禁踏区

nami

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5章 陰と陽

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「八雲様は、本当にお優しい御方じゃった。儂は、若い頃はかなりの粗忽者そこつものでなぁ、そのせいでよく失敗をして、その度に罰を受けておった。ある時、目に余る失敗をやらかしたことがあってな。先達の呪い師から殴り倒された上に飯を抜かれるという罰を受けたことがあった。腫れ上がった顔のまま八雲様に御食事を運んだ時じゃ。腹の虫が思いきり鳴きおったんじゃ。それで何もかも察してくれたのじゃろう。八雲様は御自分の御食事を儂に差し出すばかりでなく、塗り薬まで恵んでくれたのじゃ」

 心暖まるエピソードに、私の心は和んだ。
 だが、天津さんは表情を曇らせて言葉を続ける。

「……じゃが、愚かだった儂は、それらを全て捨ててしまったんじゃ。八雲様が手にされたものを食べたり使ったりしたら、自分もあのような姿になるかもしれない……。そんな恐怖心に支配されてな。本当に馬鹿なことをしてしまった……。その馬鹿なことの極みがあの神隠し事件じゃ。謝罪すれば許されることではないだろう。しかしそれでも、せめて夢の中だけでも謝罪したいのじゃ……」

 天津さんは鼻をひとつすすって、さらに続ける。

「もしものことなど、考えるのは虚しいものじゃが、それでも思うんじゃ。儂があの時、八雲様を疎んじることがなかったら、あのような痛ましい事件は起きなかったのではないかと……」

 天津さんの苦悩──重すぎて、何も言うことができなかった……。

「……すまんな。老いぼれの戯れ言に付き合ってくれて、ありがとうよ……」

「いえ……」

 すっかり眠気が冴えてしまった私は、膝を抱え込むようにして座り、囲炉裏の炎を見つめる。
 人工の明かりがないから、この炎が消えれば、辺りはたちまち真の闇に包まれることになるだろう。

