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囚心
20(最終話)
実咲の関心を引きたくてたまらない。
何でもないこと、そう、たとえばスーツを脱ぎっぱなしにしてみたりとかして、彼女がどんな反応を示すのかを待つ。犬たちのおもちゃにされそうになって慌てて取り返したり、溜息ついて片付けてくれたり、放置プレイされたり、めんどくさそうに顔にバサッとかけられたり。そんな事がとても楽しい。
この前は夕食作るとき、実咲がキッチンに入ってきて「教えて」というから、ウキウキしながら教えついでにちょっかい出したら、不埒な真似をした左手をペシリと叩かれ逃げられた。
逃げた実咲を恨めしげに見ていたら、カウンターの向こうで、子供みたいに「いーっ」と顔をしかめられた。あの時は可愛くて悶え死にそうだった。
俺があまりにもしつこいせいで、ときどき嫌がらせに、以前俺が吹き出したどくだみ茶をそしらぬ顔で飲まされたりもする。が、意外と人間の味覚とは慣れる物で。さりげなく飲まされ続けて、とうとうその苦手だった味になれてきてしまっている。非情に苦々しい現実だ。その回数の裏に、実咲の怒りを感じる。
「意外とおいしいでしょ」とにやにや笑う実咲に、そればかりは賛同しかねるが、あれから彼女がどくだみ茶にはまって自分から買うようになったどくだみ茶攻撃も、それはそれで楽しいというか、幸せというか、そう思わないでもない。あの独特な味は、幸せの味の象徴と、言えないこともない、ような気もする。
実咲が受け入れてくれている、実咲のいる場所が、俺の帰る場所。実咲のいるところが、俺の安心できる場所。
そんなふうに今は思う。
そして、それを実感するたびに、俺はひどく後悔をする。
こんな実咲を傷つけたことを。実咲の信頼を損なうようなことをした自分自身を。
なのに実咲は、こうなったのは、自分のせいもあるからと笑う。俺がそうしたくなるような自分を作ったからだと。
それは違う。
たぶん、実咲が出会った頃の素朴な雰囲気のままでも、俺は最終的に同じ事をしただろう。
きっと、実咲に見捨てられるまで俺は気付けなかった。結局、自分は実咲を傷つける道しか選べなかっただろうと思う。
たぶん、誰かに思い知らされるまで……失敗するまで気づけないことだったのではないかと思う。
人は、経験なくして想像力を巡らすのは難しい。実咲に見捨てられる以前の自分では、気づく余地さえなかったのではないかと思う。
実咲を傷つけるより他、気付く道はなかった。もしかしたらあったかもしれないが、けれどそれは何年も先になっただろう。
だから、きっと俺には必要な通り道だった。実咲を傷つけ、見捨てられたことさえも、実咲との未来のために必要なことだったのではないかと思う。もしかしたら、今に繋がる最短の道だったのかもしれない。
それでも。悔いは止まらない。
それは傷つけた事への免罪符にはならないのだから。女性を憎むことに安定感を求めたことが間違っていたのだから。
だから、実咲は悪くない。俺が悪いんだと話をしても、実咲は笑って首を振る。
どっちでも良いんだよ、と。彼女は笑って言うのだ。
「私にも出来たことがあったはずなのは、確かなんだから。雅貴のせいにしても、なんにもかわんないし、雅貴のせいにすればするほど、私は雅貴を信用できなくなって結局私自身が苦しくなるから。人のせいにするより、自分に出来たことを考えるのがずっといい。それを未来に繋げていく方が、ずっといい」
だから、お互い様が良いよ、そう言って実咲は笑う。今一緒にいられるから、それでもういいよ、と。
だから、信頼させて。騙さないで。心変わりは仕方ないけど、裏切らないで。
まっすぐに見つめてくるその視線を受けて、俺は実咲を抱きしめる。何度も頷きながら、ありがとうと抱きしめながら、彼女に包まれているような安心感を覚える。
ここに居場所があった。
この居場所は、俺を閉じ込めることはない。
実咲を抱きしめれば、俺をとらえて放さなかったこわばった感情がほどけてゆく。
