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本編
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しおりを挟む仕事中、頭の中はどうやって別れを切り出すか、いつ、切り出すか、そのことで頭がいっぱいだった。
忙しいのに、ろくに仕事が手につかない。
ミスをしないように心がければ仕事は遅くなり、急げば小さなミスを繰り返す。
こんなんじゃダメだ……。
そう思うのに、気持ちは仕事が終わった後のことばかりを考えようとする。
別れを切り出せば雅貴はどう反応するのか……。
考えるだけでも緊張で鼓動が早くなる。
こわかった。イヤだった。本当は、別れたいわけじゃなかった。
なのに、それを切り出すしかないこの状況がたまらなく辛かった。
さんざんな一日になった。
一日で何回「すみません」と言っただろう。実咲は、私事に振り回されて仕事がぼろぼろになってしまう自分の精神面の弱さを呪う。自分のちょっとしたミスが他の人の仕事に影響してくるのに。
そうして結局、定時より一時間近く遅い退社だ。
ため息をつきながら会社を出た。
「終わった? 軽く飯でも食おうっか?」
会社を出てすぐのところで声をかけられ、びっくりして顔を上げる。
雅貴がにこにこと笑いながら実咲に歩み寄ってきていた。
「……いつから待ってたの?」
「そんなに経ってない。行こう」
気にするなという雅貴に、実咲は泣きたくなる。
「そうね」
今日一日実咲を苦しめた張本人は、何も知らずに涼しく笑っている。そしてこんな日に限って、雅貴は優しい。そんな雅貴が憎くて、けれど愛しくて、蹴り飛ばしてやりたいと思った。
けれど弱みを見せたくなくて、実咲は同じように涼しげに笑って見せた。
「ありがとう」と、さらりと言って。
当たり前のように雅貴の隣を歩く。
今日が、こうして一緒に歩ける最後の日。
そう考えると、実咲はぞっとした。
のど元から下腹部にかけて、ぐぅっと底冷えしていくような感覚。頭がくらくらして、体が重く感じた。
そして、別れることを意識するだけで血の気が引くほど辛く感じている事実に動揺した。
今日、雅貴と別れる。……私が別れを切り出すんだ。
すぐ隣にいる雅貴の存在を感じる事で余計にその事実が実咲に襲いかかってきた。
実咲は止めようとしても止まらない激しい動悸におそわれながら、いつ、どうやって切り出すか、考えることで感情を抑え込もうとする。
反面、動揺とは裏腹に今はまだ雅貴が隣にいるという事実にほっとしている自分も感じていた。
これが最後なんだ。
実咲は、必死に自分にそう言い聞かせる。
だからこうやって一緒にいることをうれしいなんて思ったらいけない。もう、これが最後なんだから。この時間を延ばしたいだなんて、思ったらいけない。いつまでも苦しみたくないなら、早く終わらせないと。
実咲は相反する感情をまた堂々巡りで考えている自分に気づき、こっそりとため息をついて雅貴の顔を盗み見る。
いつもと同じきれいな横顔だった。
「何だよ」
視線に気づいた雅貴が笑った。
「何でもないよ」
我に返り、無理矢理笑顔を作りながら目をそらす。
好きだなんて思ったらいけない。昨日のあの彼女ともこんな風に一緒にいた事を忘れたらいけない。雅貴の笑顔を横目に、実咲は隠れてため息をついた。
「なんか食べたいものある?」
「別に。あんまり食欲ないから軽食があるところが良いけど」
「俺は結構ガッツリ食べたいんだけど……」
普通に話をするのが、こんなに辛いことだとは思わなかった。実咲は視線をそらせながら、気持ちをごまかすように辺りを見渡す。
「じゃあ、ファミレス行こっか。あそこならそこそこ種類あるだろうし」
目にとまったファミレスを指して言うと、雅貴が笑う。
「おまえ、そういうとこ、ほんとこだわりないよな」
「え?」
「なんでもない」
意味が分からずに問い返すと、雅貴は実咲の手をさっと握って楽しそうにファミレスへと足を向けた。
扉を開けるとカランと音がして、店員に「いらっしゃいませ」と迎えられた。
案内された席に座り、注文を済ませると重い沈黙が訪れた。
もっとも、重いと感じているのは実咲だけだったのかもしれないが。
本当は雅貴にも聞こえているんじゃないかと思うほど、実咲の心臓がどくどくと大きな音を立てている。
「なんで黙ってるの?」
雅貴が笑いながら実咲のうつむき加減の顔をのぞき込んできた。
今、かもしれない。今が言うときなのかもしれない。
実咲は息を吸い込んだ。
「……何でもないよ」
けれど出てきた言葉は自分の理性を裏切った。そして取り繕うように雅貴に笑いかける自分がいた。
笑っている自分を、何をしているんだと頭の片隅で責める声がした。
実咲は笑った表情のまま雅貴を見つめる。
どうしようもない。今更言い出せないのは、どうしようもなかった。
言いにくいんじゃない、プライドに振り回されているわけでもない……私は、言いたくないんだ。
笑いながら胸がきりきりと痛んだ。
雅貴が好き。別れたくない。
そんな自分に気づいてはいた。それじゃだめなのに。分かっていても、もう少し、もう少し……と延ばしている。
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