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しおりを挟む陛下、お願いです。
「……嫌わないで」
思わず漏れたつぶやきに、国王がぴたりと立ち止まった。
「お前は、何を聞いていた」
呆れたような溜息の後のつぶやきは予想外で、何を言われたのか一瞬分からなかった。
「え……?」
戸惑いながら見上げる国王の顔は、呆れたように自分を見下ろしていたが、視線は逃げる事を許さないとでも言うようにクリシュナをとらえている。
「俺は、既にお前に落とされていたと言うたに、何を聞いていた」
「陛下?」
「……手折って欲しいのだろう?」
歪ませるようにして、国王が笑った。皮肉めいた笑みだったが、クリシュナをとらえる視線は真剣なままだ。
「あ、の……」
「望み通り、手折ってやろうというのだ。この年寄りを煽りおって。俺が、お前を手折る意味は分かっていような」
「意味……?」
国王が何を言わんとしているのか、クリシュナには理解できなかった。先ほどまで自分を拒絶していた人だ。突然状況が反転したらしい事を漠然と把握していたが、頭が受け入れきれない。
突然の国王の心の転換がどこまで本気なのか、心も、頭も、理解が追いつかない。
「一夜だけなどという甘い考えは捨てろ。可愛いお前を、俺がただの愛人としておくなどと思うな。そんな簡単に逃げられる地位では済ましてやらんぞ。人がせっかく我慢して送りだそうとしていたというのに……一度手に入れてしまえば、手放せるはずが無かろう」
「一度、だけじゃ、ないのですか……?」
国王の言葉が頭に入ってこない。唯一明確に理解できたのは、その一点だけだった。
震えるクリシュナに、国王が覆い被さるようにして見下ろす。後ずさったクリシュナの背が、後ろの木の幹にとんと当たって、国王の両腕が逃げ道を遮るように伸ばされた。
木と、国王の体によって閉じ込められたクリシュナは、戸惑いながら国王を見上げた。
「一度で終わらぬから、手を出してしまう前に、手放そうとしたというのに、お前はつくづく人の気持ちを踏み躙ってくれるわ」
そう言って国王は楽しそうに笑った。
「それを喜んでいる俺は、お前に落ちているどころか、狂っているのだろうな。俺が必死で留めていたというのに、いとも簡単に俺の理性をたたき壊したんだ。今更、もう、逃がさんぞ。お前は俺の物にする。決めた。さんざん煽りおって」
国王は脅すような笑みを浮かべて、耳元で囁くように低い声を出した。
「後で後悔するがいい。その時には、お前は俺の隣に並ぶ、王妃だ」
「……王妃?!」
冷徹に獲物を追い込むように国王が薄く笑った。そのくせして、顔を寄せて囁いた瞬間の吐息はひどく熱い。
「当たり前だ。そうする事をずっと考えていた。お前のために諦めていたがな。だが諦めるのはやめだ。予定通り、お前が王妃だ」
低い声と熱くくすぐる吐息。クリシュナの体にゾクゾクと何かが這い上がってくるような感覚が走る。不快感にひどく似ているのに、もっと欲するかのように甘く疼く。
「今すぐ覚悟を決めろ。……いや、決めなくていい。今すぐお前を俺の物にする。婚礼まで待つのが習わしだが……そんな事をしていては、また逃してしまいそうになってもかなわんからな。お前が誰にも嫁げないよう、さっさと傷物にしておく」
物騒に笑った国王が、クリシュナの返事を聞く間も待たずに唇を合わせてきた。
合わせた唇から男の舌がクリシュナの唇をこじ開ける。
「んっんんっ」
突然の口付けに、反射的に身を引こうとしたクリシュナの体を、国王がその身を木に押しつけるようにして妨害する。
熱くぬるりとした男の舌が、クリシュナの舌を絡め取り水音を立てながら刺激する。
頭を抱えるように回された右腕と、クリシュナの足から力が抜けるのを見越したように腰を支える左腕。口付けられる刺激に翻弄されながら、一方で、きつく抱きしめてくる彼の腕に、包み込まれているような安心感を覚える。
