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しおりを挟むこの日も二人で食事をしていた。
目の前に、何気なく左手をテーブルの上に置いた彼がいる。
私は、食後にコーヒーをゆっくりと口に含んだ。そして覚悟を決めると、それを飲み込みにっこりと笑顔を浮かべる。
「それ、指輪の痕よね」
私は彼の左手の薬指を指した。そこには、リングの形に跡が付いた日焼けの痕。そこそこ日に焼けた彼の手の色に比べ、うっすらと色の薄い線のように、焼けずに残っている。
最近は時折軽口さえ交わすようになっていた私は、ずっと気になっていたそれについて尋ねた。
ずっと、心に引っかかっていたことだった。
気にしないと、どうでも良いと言い訳をし続けて、すればするほどどうでも良くなくて。悩んだ挙げ句に、なんでもないふりをして聞こうと決意した。
私の言葉に彼が顔を上げた。動揺しているように見えるのは、穿った見方だろうか。
私はなんでもないふりをしてからかうように笑って彼を探る。
これは、嫉妬なんかじゃない。
そう自分に言い聞かせて、尋ねる決心をした。
私は、にっこりと探るように彼に笑いかける。
分かっているのよ、と。ごまかそうとしたってダメなんだから、と。釘を刺すつもりで。
何に、釘を刺そうとしていたのか、自分でもよく分からない。
他に女がいるのなら、私に手を出すなと言うことなのか。他に誰かいるのを分かってるんだから、私は騙されたりしないわよ、という事なのか。それとも……ちゃんと清算して私を誘っているんでしょうね、という事なのか。
彼が指輪を隠した意味も、意図も分からないから、私自身、こうして釘を刺すことが彼にとってどういう意味になるのかも分かってないから、しかたがないのかもしれない。
ただ、裏切りだけは、許す気にはなれない。
「最初に会ったときは、指輪してたよね」
「……見てた?」
私は軽いそぶりでうなずきながら、微笑んだまま彼の本意はどこかを探りながら見つめる。
見つめる先で、彼は困ったように微笑んだ。「あ~」と言いかけて口をつぐむ。
「呆れないで欲しいんだけど」
そう、どこか恥ずかしそうに笑って前置きをして、彼が言う。
「アレは、前の彼女とのペアリングだよ。未練がましく、はめてたのを見られたくなくて、外したんだけど」
彼が心底困ったように、笑いながら首の後ろに手をやる。困ったときにする仕草。その意味は?
私は、出来るだけ普通に見えるように、意識して呼吸をしながら、無理矢理に微笑みを続ける。
「前の?」
促しながら、彼の真意を見ようとする。
「うん、もう、だいぶ前に、別れた」
彼の顔が、悲しそうにゆがんで、そして自嘲気味に微笑んだ。
誰を想ったのだろう、そう思った瞬間、胸を刺すような痛みが襲う。
嘘を言っているようには見えなかった。
本当に? その指輪の主は、もうあなたの側にいないの?
でも、まだ未練を感じている……?
「別れても、指輪外せないぐらい、好きだったんだ」
思わず、ショックを受けた気持ちそのままが言葉となってついて出た。
言った直後、落胆した自分を気付かれたくなくて動揺する。
「……そうだな」
けれど、彼はそんな私の動揺に気付かずに、そう静かにうなずいた。何かを思い出すように、切なくその声が響いた。
聞くんじゃなかった。
彼の言葉が、本当かどうかは分からない。本当に「元」彼女なのか、そもそも「彼女」なのか。仮にも左手の薬指。そして跡が付くほどにつけっぱなしだったと言うこと。「妻」という可能性は?
疑えばきりがなかった。
けれど、考えても仕方がないと、私は自分を諫めた。
それに、彼女がいても、妻がいても、私には関係がない。
私は必死に自分に言い聞かす。
そう。関係ない。
私は自分に言い聞かす。私は、聞きただそうと思ったときとの矛盾には気付かないふりをする。
彼の存在はいつでも私の心を乱す。二転三転する自分の感情を必死に押さえながら、私は出来る限り冷静に考えようとした。
そして、冷静に受け止めようとして、余計に私の動悸は速くなる。
仮に彼の言葉が本当だとしても……。本当だとしたら、もしくは余計に……?
本当に、関係ない?
考えれば考えるほど苦しくなってくる。
その人が、彼をこんなふうに変えたのだろうか。
私と別れてから、彼をこんなに変えるような恋とは、どんな物だったのだろう。
私は、その「前の彼女」にひどく嫉妬した。
私は笑顔を張り付かせたまま、何でもないフリをしてコーヒーを一口飲む。
「今は?」そう聞きたくなる自分を、私は必死に押さえていた。「今も」と答えられても「今は違う」と言われても、私には、どちらも重い返事でしかないのだから。
彼の言葉は、いつでも……今でも、私には重すぎるほどに、重い。
私は矛盾した感情を内包し、その間を行き来する私の心は、アップダウンを繰り返す。登りは苦しく、下りは恐い。どちらの感情に振れても、私には辛い物だった。
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