『面白くないな』
『主の意図は……?』

 表面上は沈黙を保ちつつも、その内側には熱を孕んだ思惑が渦巻いていた。

 この瞬間、レンは確かに“選ばれた”。
 だが同時に、“見られる者”となった。

 賢者たちは、彼を試す者から――監視する者へと変わった。

 そして、スメラギもまた――
 静かに動き出した運命の歯車の行く末に、ひとしずくの憂いを落とすように、そのまなざしを伏せ、そっと瞳を閉じた。
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