自分たちの起こす水音をどれだけ聞いていただろう。気持ちいいのか苦しいのか、幸せなのか辛いのか、それさえも分からなくなるほどクリシュナの頭の中は目の前の存在を感じることで一杯になる。
唇が離れて、上がった吐息が漏れる。
訳が分からなくなっているような状態で、いっそう強く抱きしめられ、国王のくぐもった声が聞こえた。
「……ここじゃ、ダメだ」
人通りは無いとはいえ、庭の一角だ。我に返ったクリシュナが顔を赤らめて身を離そうとすると、国王が押しとどめるように腕の力を強くした。
「逃がさないと言っただろう」
焦りを押さえたかのような自制していると分かる声も、クリシュナを抱きしめるその様子も、全てが求められているのだと感じられた。
「陛下……」
クリシュナは腕を国王の首へと回す。ぴったりとくっついた体を更にきゅっと身を寄せるように動かせば、国王は抱きしめる腕に力を込め、そしてそのままクリシュナの体を横抱きに抱き上げた。
口付けの衝撃にぼんやりしたまま、何が起こっているのかさえよく理解できない。けれど離れがたくて、抱き上げられた心地よさにまかせ、国王の首に腕を絡ませるようにして身を寄せる。
考えなければならない諸々がある気がしたが、全ては意識の外に追いやり、今は、こうして恋人のように身を寄せる事を許される現状を受け入れていた。
「ど、どこへ……?」
小さく震えた彼女を抱いたまま、国王は庭の奥の方へと足を進める。
「さあな」
国王は城の人目につかない裏側まで来ると、隠し扉を開けて見せた。
「覚えておけ。ここは王と王妃だけにしか伝えられていない扉だ」
「え……?」
ぼんやりしていたクリシュナはその言葉に青ざめる。それはこんな風に簡単に教えられる物ではないからだ。国王の命を守るために、それを知っているというだけで口封じをされることさえあってもおかしくない代物である。
「これを知っただけで、お前の枷が一つ出来たな」
国王が楽しげに笑う。
「陛下!」
「王妃になるんだ。……問題ないだろう?」
肯いた覚えなどないのだが、先ほどから国王の口ぶりでは確定しているらしい。
国王は気にした様子もなくクリシュナを抱いて誰も知らぬ通路を通る。
「そ、そんなに簡単に決められる物ではありませんわ…!」
「それは、お前の気持ちか、それともお前を王妃に据えるための状況か」
「じょ、状況です……! それに、わたくしが王妃になるには力不足で……」
薄暗い通路の中では国王の表情は翳って、はっきりとは読み取れない。
クリシュナは自分が何も考えられなくなるぐらい混乱しているのに、国王の声が楽しそうなのを「ずるい」と心の中でなじる。
「お前が王妃にふさわしいかどうかは、俺が一番よく知っている。知識も教養も立ち振る舞いも、お前の性質も、王妃になるのに何一つ不足ない。足りぬとすれば経験だけだ。それも俺がいる。安心して嫁げばいい」
「陛下は、勝手です……」
声が震えた。
冷徹で、なのに、時に思いがけない決断をまるで子供のようにあっけらかんと突拍子もなく下す姿は、いかにも国王らしくておかしい、といつもなら思っただろう。そんなところが好きで、そしてふさわしいと言われたことが嬉しい。
なのに思いがけないこの状況に不安で心は揺れていた。心が、この状態について行けない。思いが通じたという喜びが込み上げるような余裕さえなかった。通じたのかどうかさえ疑わしく思えてしまう。
ほんのわずか前まで、想像もしなかった嘘みたいな状況に、騙されているのではないか、都合の良い夢ではないかとさえ思いたくもなる。
あっという間に目がさめて、手に入れたと思った物が指の隙間からこぼれ落ちる瞬間が来るのではないかと、漠然とした不安がよぎるのだ。
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