散り散りの記憶は君を思い出すには少なすぎて、僕は夢に潜る

奏 リヤ

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scene:1 転機という家出

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 廊下を歩いていると、すれ違いざま唾を吐きかけられる。こんなのたいしたことないと言い聞かせ、何も無かったように振る舞う。そうしないと、僕は家に帰るまでに何度も死を考えるだろう。
「つまんねえ反応だな。ちょっとは楽しませろよ」
 男は、僕を突き飛ばす。オーバーに転んで見せると、奴等はそこで嘲笑いながら去って行った。情けなくてもそれでいい。痛みに慣れていても、今以上に怪我を増やしたくない。
「言い忘れてた。明日、お前に会わせて欲しいってオンナいるんだ。隅々までキレイにしておけよ。出来るかもしれないからな」
 それは、僕にとってワルイコトなんだろうと理解している。僕を傷つけるためのを用意して、僕の存在意義を失くすのが、奴等の狙いだ。
 いつからこうなったか、思い出そうとすると、激しく頭が痛む。だからそれは考えない。
 学校から出たら少しは平和。だけど、それは束の間。家も似たようなものだ。

 いくつか電車を乗り継ぎ帰宅する。其処は学校とは違う別の地獄。
 重く感じる門を開き玄関までの数歩で、僕は感情を捨てる。玄関のドアを静かに開けると入り口に僕の洋服と大事にしていた本が散乱していた。洋服はハサミで引き裂かれ、本は引き千切られバラバラに。
 今日もは、僕ではない誰かを求めているらしい。正気ではない。
「お前、これでネカフェで時間潰せ。が落ち着いたら連絡する。もしかしたらどうにもならないかもしれないけど、その時は──」
 年の離れた兄の、その後の言葉は聞いていない。僕はなんとか生きていく術を脳内でシミュレートするしかなかった。
 以前から準備していた荷物を抱え、振り向きもせずに早足で家を出た。二度と帰る事はない。僕は、それまでの名前を捨てて新しい自分の仮の名前を考える事に専念した。

 知らない街のネカフェに入る。こんな日が来る事を想定していたから、既に偽の会員カードで入れる手筈を整えていた。準備してくれた店員はSNSで知り合った男。たぶん、この人もワケアリなんだと思う。
「やばくなったらなんとかしてやるから、ひとまず今日はゆっくりしろよ」
 彼はこの世界の息苦しさを僕より知っているように感じた。
「ありがとう。助かる」
「何かあればメッセージしてこいよ」
 そう言いながら、男は胸元の名札を指差しながらゆっくり狭い空間の入り口を閉めた。
『田名部』と書いてあったな。本名かわからないけど、彼のもう一つの名前なんだろう。この名前の方が今は都合が良いようだ。
 ──どんな事情があっても、深く踏み込まない。──それが、田名部と知り合った場所でのルールの一つ。田名部はネットのいろんなグループに顔がきく。僕は、たまたまやり始めたソシャゲのグループにいて、なんとなく話すようになった。そして、新しいSIMカードを何かあったときのために準備してくれた。少しヤバイと思ったけど、現実もかなりヤバイからかもしれない。どうでもよく感じていた。
 仮の名前は『深見ふかみ』にしよう。深く潜るけど多くを見ない。
 携帯に新しいSIMカードをセットする。それまでのは一応載せたまま。
『ちなみにこのカード、海外対応だったりする。いざとなりゃ、海を越えてもいける。ただその時は、別料金で色々準備しなきゃだけどな』
 田名部のバックグラウンドが謎だと思ったけど、一度だけ見た高級腕時計……、アレが、僕をそれなりに納得させた。
 今日はひとまず、何も考えず眠ろう。



 
 
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