居場所とは、家という入れ物にではなく、人にあるのだと知った。俺が執着していた家の形は、俺がなくした物への憧憬を詰め込んでいただけの物だったのだろう。
人は、人の中にこそ、居場所を作る。
帰ったとき、受け入れてくれる人の中に、存在意義を確かめるのだと知った。
実咲は、俺自身そのものを受け入れてくれる。取り繕わなくても、無理をしなくてもそこにいて良いと。きっとそれが、居場所があるという事なのだろう。
正直、実咲がどうしてここまで俺を思ってくれるのかが分からない。
そう言うと、実咲は笑う。
私も分からないよ、と。
それはそれで切なくて、こっそりと落ち込む。
それを見て笑う実咲に、こんな俺を信用できるのかと尋ねると、困った顔をされた。
不安は、あるよ、と彼女は答える。雅貴がいつか私から離れていくかもしれないって、思うよ、と。でも、あの時の雅貴の言葉は、信用しているよ、と実咲は続けた。もう、私をだましたりしないって、それは信用しているよ、と。だから、不安でも、大丈夫だよ、そう言ってくれたのだ。
不安なときは、俺に言えよ、と言うと、彼女は「無理」と一言で答えると笑った。
不安なのは、雅貴を信用してないからじゃないから。私の心の問題だから、と。
そのかわりさ、
そう言って、彼女は微笑む。
「雅貴が、私に対して、誠実でいてくれたら、それで良いよ。それがいい。そしたら、いつか、安心できるようになるかもしれないから」
実咲は人の心は変わっていくものだから、未来の心は誓わなくても良いと俺に誓わせてくれない。
だから俺は、俺自身に誓う。
心が変わっていくのなら変わっていくのも良いだろう。
実咲への思いが変わることもあるかもしれない。実咲以上に大切に思う誰かが現れるかもしれない。
そんな事は、誰にも分からない。もちろん俺にも。
けれど、そんな日が来たとしても、俺はずっと、ずっと、彼女を大切にするのだと。実咲に対して誠実にいるのだと。
それだけは誓っている。
だから実咲。
これからも、傍にいてくれないか。
実咲が俺の居場所を与えてくれたように、俺もいつかお前の居場所になれるようになるから。
だから。
結婚しよう。
何でもないこと、そう、たとえばスーツを脱ぎっぱなしにしてみたりとかして、彼女がどんな反応を示すのかを待つ。犬たちのおもちゃにされそうになって慌てて取り返したり、溜息ついて片付けてくれたり、放置プレイされたり、めんどくさそうに顔にバサッとかけられたり。そんな事がとても楽しい。
この前は夕食作るとき、実咲がキッチンに入ってきて「教えて」というから、ウキウキしながら教えついでにちょっかい出したら、不埒な真似をした左手をペシリと叩かれ逃げられた。
逃げた実咲を恨めしげに見ていたら、カウンターの向こうで、子供みたいに「いーっ」と顔をしかめられた。あの時は可愛くて悶え死にそうだった。
俺があまりにもしつこいせいで、ときどき嫌がらせに、以前俺が吹き出したどくだみ茶をそしらぬ顔で飲まされたりもする。が、意外と人間の味覚とは慣れる物で。さりげなく飲まされ続けて、とうとうその苦手だった味になれてきてしまっている。非情に苦々しい現実だ。その回数の裏に、実咲の怒りを感じる。
「意外とおいしいでしょ」とにやにや笑う実咲に、そればかりは賛同しかねるが、あれから彼女がどくだみ茶にはまって自分から買うようになったどくだみ茶攻撃も、それはそれで楽しいというか、幸せというか、そう思わないでもない。あの独特な味は、幸せの味の象徴と、言えないこともない、ような気もする。
実咲が受け入れてくれている、実咲のいる場所が、俺の帰る場所。実咲のいるところが、俺の安心できる場所。
そんなふうに今は思う。
そして、それを実感するたびに、俺はひどく後悔をする。
こんな実咲を傷つけたことを。実咲の信頼を損なうようなことをした自分自身を。
なのに実咲は、こうなったのは、自分のせいもあるからと笑う。俺がそうしたくなるような自分を作ったからだと。
それは違う。
たぶん、実咲が出会った頃の素朴な雰囲気のままでも、俺は最終的に同じ事をしただろう。
きっと、実咲に見捨てられるまで俺は気付けなかった。結局、自分は実咲を傷つける道しか選べなかっただろうと思う。
たぶん、誰かに思い知らされるまで……失敗するまで気づけないことだったのではないかと思う。
人は、経験なくして想像力を巡らすのは難しい。実咲に見捨てられる以前の自分では、気づく余地さえなかったのではないかと思う。
実咲を傷つけるより他、気付く道はなかった。もしかしたらあったかもしれないが、けれどそれは何年も先になっただろう。
だから、きっと俺には必要な通り道だった。実咲を傷つけ、見捨てられたことさえも、実咲との未来のために必要なことだったのではないかと思う。もしかしたら、今に繋がる最短の道だったのかもしれない。
それでも。悔いは止まらない。
それは傷つけた事への免罪符にはならないのだから。女性を憎むことに安定感を求めたことが間違っていたのだから。
だから、実咲は悪くない。俺が悪いんだと話をしても、実咲は笑って首を振る。
どっちでも良いんだよ、と。彼女は笑って言うのだ。
「私にも出来たことがあったはずなのは、確かなんだから。雅貴のせいにしても、なんにもかわんないし、雅貴のせいにすればするほど、私は雅貴を信用できなくなって結局私自身が苦しくなるから。人のせいにするより、自分に出来たことを考えるのがずっといい。それを未来に繋げていく方が、ずっといい」
だから、お互い様が良いよ、そう言って実咲は笑う。今一緒にいられるから、それでもういいよ、と。
だから、信頼させて。騙さないで。心変わりは仕方ないけど、裏切らないで。
まっすぐに見つめてくるその視線を受けて、俺は実咲を抱きしめる。何度も頷きながら、ありがとうと抱きしめながら、彼女に包まれているような安心感を覚える。
ここに居場所があった。
この居場所は、俺を閉じ込めることはない。
実咲を抱きしめれば、俺をとらえて放さなかったこわばった感情がほどけてゆく。
居場所とは、家という入れ物にではなく、人にあるのだと知った。俺が執着していた家の形は、俺がなくした物への憧憬を詰め込んでいただけの物だったのだろう。
人は、人の中にこそ、居場所を作る。
帰ったとき、受け入れてくれる人の中に、存在意義を確かめるのだと知った。
実咲は、俺自身そのものを受け入れてくれる。取り繕わなくても、無理をしなくてもそこにいて良いと。きっとそれが、居場所があるという事なのだろう。
正直、実咲がどうしてここまで俺を思ってくれるのかが分からない。
そう言うと、実咲は笑う。
私も分からないよ、と。
それはそれで切なくて、こっそりと落ち込む。
それを見て笑う実咲に、こんな俺を信用できるのかと尋ねると、困った顔をされた。
不安は、あるよ、と彼女は答える。雅貴がいつか私から離れていくかもしれないって、思うよ、と。でも、あの時の雅貴の言葉は、信用しているよ、と実咲は続けた。もう、私をだましたりしないって、それは信用しているよ、と。だから、不安でも、大丈夫だよ、そう言ってくれたのだ。
不安なときは、俺に言えよ、と言うと、彼女は「無理」と一言で答えると笑った。
不安なのは、雅貴を信用してないからじゃないから。私の心の問題だから、と。
そのかわりさ、
そう言って、彼女は微笑む。
「雅貴が、私に対して、誠実でいてくれたら、それで良いよ。それがいい。そしたら、いつか、安心できるようになるかもしれないから」
実咲は人の心は変わっていくものだから、未来の心は誓わなくても良いと俺に誓わせてくれない。
だから俺は、俺自身に誓う。
心が変わっていくのなら変わっていくのも良いだろう。
実咲への思いが変わることもあるかもしれない。実咲以上に大切に思う誰かが現れるかもしれない。
そんな事は、誰にも分からない。もちろん俺にも。
けれど、そんな日が来たとしても、俺はずっと、ずっと、彼女を大切にするのだと。実咲に対して誠実にいるのだと。
それだけは誓っている。
だから実咲。
これからも、傍にいてくれないか。
実咲が俺の居場所を与えてくれたように、俺もいつかお前の居場所になれるようになるから。
だから。
結婚しよう。
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