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第十章 これからのこと
98 森のプリンとあなたの微笑み
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「だってよ、お前、最近気がつきゃ『スメラギ先生、スメラギ先生』ってうるせーじゃん。
正直思ったよ? 俺。あんな鈍くさいののどこがいいんだ?ってさぁ。
まぁお前、面倒見いいから? あーゆーの放っとけないタイプかと思ってたけど……やっぱ違うよなぁ、あははは」
カベはまるで独り語りのように、調子よく言葉を連ねていく。
レンはもう、顔色が赤くなったり青くなったりで大忙しだ。
まるで信号機。羞恥と焦燥で、心の体力ゲージは瀕死だった。
(ああもうほんとやめて……目の前にその本人がいるのに……!)
テーブルの下で拳を握りしめながら、レンは必死に耐える。
「カベ……お願い……もう勘弁して……」
小さく懇願する声が、喉の奥から漏れた。
テーブルに背を丸め、まるで自分の存在を縮めるように。
(……せっかくのデートだったのに……)
思わずそんな後悔がよぎる。
けれど、カベはお構いなしだった。
突然くるりと体をひねって、スメラギの方を見た。
「お兄さん、こいつこんな奴ですけど、一途でまっすぐで猪突猛進バカなんです。どうか見守ってやってください」
「うう……幼馴染ヅラ……うざい……」
涙目でこづいたレンの拳が、ぽすっとカベの脇腹に当たった。
強くはない。けれど、恥ずかしさと怒りと情けなさがたっぷりこもっていた。
「そりゃ生まれた時から隣同士だもんなー。家族ヅラもするって。
まぁ、そゆことだから──じゃ、雰囲気調査も終わったんで、ぼかぁ帰ります! あとは若いもん同士で! じゃ、おにーさん、さよーなら!」
「はい、さようなら」
カベは、スメラギに向かって意味不明な敬礼を決めると、
満足げにターンして、スタスタと店の扉へ向かっていった。
レンは呆然と、その背中を見送るしかなかった。
──そして、カラン、と鳴る扉の音。
小さな音とともに、カベの足音が遠ざかっていく。
やがて喫茶店には、再び静けさが戻った。
まるで嵐が過ぎ去った後のような、妙にしんとした空気。
風に揺れる蔦が、また静かに揺れる音だけが、静寂を彩っている。
騒がしさが消えた分、レンの心臓の音がやけにうるさく響いている気がして、彼はそっとテーブルの下で拳を握りしめた。
「くっ……ふふふ、面白いな、カベは」
スメラギが、柔らかく笑った。
声をあげて笑う彼の姿など、レンはほとんど見たことがなかった。
そして、それを見られた自分だけが今この空間にいることが、少しだけ特別に思えた。
(……けど、死んだ方がマシだ……)
羞恥が皮膚にじわじわと染み込んでいくような感覚に包まれながら、
レンは無言で顔を伏せた。
──それでも、心のどこかが、ほんの少しだけ、温かかった。
⸻
カベが去ったあとの喫茶店には、ぽっかりと静けさが戻っていた。
天井から垂れる蔦の葉が、微かな風にゆらりと揺れている。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、空間は穏やかで、
まるで嵐のあとにそっと残された雨粒のような、澄んだ静寂が広がっていた。
レンは、椅子の背にもたれかけるようにして、ひとつ深く息をついた。
「……あの、ばかっ……言いたい放題、言いやがって……」
ぽつりと漏れた声は、呆れと羞恥と、そこはかとなく滲む微笑ましさが混じっていた。
向かいに座るスメラギが、静かに口元を緩める。
「うう……ミナトさんも!! 悪ノリしすぎ!」
思わず責めるように言うと、スメラギは肩をすくめて応じた。
「いや、カベが面白くてな」
その声音はどこまでも穏やかで、完全に他人事のような調子だった。
「んもお……カベもカベだよ。ちっともミナトさんに気がつかないんだもん……」
唇を尖らせながら、レンは頬をふくらませてぶつぶつと続ける。
そんな様子を見て、スメラギはまたふっと笑った。
「ふふ。……いつもの野暮ったくて鈍臭い姿のほうが、よかったか?」
からかうような軽い問いに、レンは一瞬ぎくりとし、言葉を探すように口ごもる──けれど、結局は真っ直ぐに言ってしまった。
「それも可愛いけど! 今のミナトさんはカッコいいからいいの!!」
言い切った直後、自分の口から飛び出した言葉に、レンは固まった。
「……って、な、何言ってんだよ俺!! あああもう!!」
顔に一気に血が上るのがわかる。耳まで熱くなって、視線の置き場に困る。
「すみませーん! プリンください!!」
照れ隠しのように、勢いだけで叫んだ声が店内に響いた。
するとすぐ、カウンター奥から朗らかな声が返ってくる。
「はーい、すぐ持ってくよ~」
その声に、空気が少し和らいだ気がした。
レンはぐったりと椅子にもたれ、顔を手で覆う。
その向こうで、スメラギがまたくすくすと笑っていた。
今日だけで、何度彼が笑っただろう。
ふとそう思って、レンはそっと指の隙間から彼を見上げる。
(……ほんとに、楽しそうに笑ってる……)
あの人の笑顔を見る機会なんて、今までほとんどなかった。
それが、今、自分の隣で、何度も──。
テーブルの上には、空になったカップと、グラスの縁に残るわずかな水滴。
野の花を束ねた小さなブーケが、光に透けて淡く香っている。
店内に流れるピアノの旋律はゆるやかで、午後のひかりと共に、時間そのものが柔らかく溶けていくようだった。
──そして、そんな風にして。
ふたりのランチタイムは、気づけばあっという間に過ぎていた。
正直思ったよ? 俺。あんな鈍くさいののどこがいいんだ?ってさぁ。
まぁお前、面倒見いいから? あーゆーの放っとけないタイプかと思ってたけど……やっぱ違うよなぁ、あははは」
カベはまるで独り語りのように、調子よく言葉を連ねていく。
レンはもう、顔色が赤くなったり青くなったりで大忙しだ。
まるで信号機。羞恥と焦燥で、心の体力ゲージは瀕死だった。
(ああもうほんとやめて……目の前にその本人がいるのに……!)
