星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第八章 過去からの呼び声

73 泥濘(でいねい)に沈む

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 怪しげな夜だった。
 薄雲が三日月を霞ませ、空気はどこまでも湿っぽい。
 虫の声すら絶えた闇の中、地の底から響くような、陰鬱な囃子が遠くで鳴っている。
 ――星縫の秘境で、いままさに祭りが執り行われていた。

 雑木林の奥、外部からの侵入を拒む隠された空間。
 そこは、古よりこの島に根差す血筋の者しか足を踏み入れることの叶わぬ、封印の地。
 その中心で、ひと際低く震えるような詠唱が、朧月夜の静寂に染み入っていた。

 祝詞は波のように空間を撫で、結界の位相を狂わせる。
 空気はさらに粘つき、結界の内部では、時間すらどこかねじれた感覚になる。

 ――中央に、乱れた花嫁姿のスメラギがいた。

 足元には環状の術式。
 周囲には、肌を露わにした巫女たちと、白装束の神官たちが佇み、祝詞と祝福の名を借りた婚姻の儀を進行していた。

 スメラギは結界術によって動きを封じられ、
 両腕は光の糸に縛られ、指一本動かせぬまま晒されている。
 煌びやかな星縫織の花嫁衣装はすでに乱され、淡い光のもと、白磁の肌が露になっていた。

 その姿に、巫女たちは息を呑み、見惚れる。
 あまりに美しく、艶やかさを纏うその姿は、神の嫁として相応しいほどに幻想的だった。

 首筋には、異形の術式――淫紋。
 それは生き物のように脈動し、巫女の指が触れるたびに、わずかにスメラギの身体が震える。

「……っ……く、……ぅ」

 喉の奥から熱を押し殺すような吐息が漏れた。
 眉間に深く刻まれた皺。奥歯を噛み締めて必死に声を堪える。
 だが、内から湧き出す熱の波が、容赦なく彼を蝕んでいた。

 巫女たちが媚薬を指にまとわせ、淫紋へと塗布する。
 淡く輝く液体は、肌から染み込み、神経へと侵食する。
 それは肉体の奥、精神の根にまで達する呪いの薬。

「何を耐えておいでです、花嫁様。もっと、もっと淫らに。神獣様は、あなたが心を、肌を開かれるのをお待ちなのですよ」

 神官のひとりが祝詞の語気を強めた。
 スメラギを覆う催淫の呪詛が、さらに濃密なものに変化する。

 脳の奥にまで響く熱。
 術はもはや、肉体だけでなく精神に作用していた。

 触手が忍び寄る。
 細く滑らかで、意志を持つ生き物のように、脚を、腕を、腰を這いまわる。
 感覚は逆に研ぎ澄まされ、神経が火花のように弾けた。
 大腿に絡みついた触手が、キツく締め上げる。

「んっ、う……や、……め……」

 唇から、微かに血が滲んだ。
 男としての矜持を守るため、せめて声だけは上げまいと――
 だが限界は近い。呼吸が続かない。肺が焼け、喉の奥が熱を帯びる。

「ふ……ぁ、っ……く……ぅ……」

 耐えきれぬ吐息が漏れた。
 それは熱に浮かされた幼子のように、苦しげで、弱々しい。

「……これでもまだ堕ちぬか。さすがは星色の花嫁」

 神官が嘲笑交じりに呟いた。


—まだか……、まだか!!花嫁は、まだか!!—

 神獣が唸るように咆哮する。
 触手は獰猛さを増し、彼の全身を這いまわる。
 スメラギの抵抗だけが、儀式の完成を阻んでいた。

「もっと……深く……今度こそ、我らのものに!」

 術式が活性化し、淫紋が赤く輝く。

「あぁっ——!! い、やだ……やめ、ろっ——!!!」


“これ以上”、穢されたくない――


 ミナトの心に、小さな、だが切実な願いが生まれた。

 これ以上泥濘でいねいに沈んだら。

 あの子の笑顔の隣には、もういられなくなる。
 声を上げたら、壊れる。
 快楽に呑まれたら、保ち続けてきたすべてが消える。

「ぅ……あ……っ……く、……いや……だっ……いや……ぁあ、もう……」

 崩れ落ちる寸前の精神を支える、最後の一点。
 ただ、名もなき祈りと、己の誇りだけが残っていた。




 スメラギの頬を、一筋の涙が静かに伝った。



 

「ミナトさんを離せ――!!!!」

 白き閃光が、空間を裂いた。

 咆哮のような声と共に、光の剣閃が触手を斬り裂く。
 流星のごとく現れたのはレンだった。彼はは、灼けつくような怒りの眼差しで、祭壇を見つめていた。

 神官たちが振り返る。
 空間を支えていた術式が揺れ、触手が断末魔のようにうねる。

「……レ、ン……?」

 微かに意識を浮上させたスメラギが、彼の名を呼んだ。
 馴染んでゆく視界に、聖剣を構えた少年の姿。
(あぁ……、来て、くれた……のか)
 スメラギはこのまま、その場で意識を手放した。
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