43 / 53
囚心
10
しおりを挟むこの苦しみは、実咲が感じていた苦しみだ。
そのことに気付いた雅貴は立ち尽くした。
俺は、この程度のことも考えていなかったのか。
深く息を吐く。そして頭を振るとまた歩き始めた。
言葉で言えばいい物を、わざわざ実演して。結局は嫌がらせだろ。
そう雅貴は心の中で悪態をつく。
凉子に罪悪感の矛先を向け、悪態をつくことで、雅貴は見たくない感情から目をそらせようとした。
俺は、浮気のつもりもなかった。実咲を傷つけるつもりもなかったんだ……。
誰にともつかぬ言い訳を心の中で繰り返しながら、雅貴は息をつく。
最後にキスをした女も、実咲と付き合っている間に関係を持った女性たちも、全部……。
言い訳が、次から次へとあふれてくる。
実咲と付き合っている間、どうしようもない苛立ちが常につきまとっていた。それを実咲にぶつけたくなかった。彼女たちはその苛立ちを紛らわせる相手にすぎなかったのだ。実咲に苛立ちをぶつけないためだった。浮気をしたつもりはなかった。二股をかけたつもりも。付き合っていたのは、大切にしていたのは実咲だけだった。
苛立ちをぶつけて実咲を傷つけないためだった。
『自分はずっとしてたくせに』
違う。
頭の中で響く凉子の声を拒絶する。
……違うんだ。
必死に言い訳を繰り返しても、脳裏をよぎるのは自分以外の男と笑う実咲の姿で。それを思うだけで苦しくなる自分を、付き合っていた当時の実咲の気持ちに置き換えて泣きたくなる。
けれど、実咲は、ずっと、こんな気持ちになっていたのだろうか。こんなにも……いや、自分のやったことを考えると、おそらくそれ以上に苦しんでいたのかもしれない。
雅貴の胸をどうしようもない苦しさが、重い、重い固まりとなって落ちてきた。血の気が引いたように、頭がくらくらする。
実咲は、この苦しさを我慢していたのか。俺が、そんな思いをさせていたのか。
謝りたいと思った。すがりついてでも、ごめんと、ひどいことをしたと。できる事ならば、今すぐにでも。
自分のしたことが、重くのしかかってくる。実咲にした仕打ちが、じわりじわりと、ひどい罪悪感となって、心を浸食する。
ずっと、分かっていたつもりだった。何が悪くて、何が実咲を傷つけたのか。けれど、それは雅貴自身の都合と、雅貴の目から見たものでしかなかったことに気付いた。実咲のことを考えているつもりで、自分の都合の良いフィルターだけを通して見ていた。実咲が、本当はどういう気持ちだったのか、考えているつもりだけで、全く目を向けていなかった。
気付いた事実に、息苦しさを覚える。
実咲がどれだけ苦しんでいたのか、彼女にどれだけひどいことをしたのかようやく見えてきた。
みさき。
声になることなく、彼女の名を呼ぶ口元から、音にならない吐息が漏れる。
けれど、それを、なんと言って伝えればいい。
ようやく目が覚めたとでも? 嫌な思いをさせた、もう二度としないから許して欲しいとでも?
散々彼女を傷つけてきた男の言葉としては最低だと言うことが、今なら分かる。
自分の言葉には、どこにも、信用できるだけの物がない。
言葉で丸め込んでも、きっと、彼女の信用は取り戻せない。彼女の目から見た自分の姿が、今は分かるような気がした。
付き合っている間に、何度も他の女性と関係を持ち、いたずらで浮気をほのめかすような人間を、どうして今更信用できるというのか。
会って話をすればやり直せると、今までは思っていた。それがとんだ思い上がりだったのだと、ようやく気付く。いや、確かに、うまくやれば実咲と、もう一度関係を始めることは可能だったかもしれない。
けれど、おそらくは涼子の言うとおりなのだろう。きっと、雅貴の都合で、口先と感情を逆手に丸め込んで無理矢理修復しても、関係はすぐに破綻する。
やり直したいと思っていた。何がなんでもと。
気付く直前の自分を思い出して、その愚かさが刃となって雅貴の胸を切り裂く。
やり直すためなら、どのくらい時間がかかっても良いと、何度でも謝ると、そう考えていた。
けれど、そんな事を考えることさえ愚かだったのだと思えた。今は、もう、やり直せる気がしなかった。
自分のした仕打ちは、謝って取り繕えるものではなかったのだ。
失ったのは愛情ではないのだ。信頼なのだ。
一度裏切られた信頼は、誠意を尽くすだけでは取り返せない。どんなに誠意を尽くしても「信頼を裏切った過去」があれば、必ず疑念の種が残る。
仕事柄、雅貴はその感情には人一倍思うところがあった。
ふと、涼子に以前言われた事を思い出す。
『ホント、井上くんって、自分の事しか考えてないよね。実咲がどう思うかを考えるときは、自分の思い通りに動かそうとするときだけ』
その言葉を聞いたとき、何を訳の分からないことをと思って、気にもかけていなかった。あのときは、自分なりに実咲の気持ちを考えているつもりだったから。
今思うと涼子の指摘が的を射すぎていて、溜息が出た。
確かに、今まで実咲を思い通りに動かそうとしていたのだ。
実咲の気持ちを考えているつもりになっていた。けれど雅貴の考えている実咲の気持ちとは、最終的に、自分の思い通りの結果に持って行くためのものだった。彼女の心や想いを無視した物だった。
胸の奥が、焼け付くように痛む。取り返すことの出来ない過去を前に、後悔がわき上がってくるのを歯を食いしばりながら受け止める。
苦しい。
雅貴は実咲との時間を思い返した。
大切だった。大切にしたかった。大切にしているつもりだった。彼女は最初から特別な存在だった。分かっていたのに、俺はそのための術を間違えた。
そして今までずっと間違え続けている。
大切にしたいのに。
けれど、その存在はもう既に自分の腕の中をすり抜けていってしまった。
自分がしていることが、どういう事かさえ分からずにいたが為に。
ようやく、涼子の言いたかったことが見えてきた気がした。
7
あなたにおすすめの小説
初恋だったお兄様から好きだと言われ失恋した私の出会いがあるまでの日
クロユキ
恋愛
隣に住む私より一つ年上のお兄さんは、優しくて肩まで伸ばした金色の髪の毛を結ぶその姿は王子様のようで私には初恋の人でもあった。
いつも学園が休みの日には、お茶をしてお喋りをして…勉強を教えてくれるお兄さんから好きだと言われて信じられない私は泣きながら喜んだ…でもその好きは恋人の好きではなかった……
誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。
更新が不定期ですが、よろしくお願いします。
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
幼馴染の生徒会長にポンコツ扱いされてフラれたので生徒会活動を手伝うのをやめたら全てがうまくいかなくなり幼馴染も病んだ
猫カレーฅ^•ω•^ฅ
恋愛
ずっと付き合っていると思っていた、幼馴染にある日別れを告げられた。
そこで気づいた主人公の幼馴染への依存ぶり。
たった一つボタンを掛け違えてしまったために、
最終的に学校を巻き込む大事件に発展していく。
主人公は幼馴染を取り戻すことが出来るのか!?
氷雨と猫と君〖完結〗
カシューナッツ
恋愛
彼とは長年付き合っていた。もうすぐ薬指に指輪をはめると思っていたけれど、久しぶりに呼び出された寒い日、思いもしないことを言われ、季節外れの寒波の中、帰途につく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる