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囚心
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しおりを挟む「雅貴、邪魔」
呆れたような声がして、彼女の手が、ぐっと俺を押し退けようとする。
俺はそれを、にやにやと笑いながら受け止め、その手の力に反発するように、余計すり寄る。
「邪魔だってば」
「気にすんな。さわらせろ」
「ト・イ・レ!」
「んじゃ、俺も一緒に……」
と、わざと彼女の動きにあわせて動くと、「変態!」と、額にチョップが炸裂する。
あの日、よりを戻してから一年ぐらいたっただろうか。
彼女のアパートの前でストーカーのように突っ立っていたことは、今となってはいい思い出ということにしておこうか。
ストーカーといえば、下手すると、今の方がストーカーじみているかもしれない。
思えばあれが俺の実咲ストーカー人生のスタートだった。
あの日、意を決してチャイムを押した俺は、姿を確認するなり拒絶するようにドアを閉めるという、実咲からの強烈な洗礼を受けた。
どうしようかとドアの前で固まってしまったのは当然だろう。絶望して、両手両膝を地面につかなかったのは奇跡じゃないかと思うほど、あのときの俺のショックは筆舌に尽くしがたい。頭が真っ白になって、涙が滲む余地さえないほどに感情まですっ飛んだ。
あの時の絶望は、思い出しただけで、泣こうと思ったら泣ける自信がある。
その後は、ドアの向こうに彼女がいると信じて、バカみたいに人の気配のないドアの前で突っ立って、呼び鈴を押すことさえできずにいる惨めさと、もう顔を見せてくれないのではないかという恐怖とで、情けないほどにパニックに陥っていた。
もうドアを開ける気はないのではないかと、もう一度チャイムを推すかどうか悩んでいたところでようやくドアを開けてくれた実咲に、すがらないと決めていたことさえもすっかり忘れて、必死に言い募ってしまった。
佐藤さんの冷たい視線が脳裏をよぎったが、後日心の中で「俺が幸せにするから許してくれ」と、思い返して言い訳などしてみたりしたものだ。
もっとも、幸せになっているのは、俺の方だったが、笑って隣にいてくれる実咲に、きっと彼女も幸せだと信じている。
よく、あのとき、実咲は俺を受け入れてくれたと思う。その上、まだ好きでいてくれたことは奇跡じゃないかと思う。
彼女の部屋で拒絶された苦しみも、その拒絶を受け入れ認める事しかできない苦しさも、そして悔いることしかできないやるせなさも、謝罪すら受け取るつもりがない実咲の態度で思い知らされた自身の愚かさと仕打ちも、全てまだ鮮明に胸の中に残っている。
苦しい記憶だが、それらを忘れたくないと思っている。そうすれば、今手にしている幸せの価値を忘れずにすむのだから。忘れるよりも、この苦しみを背負って生きた方が幸せではないかと思う。少なくとも、今は、まだ。
いつか、そんな苦しい後悔が溢れる奥底の思いも、今の幸せを幸せと感じられる思いも、全てひっくるめて受け入れ前を向ける日が来るだろうか。穏やかに互いを大切に出来る日が来るだろうか。
来るかもしれない、そうなればいいと思う。けれど、まだそんなに達観した状態は想像がつかない。今は、まだ苦しさで自分を引き締めないと、実咲の優しさにつけあがってしまうだろうから。
こうして一緒にいられることが一年が経ってもまだ嘘みたいで、未だに、彼女がそばにいないと落ち着かない。頭がおかしいんじゃないかと思うほどにつきまとっている。それなりに自重はしているが、実咲の方は、いろいろとうっとうしいらしい。
俺のストーカー癖は、実咲自身を失いかけた反動と、ようやく手に入れた居場所への執着と、おそらく、いろいろな感情が混ざっているだろう。
実咲を苦しめるようなことはしないと誓ったあの日から、実咲の喜ぶことをしたいと思っていた。けれど、実際は、なかなかうまくいかない。
一言でいうなら、めんどくさいという感情が近いかもしれない。そんな事より、実咲の側にいたかった。実咲の側は居心地が良い。
いろいろと認めてしまえば、あの頃の自分は何にイライラしていたのだろうと、思い返すと不思議に感じるほどに、実咲の傍らはひどく安らげた。
その感覚に甘えて、実咲を喜ばせたい気持ちとは裏腹に、気がつけば自分の方が甘えている。
さすがにこれは怒るかな、とか思いながら、ついいろんな所に手を抜いたり実咲にまとわりついたりしていると、あきれたように実咲が見つめてくる。
叱られるか、と思ってどきどきしながら見ていると、困ったように笑って「甘えてる」と、頬をさわられたり。
それが気持ちよくて、思わず顔がゆるむと、なぜだか実咲の方がうれしそうに笑うのだ。
もうずっと誰かと一緒にいて、こんなに気がゆるんだことがなかった。こんな幸せは、あまりにも遠い記憶の中にしか存在しなくて、ひどくくすぐったい。
いろいろと張り詰めた生活をしてきたのだろうと過去を振り返る。特に相手が女なら、尚更に。隙を見せれば、つけいられる。つけいる隙を与えるようなへまをするわけにはいかなかった。
けれど、実咲はそれにつけいったりしない。当たり前のように受け入れてくれる。つけ入れられたとしても、自分に不利になったことはない。叱られてもそれさえ楽しかった。
実咲といるのは気持ちがいい。実咲の側にいて、人が一緒にいる方が一人よりずっと安らげるのだということを、初めて知った。
気を張らずにゆっくり出来る時間がどうしようもなく心地よくて、俺は以前のように実咲の為に頑張ることを諦めてしまう。
そしてそんな俺を「甘えている」と笑う実咲にほっとする。
実咲が許してくれたことがうれしくて、俺は彼女を抱きしめ頬をすり寄せる。
思い返せば、自分の行動は、親の気を引こうとしている子供のようだと思った。
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