 でも、まだ残暑が濃く残っている季節だ。
 涼を求め、夜風に触れたくなった。

「少し、外に出てもいいですか?」

「構わんが、遠くへ行かぬようにな」

 許可をもらったので、私は2人を起こさないよう気を付け、外に出た。
 当然、外灯の類いは何もないので真っ暗だ。スマホの簡易ライトを点ける。

 涼やかな風が、ほんのり火照った肌に癒しを与える。
 見上げると、黒い影になっている木々の隙間から、かすかに明滅する多くの星が見える。

 その静謐せいひつな輝きを見ていると、八雲さんの瞳を思い出す。


 優しさに溢れているのに──とても哀しい目……


 悪夢の中で死の呪いを成就させようとしてくる八雲さん──亡霊は、忌むべき存在だった。


 私達の死を望んでいるのに、助けを求める声や案じる声が聴こえてしまった時は、支離滅裂だと苛立ちさえ感じた。


 だけど──


 今ならわかる。
 八雲さんも、苦しんでいたんだ……と。



『僕の魂は、陰と陽に分かれてしまったようなんだ』



 あらゆる生者に死を与える陰の魂に支配されながらも、懸命に抗い、発せられた陽の魂──本来の八雲さんの叫び──。


 あれは、こういうことだったんだ……。


 その時だった。背後で小屋の戸が開く音がして、どきりとなった。

 ──真人さんだった。
 私と同じように、彼もスマホの簡易ライトを点ける。

「眠れないのか?」

「ちゃんと眠りましたよ。目が覚めちゃっただけです」

「そっか。……しかし、久しぶりにしっかり眠れた気がするよ。天津さんには感謝してもしきれないな」

「そうですね」

 簡易ライトの頼りない明かり程度でも、真人さんの目はすっきり澄んでいることがわかる。心なしか、血色もいいようだ。
 だが、表情はどこか冴えない。

「…………あのさ、ちょっと弱音を吐いてもいいかな……?」

「どうか……したんですか……?」

「美伽ちゃんの言ってた通り、八雲さんは悪霊になって当然だと思うんだ……。そんな相手の根深い怨みを取り除くなんて、本当に俺達にできるんだろうか……?」

 あ、そうか……真人さんは知らないんだ……。
 私は夢の中で託された、八雲さんの本当の気持ちを彼に伝えた。

 夢の中での話だ。
 一笑に付されることかもしれないけど、今、私が見る夢は必ず何か意味がある。
 真人さんは疑うことなく信じてくれたようだ。

「……そうなのか。本当に優しい人なんだな……」

「呪いを解くことも大事ですけど、私、何よりもあの人を救ってあげたいです。頑張りましょう」

 儚げな八雲さんの笑顔が脳裏に浮かんだ。

「そうだな。……ごめん、みっともないとこを見せちゃったな」

「気にしないでください。お互い様です」

「まあ確かに、俺も泣いている凛ちゃんに胸を貸したわけだしな」

 容赦なく急所を突かれた。
 真人さんは意地悪そうに、視線を私に合わせてくる。

 心臓が肌を突き破って飛び出しそうになった。
 闇討ちに遭った気分というのは、こういうものなのかもしれない。
 うろたえようとする私に、真人さんはさらに止めを刺すように、

「あーあ、弱ってるところを見せれば、もしかして、抱きしめて慰めてくれるんじゃないかな~って期待してたんだけどな。現役女子高生と抱擁するチャンスだったのに、残念……」

「まっ……真人さん……ッ!」

「ごめんごめん。冗談だよ。だから、そんなに睨まないで、ね?」

 顔が熱いなんてもんじゃない。炎のたまになっているようだ。


 どうか、顔が真っ赤なことを、指摘されませんように──!

 
 心で叫ぶようにして、力強く祈った。

「あー……こんな時に言うことじゃないんだけどさ……」

「えっ?」

 意味ありげに切り出され、思わず声が上擦る。

「全て片付いたら、水族館に行かないか?」

「えっと……?」

「俺達、出会いがこんなろくでもない形になっちゃったからさ、できれば次は楽しい時間になるように……。せっかく仲良くなったんだし、これでさよならってのは寂しい気がしてさ。ああ、もうじきアラサーに差し掛かるおっさんとこれ以上付き合ってられない、ってなら無理に誘わないけど」

「そ、そんなことないです……! その……、嬉しいです」

「そっか、よかった。俺、ベルーガ見たいんだ」

「ベルーガ?」

「シロイルカの方が一般的かな。見たことない?」

「ああ、あります。可愛いですよね」

「うん。特に正面から見た顔が可愛い。癒されるよな。好きなんだ、俺」

 一瞬、シロイルカになりたいなぁ……などと考えてしまい、我ながら痛いことを考えてしまったと強烈に恥じた。

「あとで美伽ちゃんにも話さないとな。あ、全て終わらせてからの方がいいかな」

 舞い上がりそうなところを、引きずり下ろされた気がした。
 そうだよね……、真人さんにとって私は、なついている後輩の1人でしかない……。
 ひっそりと落ち込み気分を噛み締めているところに、小屋の戸が勢いよく開いた。

「いえいえ、そのお誘い、申し訳ありませんが辞退させていただきます」

「ちょっと、美伽ってば聴いてたの?」

「もしかして、彼氏がいるのか?」

「そうなんですよぉ。それも、束縛きつめな人でー。だから、真人先輩と寝食ともにしてたことが知れたら、もうヤバくてー……」

 美伽は大袈裟に怯えてみせる。
 白々しい嘘吐いて……。彼氏、いないじゃない。

「そうか、それは残念だな。じゃあ、2人だけになっちゃうけど、それでもいい?」

「は、はい」

 美伽の方に視線を移す。
 案の定、意味深な笑顔を貼り付けている。
 さりげなく左手の親指をグッと上げ、それをちらつかせる。『やったね♪』という美伽の心の声が聴こえそうだ。

 本当に、お節介なんだから……。


 いつものことながら呆れてしまう。


 でも、ありがとう、美伽──。
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