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真麻一花

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囚心

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 二人で、抜け出した……?

 後ろ姿を見ながら、小刻みに震える自分の体に気付く。
 震えを抑えようと右手は左手を強くつかむが、力を込めた手は、更に大きく震えただけだった。
 雅貴に背を向けて実咲が去って行く。呆然と追いかける視線の先で、彼女が、隣の男を見上げて微笑んだ。
 それを見たとたん襲ってきた、軋むような胸の痛みに、雅貴は胸元の服をつかんだ。

 息苦しい。
 つかんだシャツを下に引くように力を込め、喉元にわずかに開いた隙間から必死に空気を得ようと顎が上がる。
 呼吸困難にでもなったかのような苦しさに、雅貴は低く喘いだ。

 実咲、その男は。

 叫びたい衝動と、その問いかけの答えを知りたくない恐怖とに、雅貴は歯を食いしばりながら息を吐く。

 何で、二人で。

 気が狂いそうなほど怒りが襲う。

 許せない、実咲は、俺の物なのに。

 酸素の行き届かない脳内で、そのままつかみかかって行きたい衝動が芽生える。
 けれど、視線の先の彼女は、そんな事を知るはずもなく、穏やかに笑って、自分ではない男にその表情を向けるのだ。
 お前の物ではないと、そんな事を主張する権利などお前にはないのだと、激情に狂った頭に冷水をかけるような、そんな現実を突きつけるには十分すぎる、彼女らしい穏やかな表情だった。

 あんな顔を、俺と居るとき、実咲はしていただろうか。

 思い出せない。していたかもしれない。けれど、していなかったかもしれない。どちらにしろ、今、彼女があの表情を向けているのは、自分ではない。
 愕然とした。

 もしかして、佐藤さんは、これを見せたかったのか。実咲には、もう、他に相手が居ると。

 そう思えば、納得が行く気もした。あれだけ雅貴を嫌がっていた凉子が、突然に住所を教えた意味も、ここまで雅貴を呼び出したわけも。
 近寄るなと、もう、実咲に顔を見せるなと、そういうことなのだろうか。
 足下がおぼつかない。地面が波打っているようにさえ感じる。何とか足を進ませて、近くの壁により掛かった。
 吐き出す息が震えた。

 どうしろと。

 呼吸は浅く、震えるその音が、情けなく耳に響く。
 合コンから抜け出すように二人で出てきた実咲。楽しげに、けれど彼女らしい穏やかさを持って並んで歩く姿は、雅貴を絶望にたたき落とすには十分だった。
 諦めろということか。
 思い出すのは、高笑いする凉子の姿だった。
 ふざけやがって。

「ちくしょう」

 悪態をつくその言葉が、夜の繁華街には弱く音になって、そのままかき消える。
 諦められる物なら、ここには居ない。諦められないから、ここに来たんだ。実咲の居ない生活を、諦められる余地など、どこにもないからここにいるのだ。
 雅貴は体を起こすと、駅に向かっているらしい二人の背中を見つめた。
 合コンを二人で抜け出したカップルを追いかけるなど、あまりにも間抜けで苦く笑う。「実咲に手を出すな」と言える権利はとうの昔になくしてしまっているというのに。
 それでも雅貴は遠く先を行く二人を追いかけた。声をかける勇気もなく、距離を取って気付かれないように。
 間抜けなストーカーだなと、雅貴は自分を嘲笑った。
 諦めも出来ず、声をかけることさえも出来ない。
 惨めなもんだと笑うが、息苦しさは少しも軽減されることさえなかった。

 二人が駅で立ち止まって話しているのが見える。
 嫉妬と、実咲を失う恐怖とで今にも二人の間に立ちふさがりたい衝動が押し寄せてきた。しかし雅貴の思いに反して、男はそのまま実咲に手を振り、元来た道へと戻って来る。拍子抜けするような戸惑いを覚えている内に、実咲はそのまま名残惜しそうな様子さえなく駅の構内へと消えた。あっさりとした別れを見てまさかと思う。

 ただ、送っただけだった?

 あっけなく別れた二人に、今まで無意識に力が入っていた肩のこわばりががくりと抜け、どっと安堵感が押し寄せてくる。
 男は迷いのない足取りでもとの道を帰っている。すれ違う直前、目が合って笑ったように見えたのは気のせいだろうか。
 雅貴は自分の隣を通り過ぎた彼を振り返ったが、男はそのまま去って行く。
 そんな幕引きに、雅貴は乾いた笑いを漏らす。血が上っていた頭がすっと醒めるような感覚に陥った。

 実咲が男と抜け出したわけではないとほっとしたこと、さっきの男は実咲と何か関係があるわけではなさそうだと言うこと、なのに、それでも彼女の側まで歩み寄ることさえ出来ない自分の立場。
 押し寄せてくる感情は相も変わらず苦い物だった。

