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閑話 愚かすぎた思い込み(エルファ)
しおりを挟むガウスにはどこにも獣の要素がなかった。
けれど獣並みの力があり、気が付けばガウスはこの街のリーダーにおさまっていた。
彼の獣の要素は力だけだ。見た目もヒトなら、あの理知的な言動、頭の切れ味なんかはまさしくヒトだ。ヒトなんて口先だけでつまらないと思っていた私は、ガウスに会って衝撃を受けた。
あんなヒトもいるんだ。すごい。あのヒトがほしい。
ヒトだけど、ガウスなら私の番にしてあげてもいい。
ヒトなのにヒトじゃないガウスに子供の頃から憧れてた。その頃には既に、私は獣人の中で有望な番候補として期待されていたから、成人するのが楽しみだった。
でも入った群れでは、ガウスに手を出すのは許されなかった。以前ガウスの番におさまろうとしてミーナに手を出した雌たちが報復を受けたとか、そんな理由だった。
バカね。ヒトはこざかしいから、出て行かなきゃいけないのを教えてあげないと、自分の立場がわからないのに。あんな何の力もないヒトに寄生されて、ガウスがホントにかわいそう。
でも私が群れのリーダーになったら、ガウスを助けてあげる。だから、私が番になってあげる日までまっててね。
群れのリーダーになったときもまだ、ガウスは誰とも番ってなかった。やっぱり、ガウスは私のための番だと思った。私のために誰のものにもならなかったんだって、確信した。
なのに、ガウスの周りをちょろちょろとしているミーナのせいで、ガウスは私をよらせてくれない。見た目も弱さもヒトでしかない役立たずのミーナを心配しているのだろう。ただの家族のくせにガウスに甘えすぎだ。さっさと家を出て行けば良いのに。ホントにあの子は、いつまでも甘えて。ガウスが私と番えなくてかわいそうだとわからないのかしら。
兄さんはヒトのミーナにいつもデレデレしてる。獣ってホント、あの小賢しいばっかりで力もない役立たずが好きだなんて、どうかしてる。しかも兄さんは、獣らしくちょっと頭が悪い。ミーナがガウスの番とかって変なことを言って……ヒト同士で番うわけないじゃない。ばっかじゃないの?
ホント優しくて大好きな兄さんだけど、こういう短絡的なときは頭を抱える。
考えたらわかるじゃない。ガウスに力があるからって所詮はヒトなのよ? ヒトのミーナが番のわけないじゃない。
自分が力で敵わないからって、ガウスは獣だなんて。ホント、獣ってバカ。
まあ、確かに獣並みに力が強いからミーナとだって番えるかもしれないけど。でも、それは、他に番候補がいない場合の最終手段でしょう?
だいたい、私みたいに完璧なバランスの獣人が番になってあげるっていうんだから、ガウスだって私がいいに決まってる。
ミーナがいつまでたっても嫁に行かないからガウスが困ってるのは、考えればわかることだ。
なのに兄さんったら、ミーナが可愛いからって、ガウスと私の仲を邪魔するなんて。
あのミーナもミーナなのよね。もっともらしいこといって、ガウスの気持ちも考えられないなんて、ヒトのくせに頭が悪すぎる。
だから何度も教えてあげたのに。ガウスには釣り合わないって。さっさと獣のところにお嫁に行けばガウスも安心するって。ガウスの家族だから、あんなに気にかけてあげたのに。それでもわからないんだから……ヒトっていっても、大して頭のよくないのもいるのよね。
だいたい、ガウスも大概過保護なのよ。ミーナと番う獣を選びすぎてるのか、なかなか手放さない。
ホントじれったい。
どうしたらはやくガウスと番えるかと、毎日頭を悩ます。最悪、ミーナが一緒にいても、気を遣ってあげるし、こぶ付きでも、番ってあげるのに。
そのとき、見たことのない獣が通りを歩いているのに気付いた。
彼を見た瞬間、思いついた。
ミーナにぴったりの強すぎる獣性の、ここの住人でない獣。
この街にはミーナに手を出すような獣はいない。だってガウスがこわいから。でも、ガウスを知らない獣人だったら? 彼がミーナと番ったら、全部丸く収まるんじゃない?
でも普通に出会ったら、ガウスの匂いで尻込みをするかもしれない。でも、匂いを弱めたら?
