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しおりを挟む言葉を失い、滑稽なぐらい震えながら恐怖に後ずさった私を見て、彼が表情をこわばらせた。
「……違う、違うんだ、……ごめん」
彼が震える声でつぶやく。怒鳴ったときとは正反対の弱い声で、今にも泣きそうなぐらい辛そうな顔をして。
「変わったつもりだったのに……もう、留衣に俺の気持ちを押しつけないって決めてたのに……。結局、俺は変わってないんだな……」
ちくしょう、と、彼は吐き捨てるようにつぶやいた。
留衣、ごめん、大きな声を出して、ごめん。
そうつぶやく声は力なくて、私は怯えていたことも忘れて、呆然と彼を見る。
なに、これ……。
苦しげな彼の姿に私は違和を覚える。
彼の手が強く強く握りしめられ、震えている。うつむいた顔はひどく苦しげにゆがんで浅い息を繰り返す。
これが、私をだましていた人間の態度だろうか、と。
恐かったのは私の筈だった。なのに、今は私よりも彼の方が怯えているように見える。
こんなに苦しげに私を苦しめたと悔いる人が、本当に私をだましたのだろうか、と疑問すらわいてきた。
私はずっと疑っていた。彼の誠意に見える優しさは、絶対に偽物だと。信じたくなくて、ずっと彼の笑顔の裏を探り続けていた。
なのに、目の前の彼の姿は、なんだろう。
これが、本当に、そんな裏のある人の演技だろうか。
――違う。
私は確信してしまう。
最低の彼と、最高の彼を見た。嘘をつくときの彼を私は知っている。それを誤魔化すときの彼も知っている。そして五年前から変わっていない優しさも知っている。彼が、どういう人なのか、……私は知っている。
彼からにじみ出る苦痛は、本物だ。
そして、それは私が彼を苦しめた結果だ。私のせいで、今、彼は苦しんでいるのだ。
私が疑ってた彼の好意に裏なんてなかったんだと、漠然とではあったけれど、私はようやくその感覚を受け入れ始めていた。
それを認めるのが恐くて、私は逃げていた。私は目をそらしていただけだった。
けれど、彼の優しさは、偽りではなく、彼の心だった。
彼は、本気で私の事を思ってくれていたのに、私は向けられた好意をまがい物だと信じ込んで、信じ込みたくて、踏みにじっていただけなのだと。
私は、彼を見つめながら呆然とそう感じていた。
目の前の彼は傷ついている。私に拒否されたからではなく、私を怯えさせたことに。原因はどうあれ、彼は私のために、私を想って傷ついていた。
じゃあ、私は……?
私は自分を振り返る。
私は怯えていた。彼にどうしようもなく惹かれてしまう自分が嫌で、また傷つくのが怖くて。だから、自分がこれ以上傷つかなくてすむように、彼を傷つける事で自分を守った。彼は傷ついたりしないと決めつけて。彼の言葉に心なんてこもっていないと決めつけて。
なのに、現実はどうだろう。彼は、私を傷つけたことに傷ついて、私は、自分が傷つかない為に彼の言葉を聞くことを拒絶して、彼を傷つける事を選んだ。
自分勝手なのは誰……? 彼? それとも。
私は、今になって、ようやくそのことに気付いた。この数ヶ月、見ようとしなかった彼の姿を、私は、彼がこらえきれなくなるほど追い詰めて、初めて気付いたのだ。
彼の誠意を見ようとせず、拒絶し続けて、傷つけた。
気付いて、愕然とする。
なんてことをしてしまったんだろう……。
「ご、ごめんな、さ……」
震える声で懺悔する彼に、私もまた震えながら謝った。
彼がはっとして私を見つめる。
「違う、謝るのは俺の方だ。留衣が俺の言葉を聞きたくないと思うのも、俺がそれだけのことをしてきたからだ。悪かったのは俺で、留衣が、謝る事じゃない」
彼は迷わず否定した。
でも、と、私は声にならない声でつぶやく。
再会してから、ずっと、彼は誠実だった。あの頃の彼ではないのだと、身をもって示してくれていた。なのに私はそれを踏みにじった。
彼は、もう一度「留衣は悪くない」と言った。そして「でも」と続ける。
「話を、聞いてもらえるだろうか?」
彼は、ぽつりとつぶやくように懇願してきた。
胃が、きりきりと痛んだ。聞きたくなかった。でも、きっと、それを聞くのが、彼に対する誠意だ。私に必死で誠意を示してくれた彼に対する礼儀だと思った。
聞きたくなくて逃げそうになる自分に言い聞かせる。ここまで後悔する彼にも、何か事情があるのかもしれない、と。結婚している相手に、事情も何もあったもんじゃないけど、でも、ちゃんと聞こうと、腹をくくる。
彼なりの誠意に答えるためにも、そして私自身のためにも。
私は、きっと、ここで逃げたらいけないのだと、そう自分に言い聞かせて。きっと、ここで逃げたら、私はまた、彼を引きずるだろう。忘れよう、忘れようと、苦しんで、また、心が満たされずに苦しむだろうと思えた。覚悟を決めていたとおり、しっかり向き合って、ちゃんと聞いて、ちゃんと吹っ切って、別れを受け入れないといけないのだと、そう自分に言い聞かせて。
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