 安心するにはまだ早い、当初の目的がのしかかってきていた。あの男が何の関係もなかったところで、結局、何も変わっていないのだ。彼女に男が居ないからといって自分を受け入れてくれるわけではない。振り出しに戻っただけ。いや、感情的には後退している。焦りも不安も強くなり、追いかけてはいる物の声を掛けることを恐れる気持ちが心を蝕んでいる。

 遅れて構内に入ると実咲から隠れて、こっそりと隣の車両に乗り込む。
 自分のやっていることが本当にストーカーじみてて情けなくなった。
 隣の車両にいるのに声をかけられないもどかしさを覚えながら、じっと窓の外を見る。彼女はこんなところに俺がいるとは想像すらしていないだろう。今、隣の車両に移り、声をかけたなら、彼女はどんな顔をするだろう。思い出す姿は、会社での椅子に座ったまま振り返ることさえない後ろ姿で、想像の中でさえ、雅貴を拒絶していた。
 声をかけたところで、逃げる彼女の姿が、容易に想像できる。

 まだ、だ。

 今、声をかけるわけにはいかない。
 電車を降りて、彼女が家への帰路を急ぐ姿を離れて見つめる。さっき通った道だ。家は知っている。彼女が気づかないくらい離れ、小さく見える後ろ姿を追いかける。
 早く声をかけたいと思う気持ちと、かけるわけにはいかない焦りと不安、そして、まだ猶予があることへのわずかな安堵と。

 彼女の細い陰がアパートへと消えてゆく。しばらくして、一部屋、窓から明かりが漏れた。
 行くか。
 アパートの前に立ち、彼女の部屋の窓明かりを眺める。

 彼女は、ドアを開けてくれるだろうか。話を聞いてくれるだろうか。

 彼女がいる部屋はすぐそこなのに、足がすくんだ。会いたいのに、会いたくない。恐怖がまたおそってきた。拒絶する実咲が怖い。会いたくてたまらないのに、早く行かなければという焦りが確かに胸の中にあるのに、今行く必要があるのかと、逃げる言い訳を探してしまう。
 雅貴は窓の明かりから目を逸らせ、深く息を吐く。
 逃げたところでなにも変わることはない。

 今日、実咲といた男はただ彼女を送るだけだった。でも、明日はそうとは限らない。
 だから、今。
 雅貴は、アパートの階段に向けて、一歩を踏み出した。

 何から話せばいいのだろう。なんと言えばいいのか。激しく打ち付ける心臓が響いてくるのを耳の奥で感じながら足を進める内に、彼女の部屋の前に到着した。
「会いたかった」「酷いことをした。謝りたかった」言いたい言葉は溢れるほどあるのに、どれも空々しくて、結局は何を言えばいいのか思いつかない。

 チャイムを押すのをどれだけ躊躇っただろう。
 けれどいくら悩んだところで、そしていくら言葉を考えていたところで、実際相手を目の前にすると、そんな用意していた言葉は大して役になど立たない物だ。必要なことが何かを忘れてさえいなければ何とかなる物だ。
 そう自分に言い聞かせ、ようやく震える指でチャイムを鳴らした。

 けれど、しばらくたっても彼女は出てこない。確かにこの部屋に彼女が居るのは分かっている。電気もついた。まさか、シャワーでも浴びているのだろうか。だとしたらタイミングが悪すぎる。会うなという啓示か。それとも、俺だと気付いて開けたくないのか。

「実咲」

 会いたい。会いたいんだ。
 もし、ドアの向こうにいるのなら、俺だと気付いているのなら、少しでいい。最後に一度だけでいい、話をしたい。最後の一度で良いから、チャンスを与えてくれないか。

 呼びかけるようにつぶやいた言葉の後、しばらくして、ドアが開いた。
 ガチャンと音を立てて、チェーンの張る音と同時に、わずかに開いたドアがそこでとどまる。
 ドアの隙間からのぞいた実咲の顔が、驚きの表情で雅貴をとらえた。

 久しぶりに合った視線に、胸が締め付けられる思いがした。彼女の視界に自分がうつったことがうれしかった。
 さっきまで胸の中で渦巻いていた言葉が、彼女を前にすると全て消し飛んで、雅貴の頭の中は真っ白になっていた。けれど、心の方は不思議なほど落ち着いている。
 実咲と、こうして向かい合うことが出来た、その事がただうれしかった。

「久しぶり」

 実咲のこわばった表情に苦い思いが込み上げたが、何とか笑って声を掛けた。




 最後で良いんだ。だから、もう一度チャンスをくれないか。
 もう二度と俺の身勝手さでお前を傷つけるようなことはしないから。少しでいい、言葉を交わす時間をくれないか。
 そばにいたいんだ。一緒に、また、手をつないで歩きたいんだ。
 お前のいない人生は、あまりにも辛い。

 実咲、愛しているんだ。
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