私は自分の思いつきに感動する。
あの獣性ならミーナだって喜ぶに違いないし、あの獣だって喜ぶ。
ガウスはちょっと過保護すぎるから、ミーナだって番いが見つからなくて大変なはずだ。私があの子を番わせてあげると良いのよね。ミーナは人見知りだからちょっと強引なぐらいが良いかな。
はやく番わせてあげよう。
そしたらガウスもあの子もきっとあの獣だって、みんな幸せだ。私があの子にいい雄を探してあげたらガウスも喜ぶし、私を褒めて番にするにちがいない。
私はよそ者の獣に声をかけた。
最高の思いつきだと、私は、確かに思っていた。
「エルファ……!!」
叫ぶようなその声は、兄のものだ。
エルファは鈍い痛みの中、ようやく目を開ける。痛みはまだ、あまり感じない。衝撃で体中が動かない。
「にい、さ、ん……」
「バカが……!! なぜガウスの番になんか、手を出した!! あれほど余計なことをするなと……!!」
「……だって、あんな、雌、ヒトとヒトじゃ、釣り合わない……っ、だって、私の方がっ、よっぽ、どっ……」
混乱した頭を働かせ、エルファはなぜか痛む身体を押さえつつ、兄に訴えた。
兄の熊獣人は、それを愕然とした顔で受け止め、妹を凝視した。
「……お前、なにを、言ってるんだ……?」
信じられないと言わんばかりの声だった。
「……にい、さ、ん……?」
「お前には、まさかアレが、ヒトに見えていたのか……?」
嘘だろう、と、小さく呟く兄の声を聞いた。
「あの、恐ろしいほど純粋な獣の匂いを発しているアレが、どうしてヒトに見えるというんだ……!!!」
「え……」
兄の叫びを聞いて、エルファは先ほど見た狼と、その変化を思い出す。そのまま、衝撃で忘れていた記憶が呼び戻された。
狼がガウスに変化したあの信じられない光景が、エルファの頭の中によみがえる。
以前からエルファは兄から言われていたのだ。ガウスはヒトじゃなく獣だと。けれどエルファは取り合わなかった。
あの時理解出来なかった「ミーナがガウスの番」という兄の言葉が、今のエルファには恐ろしいほどに理解が出来た。
アレはヒトではない。ヒトに化けた獣だ。
がくがくとエルファの身体が震えだした。
「お前、俺の言葉を、信じていなかったんだな……。見た目に惑わされていたのか……」
ガウスでなければ、エルファの判断で間違ってはいなかっただろう。
だが、ガウスは特別な……いや、異常な存在だ。獣にとってひどく恐ろしく、ひどく心惹かれる尊い存在だ。
恐ろしいのに服従したくてたまらなくなる。心酔しどこまでもついてゆきたくなる。彼がいれば安心だと従属したくなる。
獣に近ければ近いほど、その感覚は明確だ。
「だって……、だって……。わ、わかる、わけ、ないじゃない……」
エルファが首を横に振りながら、ボロボロと涙をこぼし始めた。
それを諦観と共に受け止めながら、エルファの兄は重い気持ちで首を横に振った。
「……言い訳しても、今更だろう。お前はガウスの番に手を出した。……この町で、以前と同じように暮らせると思うな。……お前が望んでいたような番を得るのも、諦めるしかないだろうな」
「い、いや……」
「……街を出るか、諦めるかしかないだろう」
街を出るのは命がけの行為だ。獣単身なら定住先を見つけるまで流れ歩けばいいが、それでも見つからなければ生涯旅するしかない。ましてやエルファのような獣人だと命も危うい。
かといって街に残れば針のむしろだ。五体満足にいられれば幸運、とすべきだろう。
「に、兄さん……っ、たす、けてっ」
「エルファ、もう、遅い……」
悲しげな兄の呟きにエルファは絶望する。
「そんな……っ」
「何度もガウスが手を下そうとするのを、俺がなんとかするといって抑えてもらっていたんだ……。他の雄をけしかけて無理矢理引き剥がそうとしたのは、どう言い訳しても、どう謝っても、どれだけ反省しても、許されることはないだろうよ……。ガウスは狼だ。狼の番に手を出したんだよ、お前は……。俺も、ただじゃすまないかもな……」
「あ、あ……」
狼は愛情深い。唯一の番を、命かけて一途に愛する。
絶望して泣き崩れる妹を見ながら、兄もまた絶望していた。
何度も言ったはずだった。ミーナはガウスの番だと。ミーナに手を出せば、ガウスは許さないと。いいかげんに諦めろと。
歴然たる事実を前に、なぜエルファがあれほどガウスに執着しているのかが理解出来なかった。明らかに獣であるガウスを、まさか、ヒトと思っているなどとは思いもしなかった。
いや、エルファも言っていたのだ「ガウスはヒトなんだから私の方が釣り合う」と。だが彼はバカなと冗談と思い込んで笑い飛ばした。見た目がヒトであることに夢を見て、たわごとを言っていると思い込んでしまった。本気で言っていたなどと、思いもしなかった。
ガウスをヒトと間違うなどあり得ないのだから。
そんな兄にとっての当たり前の事実と、妹にとっての当たり前の事実が違っていただなんて、思いもしなかったのだ。
獣は、相手の思惑を読み取るのが下手だ。兄妹そろって、自分の思い込みで足をすくわれた。
妹を、止めてやれなかった。自分にはもったないぐらいのかわいい妹だと思っていた。
ワガママで自分の意思を通すところが、頼もしい妹だった。ちょっと獣やヒトを馬鹿にしてるようなところもあったが、思いやりもあって優しく、その上で手を貸すこともできる子だった。そんな周りの評価も自覚し、その自信のあるところがきもちいい、本当にいい子だった。
エルファはもっとも愛される雌の体現だった。
もしヒト寄りの獣人と番ったなら、ヒトを護りながらその能力を生かせる妻になっただろう。もし獣寄りの獣人と番ったなら、あの子の機転でうまく獣を操縦し力のだしどころを指し示すことの出来る妻になっただろう。
それが簡単に思い浮かぶほど、うまく番をもりたてていけるような子だった。
なのに、守ってやれなかった。
今までガウスの番になろうと、ミーナに手を出した雌が数人いた。
彼女たちはヒトでさえ嫌がるほどの粗暴な獣に嫁いだり、嫁ぎ先がなく家に引きこもってガウスに怯えているなどという話も聞いている。
妹は、その話を知らなかったのだろうか。……いや、知らないはずはない。それでもなお、自分は大丈夫と思ったのだろうか。わからない。
妹を止めてやることが出来なかった。それは変えようがない。
俺の責任だと、兄は小さく息をついた。
ガウスからの報復が、少しでも軽い物であるようにと、祈るしか出来なかった。
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