星降る庭で、きみを見た

夜灯 狐火

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第九章 語られるは、楔の呪い

82 ヒウラ・クウガ

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 かすかな風が、遠くから吹いていた。
 それは、記憶の中にだけ吹く風。

 にぎやかな声が、石造りの廊下にこだまする。
 陽が差し込む広間。重厚な書棚と、幾重にも張られた魔術陣。
 講義机の前に立つのは、菫色の差し色を入れた長いブルネットの髪を束ねた――ヒウラ・クウガ。

 彼の前には、四人の少年少女。
 誰もがまっすぐに目を輝かせて、クウガの言葉に耳を傾けている。

「では、魔術とは何か。力か、知か、それとも――」

 クウガの問いに、一人が元気よく手を挙げる。
 また一人が笑いながら小さく文句をこぼし、他の者は真剣にメモを取る。

 にぎやかで、あたたかい光景。

 ……それを、教室の窓から、じっと見つめていた少年がいた。

 青黒い髪。痩せた体。
 誰にも気づかれぬよう、気配すら消して、外廊下で息を潜める――それが、幼いミナトだった。

(……まほう、すごいな)

 偉大な魔術師、ヒウラ・クウガ。
 その弟子として選ばれた、四人の優秀な子どもたち。

 けれど自分は、違う。

 まともに魔素も扱えない。
 雫すら生み出せず、そよ風すら呼び出せない。
 小さな灯火すら巻き起こせず、土は枯れたまま。

 廊下を歩けば、弟子の一人がすれ違いざまに囁く。

「……また見てた。気持ち悪い」
「魔素が使えないなら、どうせ長くもたねーのにさ」
「クウガ先生も、大変だよね。あんなのまで囲って」

 ――わかっていた。
 それでも、耐えられた。


 生まれた場所よりは、はるかに良かったのだから。


 雨をしのげる屋根があった。
 日に三度、温かい食事が出された。
 ブランケットがあり、灯りがあり、本があった。

 でも、ただそれだけ。


 だから、きっと。
 クウガ先生も、ほんとうは――


(僕がいなくなっても、きっと……何も変わらないと思ってる)


 やがて、教室の中の声が遠ざかっていく。
 ミナトは小さく息を吐き、静かに背を壁から離した。

 その手は、ひどく冷たく震えていた。

(……でも、少しでも役に立てること、しなくちゃ。ここを追い出されたら、僕は……)


 ───


 病室の空気が、静かに揺れる。

 スメラギは目を伏せたまま。
 震える手を、膝の上で必死に抑えている。

 レンたちは、息を呑んで見つめていた。
 その苦悩に満ちた表情に、どんな言葉も挟めず。

 アクタビだけが、どこか遠い目で、淡くその光景を見守っていた。
 ――まるで他人事のように。
 だが、その目には、滲むような憐憫の色があった。

 そして。

 スメラギが、ぽつりとつぶやいた。

「……だから、せめて。
 あの人の役に立てるようにと、そう思って……生きてきた」

 視線は宙を見つめたまま。
 誰にも届かぬものを、掴むように。
 手を伸ばしても、どんなに追いかけても掴めなかったものを、思い描くように。




「――あの夜までは」





 ⸻


 人間には到底扱いきれない魔素量。
 それが俺の中には――生まれながらに、あった。

 だからいつも、魔術は暴発していた。
 制御できず、何もかもを壊した。
 自分も、他人も、傷つけた。怪我もしょっちゅうだった。
 人々は恐れた。大切なものを傷つけられるかもしれないという、恐怖と怒り。

 自分たちの知らないもの、理解できないものはいつだって嫌悪の対象だから。

 そんな子供……誰も、相手になんてできないよな。


 けれど、そんな俺を――あの人は。
 クウガ先生は、拾ってくれた。

「共に行こう」と言ってくれた時の手の温もりは、今でも覚えている。

 魔素が扱えないのは、相変わらずだった。けれど……


 ……がんばれば、いつか認めてもらえる。
 そう信じていた。


 だから、どんなに酷い言葉を浴びても、耐えられた。

 兄弟弟子たちに「出来損ない」「ナシリのくせに」と嘲られても、
 魔素が視えないことを罵られても、
“お情け”で置いてもらっているだけだと蔑まれても――


 それでも、俺は信じていた。


 クウガ先生の力になれる日が、いつか来る。
 それだけを、ずっと願っていた。


 ⸻

 ……そんな折に、あの夜が起きた。



 ——ワルプルギスの夜。


 ⸻


 世界が、壊れかけていた。

 次元を隔てた向こう側――異世界が、
 この世界を侵食しはじめた。

 裂け目が開いた理由は、誰にもわからなかった。
 きっかけも、意図も、何も。

 ただ――アプダの魔女たちは、
 その裂け目からやってきた。

 彼女たちは、ある「目的」のためにこの世界に干渉しようとしていた。

 世界を救えるのは、ただ一人。
 クウガ先生だけだった。

 その力のために、数えきれない人々が命を差し出した。

 ⸻


「いま、このイシュ・アルマがある国……お前たちが生活するこの土地は、もともとひとつの大きな大陸だった」

 スメラギは一つ、息を吐いた。
 レンもカナメも、そしてキュウビすら、言葉を紡ぐことを忘れ耳を傾けている。
 ただその様子を、アクタビはじっと見つめていた。

「でも、クウガ先生の禁術によって、大陸は砕け、土地は分断され、
 学術都市は“由界”に、避難せざるを得なかった……」



 それほどまでに――強大な術式だった。

 世界を裂き、空間構造を分断し、災厄の侵入を遮るための魔術。

 だがその対価は、あまりにも重すぎた。

 その術式が覆った範囲すべての――
 生きとし生けるものの「命」だった。
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