再会は甘い誘惑

真麻一花

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 私は彼を見てうなずく。わかった、聞くよ、と。
 彼が、ほっと息を吐いて、そして私をまっすぐに見て、それからまた、軽く目を伏せるようにして視線をそらして言った。

「俺が、指輪持ってるの、イヤだった?」

 私はうなずいた。

「そりゃ、そうだよな。五年も前に愛想尽かした男が、自分に未練たらたらとか」

 彼が自嘲気味に笑ったのを見て、え? と、私は首をかしげる。
 何で、指輪が私の話に?

「……結婚指輪じゃないの?」
「……え? は? 結婚指輪……?」

 彼がきょとんとして私を見る。
 私と彼がお互いを探るように見つめ合ったまま黙り込む。
 ややあって、彼が考え込むようにして、そして躊躇いがちに私に尋ねた。

「もしかして、この前、俺と佐々木が話してるのを聞いてた、とか?」
「……っ」

 佐々木とはこの前のあの男性の事だろうか。気付かれて、私は言葉を失う。目をそらすと、彼からゆっくりと息が漏れた。どこかほっとしているような、でも焦りを押さえているような。

「じゃあ最後までは聞いていないんだな。……そうか。もしかしてあの日、約束キャンセルしたのも、そのせいか」

 彼が確認するようにつぶやいた。私は立ち聞きしていたのを認めなくて目をそらして黙ったままでいる。

「俺は、結婚なんてしてないよ」

 彼が静かに言った。確認するように、ゆっくりと。

「でも、指輪」
「うん、指輪は、ずっとしてる。留衣が言ったように、今も持ってる」

 そう言って彼はネクタイをゆるめるとワイシャツのボタンを外す。顔を上げた私の目の前で、ネックレスにぶら下げたリングを見せた。

「見る?」

 彼はネックレスを外すと、私に差し出した。

「留衣に再会するまで、外したことなかった。外した後は、ずっと首にしてたし」

 見たくないのに、流れで何となく私はそれを受け取る。私はそれを受け取って固まった。

「……これ……」

 呆然として、私はその指輪を見つめる。

「未練がましいだろ。……引いた?」

 そう言って彼が諦めたように笑った。

「……これ……」

 私は、この指輪を見たことがあった。違う、嫌になるほど、よく知っていた。

「うん、留衣とのペアリング。覚えてくれてたみたいで、うれしいな。別れてからは、肌身はなさずってやつ。……付き合ってる頃に、そうするべきだったんだよな」

 彼が苦笑いを浮かべながら自嘲気味に話す。

「こんなん、まだしてるのを知られたら、絶対留衣は逃げると思って。俺が留衣のこと諦めきれないのがばれたくなくて、外した。こんなんつけて、友達なんて言っても、絶対下心見え見えだし」

 そう言って、彼が苦く笑った。
 私は手の中のリングを握りしめる。このリングは、彼の、五年分の思いが詰まっているのかと思うと、苦しいぐらいに愛おしかった。

「友達から始めたら、信用してもらえるようになるんじゃないかって。甘いよな。……イヤ、図々しいのかな。あのとき、さんざん留衣を苦しめたのは俺なのに。また信用してもらいたいとか」

 私は顔を上げて、苦く笑う彼を見る。

「それでも、やり直したかったんだ。心入れ替えたって分かってもらえたら、やり直せるんじゃないかって。あの頃、何回も、何回も自分で裏切って、信用できなくさせたくせにな。図々しいのは、分かっているんだ。でも、諦めきれない。俺は、留衣が好きだ。留衣と一緒にいたい。留衣とまた、一緒にいられるようになれるなら、何でもするから」

 彼の言葉に、心が、頭が、ついて行かない。
 彼は、ずっと私の事が好きだった。そして、今は、私は裏切られてなんかいなくて。
 私は、まだ混乱していた。

「じゃあ、前の彼女って……」
 私?

