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一幕
幕間1
しおりを挟むぱちぱちと音を立てて火が上がる。
リィナはヴォルフのしめったマントをにくるまり、服が乾くのを待っていた。
「ちびすけ、お手柄だ」
川から上がってきたヴォルフが、にやりと笑った。
「はい?」
水をしたたらせながら歩み寄ってくる彼の手には剣が握られている。ヴォルフが剣を見ながら、しみじみとつぶやいた。
「剣がある」
「はい、ありますね」
首をかしげると、意味の分かっていないリィナにヴォルフが苦笑した。
「とっさのことだったからな、直前までは確かに剣を持っていたが、川に落ちた時には剣を手放していた。だが、なかなか気が利く力だな。一緒に時渡りをさせてくれたようだ。川底に落ちていた」
うれしそうに笑うヴォルフの顔がいつもよりあどけなく見えた。
ヴォルフ様もこんな顔するんだ。
リィナもうれしくなって「よかったです」と口元ががほころんだ。
「これさえあれば、とりあえず、おちびちゃんを守れるからな?」
「え、あっ……え?!」
思わせぶりに笑ったヴォルフに、リィナの顔が真っ赤になる。そのままわたわたと奇妙な動きをするリィナを、ヴォルフがおもしろそうに眺めていた。
ぱちぱちと音を立てながら燃える炎が、リィナの顔を更に赤く染めている。
ヴォルフは「くくっ」と楽しそうに喉をならし、まだしめったままの金糸の髪を撫でると、どさりと無造作に座った。
「これからのことだが」
静かな声で切り出したヴォルフに、リィナは神妙にうなずいた。
「考えていたんだが、やはりグレンタールに戻ろうと思う」
「大丈夫、でしょうか」
「俺たちが助かったのは、間違いなく時渡りしたからだろう。じゃあ、どのくらい時を渡ったか、想像がつくか?」
リィナは考えるが、どのくらいと言われても、想像しようがない。
「俺たちが落ちたところは、あそこだ」
そう言って指した先に、細い吊り橋が頼りなさげにかかっている。あれがあの時あれば、崖から落ちることはなかったのだ。
「そして、俺たちが落ちた時、下はただの岩肌で川は向こう側に小さな流れがあるだけだった」
指された対岸を見ながら、リィナは水が流れていたことさえ気付いてなかったなぁ、などと考えながらうなずいた。山間の、岩ばかりの崖としか思っていなかったのだ。
「そういえば、崖って、あんなに低かったですか?」
リィナは吊り橋の架かっているその場所を見ながら首をかしげた。
「いや、下に水が流れているのを差し引いても、もっと落差があったはずだ。それらを全部ふまえて、だ。リィナ、分かるか?」
真剣な顔で見つめられるが、リィナは首を横に振った。
分からないと言うより、頭が働かない、もっというなら、考えたくないと言った方が良いのかもしれない。
「つまり俺たちのいた時代から、地形が変わるほど時代が変わっているということだ。昨日今日、一年や二年の変化で起こった変化なら、こんなに落ち着いた景観はしていない。もっと不自然な物になる。十年、二十年でも自然な景観に戻るのは無理かもしれない。一番近くて、百年の未来。もしかしたら、過去へ渡ったのなら、一番近くても三百年」
「三百年……? なんで、そんな」
「グレンタールが興る前の地図が俺の家にある。先祖がグレンタールを起こした中心人物の一人だったからな。グレンタールに移り住んでから大きな地震があったとかで、地震が起こる前の地図と、起こった後の地図が残っているんだ。山間の土地だからな、地盤のしっかりした安全なところを把握しておくためだ。この川のことは良く覚えている。グレンタールに流れている川と、ここの川は、上流で繋がっているんだ。それが地震によって、こちらの川が絶え、グレンタールの方に流れるようになったらしい。もし、今の時代が、水の流れが絶える前だとしたら、グレンタールがあるかどうかで、ある程度の時代が把握できるだろう」
リィナは震えていたが、それでも気丈にうなずいた。
「分かりました」
「大丈夫だ、いつの時代だったとしても、俺がちびちゃんを守るからな」
まっすぐに見つめてくる瞳を、リィナは息をのんで受け止める。
いつの時代だったとしても。
