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真麻一花

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本編

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「……雅貴……」

 それ以上言葉が続かなかった。何をしに来たのだろう。それよりも、どうしてここを知っているのか。
 表情こそ変わらなかったが、実咲はパニックに陥ってしまっていた。

 なんで。

 もう声をかけようとする素振りさえしなくなっていたというのに。
 頭の中は真っ白で、ただ、呆然とドアの隙間から半分だけ見える彼の顔を見つめていた。

「久しぶり」

 少し躊躇った様子で、ゆがむように、無理矢理笑ったような雅貴の笑顔が見えた。

「…………何の用?」

 低い、こわばった声が、自分でも驚くほどきつい口調で出た。雅貴の顔が苦しげにゆがんで見えた。

「少し、話、出来ないか?」
「話す事なんて、ない」

 声が震えそうになりながら、きっぱりと実咲は言った。

「頼む、少しで良い。……十分ぐらい、ダメか?」

 低く苦しげにつぶやかれる声は、どこか思い詰めているようにも聞こえた。

「頼む」

 実咲はドアを閉めた。そして、閉じたドアを見ながらどうするべきかを考えた。このまま鍵をかけるか、それとも。
 ドクドクと高鳴る心臓の音を聞きながら、どのくらい扉を見つめていたか。
 まだ、ドアの向こうに雅貴はいるだろうか。

 会いたかったのだと、気付かされる。今でも好きなのだと思い知る。このまま鍵をかければ、これまで通り少しずつ忘れていけるだろうか。それとも、今日の来訪の意味をいつまでも気にかけ続けてしまうだろうか。
 未練がましい自分に、実咲は溜息をつく。

 間違いなく、私は後者だ。

 でも、大丈夫、雅貴のした仕打ちを思い出せば、きっと話を聞いても、流されたりしない。
 実咲は、覚悟を決めて、チェーンを外し、ドアを開けた。ドアを閉めてしばらく経っていたのに、雅貴はまだそこにいた。
 いっそ、諦めて帰ってくれていたら、諦めもついたものを。

「何の話?」

 実咲の問いかけに、雅貴の顔が苦しげにゆがんだ。

「……十分でいい」

 明確な答えは返ってこなかった。代わりに、ぽつりと低い声が響く。

「悪かったな、突然。こんな所まで押しかけて」
「そう思うなら、なぜ来たの」
「……謝りたかった」

 実咲は眉をひそめる。
 何を今更。
 とっさにそう思う反面、わずかに浮き立つ心。それは期待なのかもしれない。それを心の片隅で感じつつ、実咲はその感情を押し殺して、怒りや不快感を優先する。

「そう。分かった。あの時のことを悪かったって言うのなら、その謝罪は受け取ってあげる。許す、許さないは、別だけどね」

 実咲は打ち付けるようになる心臓の音を聞きながら、こわばる顔に笑顔を作る。

「じゃあ、用事は済んだわね。……帰って」

 声が震えそうになるのを必死で押さえながら、実咲は何でもない素振りをしながら言い捨てた。
 雅貴はどこか苦しげに実咲を見つめている。

「許してくれなくていい、頼む、話がしたい」

 低く、くぐもったような声が絞り出されるように雅貴から漏れた。懇願するかのようなその表情は、よく見ると、ひどく苦しげで、顔色もどこか悪く見えた。
 実咲は狂ったようにドクドクと波打つ自分の鼓動を聞いていた。まともに思考が働かなかった。

 今更何をしに来たのだろう。何を話したいというのだろう。

 止まった思考の中、もう、これ以上関わってはいけない事だけは分かっていた。

 なのにどうして自分は雅貴を振りきる事ができないのだろう。

 情けなくて泣きたいくらいの気分なのに、会いに来てくれた、会えたうれしさばかりが胸をしめる。
 それなりに落ち着いたと思っていたのに、本当は会いたくて会いたくてたまらなかった自分を、今更ながらに思い知らされる。

「話をして、どうするの」

 躊躇う心とは裏腹に、自分の声が驚くほどに冷たいことに、実咲はほっとする。
 実咲を見つめている雅貴の顔が、ひどく悲しげに微笑んだ。

「……もう一度、振ってくれたらいい。そしたら……二度と、個人的に声をかけたりしないから」

 雅貴が、泣いていないのが不思議なほど弱々しくつぶやく。だから、頼む、話をさせて欲しい、と。
 上辺だけの言葉や表情なら簡単に切り捨てることが出来た。けれど、そこには、別れた時のような軽さは欠片ほどもない。一つ一つの言葉が誠意を持って、真摯に実咲に向けられている。

 ずるい、と、実咲は思う。断れるはずがないのだ。こんなふうに頼まれて、何の裏もなく、真摯さを見せられて。

 実咲は雅貴の持つ二面性を知っている。女性に見せる軽薄な側面と、友人や人に対してとても真摯で思いやり深い側面と。
 今、雅貴から向けられているのは、実咲が好きになった、皮肉屋だけれど、情に厚い彼らしさ。

 今の雅貴となら、話が出来るだろうか。

 そう思ってしまうのは期待なのか。
 実咲は躊躇いながらも、結局は雅貴を招き入れてしまう。
 部屋に入った雅貴は、軽く中を見渡し、まるで緊張でもしているかのように浅い溜息をつき、そして口をつぐむ。
 その姿はいつもの様子と違っていて、実咲は戸惑いながら彼を見つめたが、雅貴は実咲から顔を背け床をじっと見つめていた。

「コーヒー、飲む?」

 沈黙に耐えかねて実咲は思わず話しかけたものの、言った直後に、自分の言葉が長居を促しているようにも聞こえると気付いて動揺する。
 けれど雅貴はそれには全く気付かず、うつむいたまま、静かに首を横に振った。

「いや……いい」

 雅貴の返事に、実咲は安堵すると同時に落胆を覚えた。
 彼の反応に落胆してしまった自分に、実咲はどうしたいのかすら分からなくなっていた。

 雅貴は相変わらず、どこかこわばった表情のまま部屋に佇んでいた。明かりの下で久しぶりに彼の顔を見ると、やつれているようにも見えた。光の加減かもしれない、そう思おうとして、目の下のクマに気付く。
 疲れているのか、それともそれほどまでに仕事が忙しいのか。
 久しぶりに顔を合わせた雅貴の様子が、実咲の知る彼の姿とはあまりにも違っていて、戸惑った。
 仕事柄もあってか、こんな風に弱さを表に出すような男ではなかった。他人に気遣いや優しさは見せても、雅貴自身はそれを人に求めることがなく、むしろ疲れや弱音は隠そうとするきらいがあるような男だった。

 その雅貴が、隠しきれない疲れを滲ませている。

 その姿が、実咲の胸を突く。手を差し伸べたくなる衝動を必死に抑えた。
 戸惑う実咲の気持ちを気づいてか気づいていないのか、さらに実咲の気持ちを揺るがすかのように、雅貴が視線を実咲に向け、まっすぐに見つめてくる。
 見つめたまま沈黙を続ける雅貴に、実咲はたとえようもない居心地の悪さを感じた。

「で?」

 口の中がからからになりながら、声を絞り出す。雅貴の姿に、何でもない言動に、未だ振り回されている自分に嫌気がさす。
 そんな自分を知られたくなくて、強がって睨むように雅貴の目を見返した。
 すると実咲の視線を受けて今度は雅貴が目をそらした。何かを思い悩んでいるようでもあった。

「……実咲」

 ややあって、ようやく口を開く。同時に逸らされていた視線が再び実咲に向けられた。

「俺は、おまえのことが好きだ」

 静かな声だった。


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