 彼を見ると、ばつが悪そうに目をそらされる。

「……嘘は、言ってない」

 拗ねたように地面を見ている姿が彼らしくなくて、笑いがこみ上げてきた。
 こらえきれず笑うと、彼が少し情けない顔をしてにらむように私を見た。
 不思議な感覚だった。
 胸がいっぱいで、おかしくて、うれしくて、苦しくて。
 それでも笑っていると、なぜか涙がこみ上げてきた。笑いながら、こみ上げてくる涙を抑えきれずに、ぼろぼろとこぼれる。
 胸の中はぐちゃぐちゃだった。いろんな気持ちがあふれてきて、どうしたらいいのか、どうしたいのかも分からない。
 うれしいのに、ほっとしているのに、涙がこぼれてくる。ようやく地面に着地したような安心感が胸にあって、もう彼のことは怖くないと実感できたのに、彼のことを思うだけで涙がこぼれた。
 けれど、これだけは分かる。目の前の彼が私の事を好きなのだと、そう心から信じられる、それがうれしくて、幸せで、涙が止まらない。

「る、留衣?!」

 慌てた様子で彼が私をのぞき込む。私に伸ばされた手は触れようとして、触れる前にはじかれたように引っ込められ、行き場を決められずに戸惑っている。
 私はその動きに、自分がどれだけ彼に大切にされているのかを知る。
 抱きしめることさえ、躊躇うほどに。彼は私を……。
 私が彼を怖がったように、彼も、私の反応を恐れているのだと。
 私の一挙一動に、彼が反応している。それは、あの頃にはない彼の姿だった。
 私は目の前の彼に向けて、一歩を踏み出した。

「え? 留衣?」

 一歩進んだ私は彼に触れるほどの位置にいて。私は胸元の彼の服を握りしめ、頭を彼の肩に寄せた。
 彼は再会して以来の不器用さで、バカみたいに突っ立って、その手は私に触れることのないまま、そのあたりを戸惑ったようにさまよっている。
 彼もまた、怖かったのかもしれない、と。
 改めて実感をして。そしてそれがきっと正解なのだと。
 肩に額を乗せて、私を抱きしめるかどうかをためらう彼の手を見ながら思う。

 この女ったらしの男が、ここまではっきりと意思表示している女の肩を抱くことさえためらうほどに。私の肩を抱くというそれだけのことが、ためらわれるほどに私の気持ちを怖がっているのだと。
 うれしかった。

「孝介さんが、好き」

 私は勇気をかき集めてつぶやいた。
 言葉にすると、それが実感としてこみ上げてきた。
 孝介さんが、好き。
 この人は、私を裏切っていなくて、私は、彼を信じて良いのだと、彼が身をもって教えてくれた。
 きっと、怖がらなくて良い。信じて良い。
 全部、終わらせる気でいた。
 けれど、今は、彼を信じて、もう一度やり直したい。再会できるかどうかも分からなかったのに、ずっとこのペアリングをはめてくれていた彼を信じて。

「留衣、……本当に?」

 頭の上から、不安げな声が返ってきた。

「留衣は、あの頃の俺を、許せる?」

 そう言った彼の声は怯えるように震えている。私は、それにゆっくりとうなずく。私の気持ちは固まっていた。

「……許すよ。思い出したら、苦しくなるし、不安になる。今の孝介さんを疑いたくなる。でも、あのときのことを謝ってくれた事も、もうしないって言ったことも、信じたいと思ったから」

 彼を前にすると、すぐに揺らいでしまう心だけれど、出来る限り強く、信じる気持ちを持ちたいと。

「……ありがとう」

 彼が噛み締めるようにつぶやいた。私は顔を上げ、彼の顔を仰ぎ見る。目の前に、わずかに震える口元が見えて、私は少し背伸びして、その唇に口づけた。

「……っっ」

 彼の体がこわばる。

「……勘弁して。結構我慢してるから……」

 襲ってしまいそうデス……。
 消えるような囁き声が、かすかに耳に届き、私は彼に、彼の視界から隠されるように抱きしめられた。

「ちょっと理性、総動員するから、動くなよ」

 思いがけないところで照れて私を抱きしめてごまかす仕草は昔と変わっていないんだな、と腕の中で思い出す。けれど、その思い出が、良い思い出としてよみがえってきて、私は結局、この人のことがずっと好きだったんだと、諦めるような安心感を覚えた。

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