テーブルの下で拳を握りしめながら、レンは必死に耐える。
「カベ……お願い……もう勘弁して……」
小さく懇願する声が、喉の奥から漏れた。
テーブルに背を丸め、まるで自分の存在を縮めるように。
(……せっかくのデートだったのに……)
思わずそんな後悔がよぎる。
けれど、カベはお構いなしだった。
突然くるりと体をひねって、スメラギの方を見た。
「お兄さん、こいつこんな奴ですけど、一途でまっすぐで猪突猛進バカなんです。どうか見守ってやってください」
「うう……幼馴染ヅラ……うざい……」
涙目でこづいたレンの拳が、ぽすっとカベの脇腹に当たった。
強くはない。けれど、恥ずかしさと怒りと情けなさがたっぷりこもっていた。
「そりゃ生まれた時から隣同士だもんなー。家族ヅラもするって。
まぁ、そゆことだから──じゃ、雰囲気調査も終わったんで、ぼかぁ帰ります! あとは若いもん同士で! じゃ、おにーさん、さよーなら!」
「はい、さようなら」
カベは、スメラギに向かって意味不明な敬礼を決めると、
満足げにターンして、スタスタと店の扉へ向かっていった。
レンは呆然と、その背中を見送るしかなかった。
──そして、カラン、と鳴る扉の音。
小さな音とともに、カベの足音が遠ざかっていく。
やがて喫茶店には、再び静けさが戻った。
まるで嵐が過ぎ去った後のような、妙にしんとした空気。
風に揺れる蔦が、また静かに揺れる音だけが、静寂を彩っている。
騒がしさが消えた分、レンの心臓の音がやけにうるさく響いている気がして、彼はそっとテーブルの下で拳を握りしめた。
「くっ……ふふふ、面白いな、カベは」
スメラギが、柔らかく笑った。
声をあげて笑う彼の姿など、レンはほとんど見たことがなかった。
そして、それを見られた自分だけが今この空間にいることが、少しだけ特別に思えた。
(……けど、死んだ方がマシだ……)
羞恥が皮膚にじわじわと染み込んでいくような感覚に包まれながら、
レンは無言で顔を伏せた。
──それでも、心のどこかが、ほんの少しだけ、温かかった。
⸻
カベが去ったあとの喫茶店には、ぽっかりと静けさが戻っていた。
天井から垂れる蔦の葉が、微かな風にゆらりと揺れている。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、空間は穏やかで、
まるで嵐のあとにそっと残された雨粒のような、澄んだ静寂が広がっていた。
レンは、椅子の背にもたれかけるようにして、ひとつ深く息をついた。
「……あの、ばかっ……言いたい放題、言いやがって……」
ぽつりと漏れた声は、呆れと羞恥と、そこはかとなく滲む微笑ましさが混じっていた。
向かいに座るスメラギが、静かに口元を緩める。
「うう……ミナトさんも!! 悪ノリしすぎ!」
思わず責めるように言うと、スメラギは肩をすくめて応じた。
「いや、カベが面白くてな」
その声音はどこまでも穏やかで、完全に他人事のような調子だった。
「んもお……カベもカベだよ。ちっともミナトさんに気がつかないんだもん……」
唇を尖らせながら、レンは頬をふくらませてぶつぶつと続ける。
そんな様子を見て、スメラギはまたふっと笑った。
「ふふ。……いつもの野暮ったくて鈍臭い姿のほうが、よかったか?」
からかうような軽い問いに、レンは一瞬ぎくりとし、言葉を探すように口ごもる──けれど、結局は真っ直ぐに言ってしまった。
「それも可愛いけど! 今のミナトさんはカッコいいからいいの!!」
言い切った直後、自分の口から飛び出した言葉に、レンは固まった。
「……って、な、何言ってんだよ俺!! あああもう!!」
顔に一気に血が上るのがわかる。耳まで熱くなって、視線の置き場に困る。
「すみませーん! プリンください!!」
照れ隠しのように、勢いだけで叫んだ声が店内に響いた。
するとすぐ、カウンター奥から朗らかな声が返ってくる。
「はーい、すぐ持ってくよ~」
その声に、空気が少し和らいだ気がした。
レンはぐったりと椅子にもたれ、顔を手で覆う。
その向こうで、スメラギがまたくすくすと笑っていた。
今日だけで、何度彼が笑っただろう。
ふとそう思って、レンはそっと指の隙間から彼を見上げる。
(……ほんとに、楽しそうに笑ってる……)
あの人の笑顔を見る機会なんて、今までほとんどなかった。
それが、今、自分の隣で、何度も──。
テーブルの上には、空になったカップと、グラスの縁に残るわずかな水滴。
野の花を束ねた小さなブーケが、光に透けて淡く香っている。
店内に流れるピアノの旋律はゆるやかで、午後のひかりと共に、時間そのものが柔らかく溶けていくようだった。
──そして、そんな風にして。
ふたりのランチタイムは、気づけばあっという間に過ぎていた。
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