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王子
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しおりを挟むあの頃の自分はどれだけ彼女を傷つけたのだろう。その代償が大きすぎた。
以前の彼女が失われ、国に都合の良い彼女が搾取され続ける。それではあまりにも彼女が憐れだ。
あの子を今度こそ確かに、幸せにしてやりたいと思うのに、ままならない。
本当なら、政治の意図とは関係のない場所で心穏やかに暮らせるように整えたら良いのかもしれない。けれど、それは為政者としてすべきではない。万が一にも彼女が他国に浚われる危険を犯すわけにはいかない。
何より、私が彼女を手放したくなかった。たとえ貼り付けてある笑顔だとしても。彼女が本来持つ笑顔に焦がれてしまう。傷ついた彼女を、今度こそ自身の手で本心から癒やしたいと願ってしまう。
私は以前と変わらず、身勝手を彼女に押しつけているのだ。分かっている。それでも。
「君を、愛しているんだ」
何度そう伝えてきただろう。繰り返す言葉に、ある日、とうとう彼女が悲鳴を上げた。
「もうやめて…! そんなこと言われなくても、私はちゃんと笑っているでしょう?! まだ足らないの?! それとも命の願いが必要になったの?!……お願い、もう、終わらせて……何でも願ってあげるから、もう」
もう、私を解放して……。
絞り出すような声に、言葉を失った。
私は、またもや彼女を追い詰めていたのか……?
突然彼女の穏やかな仮面が外れ、涙をこぼしながら「もうやめて」と悲鳴を上げる。
食の減った彼女は、じわりじわりと痩せ細り、今は、折れそうなほどに細くて、儚い。そんな彼女が取り乱すそのさまはあまりにも痛ましい。
「……帰りたい、家に、帰りたい……。帰れないなら、さっさと死なせてよ……」
嗚咽混じりに絞り出される言葉に愕然とする。
彼女は、消極的な死を望んでいた。
違う、君を苦しめるつもりはない。本当に愛しているんだ。君が好きだ。君に穏やかに暮らして欲しいだけだ。私のそんな言葉は、彼女に届かない。どれだけ真摯に向けた言葉も、信じてもらえず、そして適当に流される。やりきれなくて気が狂いそうだ。
死なせてなどと言わないでくれ。死を望まないでくれ。君を守らせてくれ。
以前心がこもってなかったことは認め、謝りもした。今の気持ちは本当だと伝えもした。
けれど、一度は感情をあらわにした彼女も、次の時にはもう冷静に感情を隠しきった、微笑むばかりの彼女に戻っていた。
「王子は、今の私を見て私のことが好きだって気付いたのよね。じゃあ……元に戻ったら、また影で笑うのかしら? でも、元に戻るのはもう無理よね。だって、あなたが私を慰めた言葉、全部嘘だったんだもの。今更どうして信用されると思うの?」
淡々とこちらの負い目を突いてくる。
「……それは」
「私は大切な人たちと引き離されたの。でも大切にしてくれる人たちがいたから、辛くても見ないふりして一生懸命笑ったわ。でもその人たちは軒並み陰で笑っていたのよ? 恨みも忘れてへらへら笑っていられる馬鹿な女って。この世界の人たちにとって、私の笑顔の祝福さえあれば問題なくて、私自身は必要ないって、気付かせてもらったの。ねえ、どうして、私があなたを信じられると思うの? 痛みを忘れたふりして前を向いて頑張ろうとする人間を裏で嘲笑うのが、あなたたちでしょう?」
ああ、全て、彼女に知られていたのだ。希望が潰えてゆく。
私をだました筆頭があなたでしょう。彼女が、そう言って笑った。
返せる言葉など、あるはずがなかった。
彼女は、どんなときも笑っている。これで満足でしょうと。彼女は積極的に死のうとしているわけではない。けれど、消極的に、生きるための努力を拒んでいる。少しずつ、少しずつ、彼女が壊れていく。けれど私にそれを止める術がない。
いつも笑顔のまま、少しずつ痩せていく。笑顔を浮かべたまま、ぼんやりと虚ろに時を過ごす。全てがどうでも良いというように、何事も受け流す。
「お願いだ、このままでは本当に死んでしまう。君を失いたくない……!!」
食事をとってくれと頼み込めば、
「あら、それだと本当に私のことが好きみたいね」
と、おかしそうに彼女が笑う。
「大丈夫よ、死ぬ前に、ちゃんと命の願いはしてあげるから」
「……やめてくれ!! 頼むから…お願いだ、そんなことは言わないでくれ……君がいなくなるなんて耐えられない、考えたくもない……!!」
彼女をかき抱いて訴えた。彼女の苦しみを消せない自分が憎かった。これほどの痛みを与えた自分が憎かった。
おそらく、彼女をだましたとか、裏切っていたとか、そんな単純な問題ではないのだ。
私たちは彼女から故郷を奪った。家族を奪った。彼女にとって最も憎い存在なのだ。なのに彼女はそれを許そうとし、受け入れようとしていた。その意味をもっと知るべきだった。
彼女は自分たちの示す好意に応えることを、彼女自身の生きる支えにしていたのではないだろうか。「これだけ必要とされているのだから」と。
その生きる支えを、裏切ったのだ。彼女の生きる意味を、踏みにじったのだ。許そうとした心を踏みにじったのだ。
弱々しい力で、彼女が私を振り払おうとする。
「やめて、もう、勘違いするのは嫌なの。悲しい思いは、もう、いや。私を、ほうっておいて……」
ぽろぽろと涙をこぼしながらない力を振り絞って抵抗し、やせ細った彼女はそのまま気を失うように意識をなくす。
「……死んだら、家に、帰れる、か、な……」
もう、限界だった。彼女がこのままでは失われてしまう。心を傷つけたまま、彼女が失われてしまう。
けれど彼女は聖女だ。失わせるわけにはいかない。
必死で手立てを考えた。
そして一つ彼女を救う術としてたどり着いた神の御業。神からの恩恵でありながら、使うことを強く禁じられた秘術。
彼女を傷つけたその事実が、彼女を救う術になる。
神官を呼んだ。彼女の祝福をなくさないために、私は忘却の秘術を行うことを要求した。
秘術の一つであるこの業を使うことを許されるのは、国の大事と判断されたときだけ。
聖女は、国の宝だった。神から祝福された娘だ。それが失われようとしている今、秘術行使の条件は満たされていた。
また、身勝手に心を踏みにじったと、彼女は恨むだろうか。
けれど、かまわない。決して死なせはしない。
私のあの子を、取り戻すのだ。
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