ほんの一日渡ったのとはわけが違うのだ。そんな状況に、この人を巻き込んだのだと、リィナは思った。なのに、巻き込まれたその人は、巻き込んだ自分を守ると言ってくれている。巻き込んではいけない人を巻き込んだのだと、今更ながらに痛感し、足下がおぼつかないような不安感に、頭がくらくらしていた。座り込んでいるこの場所に、今にもぽっかり穴が開いて落ちていってしまうのではないか、そんなあられもない想像をかき立てるような恐怖だった。
けれど彼を巻き込んだと嘆いたところで何の役にも立たない。ごめんなさいと謝ってもヴォルフに気を使わせるだけだ。
やれることをやらなきゃ。
リィナに出来ることは、騒がず、心配をかけさせないこと。
ドクドクと鳴る心臓の音を聞きながら、彼女は小さく深呼吸をした。
「私も頑張ります! あの、私でも、出来ることあるかもしれないし……!」
「俺の姫巫女は逞しいな」
気遣うようなヴォルフの気配が、柔らかくほどける。
出来ること、やることをいろいろ話をした。リィナの質問にヴォルフがからかいを交えながら答えてゆく。その日は、服や荷物の乾燥、持ち物の確認などで、日は暮れていった。
時渡りをして三日後、ヴォルフとリィナは、山間の道なき道を進んでいた。道がひどく険しい。リィナとヴォルフの知る馴れた道はなかった。
河原で一夜を過ごした後、翌朝からグレンタールに向かった。旅慣れないリィナの足でここまで来るのに丸三日かかった。日は傾いていたが、まだ空は青い。
リィナは、ぐるりとあたりを見渡した。おそらく、もう少し進むと道の傾斜は緩くなるだろう。
「……リィナ」
森の中を歩きながら、ヴォルフが静かに名前を呼ぶ。不安が現実になろうとしていた。つながれていた手がぎゅっと強く握りしめられて、リィナは覚悟を決めてヴォルフを見上げる。
「はい」
ヴォルフが言わんとしていることを、リィナも感じていた。
見覚えのある地形が要所要所で見て取れるのに、あるべき物が、何一つないのだ。
「……グレンタールは、ないんですね?」
眉間にわずかにしわが入り、その目は心配そうにリィナを見つめてきたが、諦めたような溜息の後にヴォルフが肯く。
「ああ。この辺りからなら、そろそろ神殿が見えてもおかしくない筈なんだ。このあたりに来るまでに民家は跡形もなかったしな、いくらグレンタールが土地を捨てたとしても、跡形もないということには、まずならないだろう。何より、開拓されたあとがない。未来ということはないだろう。つまりここはグレンタールが出来る前の時代と思った方が良いだろうな。……少なくとも三百年以上さかのぼったということか。念のため、本当に神殿の跡がないかも確認しておこう」
「……は、い」
苦しげにうなずいたリィナに、ヴォルフがその頭をくしゃっと撫でて笑顔を返す。
「心配するな。これでも戦に出たこともあるし、野営もしたこともある。たいした装備はないが、ちびちゃん一人ぐらい、守れるさ」
リィナは唇を噛んだ。
時を渡る前からだったが、今の時代に落ちた後、リィナが不安に襲われそうになる度に、ヴォルフが言う言葉があった。大丈夫だ、心配ないと安心を与えてくれ、そして最後に必ず「守る」と当たり前のように笑うのだ。
違う。違います、ヴォルフ様。私が、ヴォルフ様を、こんな目に。
叫びたいような罪悪感をリィナは飲み込む。
言わないと決めたのだ。言えば言うほどにヴォルフは心を痛める。
「はい……」
うなずくが、いたたまれずに、リィナは下を向いた。泣きたかった。自分のせいなのに、と、思ってしまうのだ。ヴォルフがリィナを何よりも先にいたわることが苦しかった。
「……ごめんなさい」
絶えきれずにこぼれ落ちた言葉に、ヴォルフがため息をついた。仕方がないな、というように優しく彼女を見つめて。
「ちびちゃん、これは、俺が望んだことだ。時をさかのぼろうが、国外に出ようが、同じような物じゃないか」
「でも……」
「予定どおりに上手く逃げ切った。それで良いだろう? これから二人で新天地を探そうじゃないか」
冗談めかした言葉も、何の憂いもなくなったかのような笑顔も、全てリィナのために作られた物だ。
けれど、否定する言葉を言いかけてリィナはやめた。
あのときにリィナは決めたのだ。ヴォルフを信頼すると。悔やむことがヴォルフの負担にしかならないなら、笑うのだと。
「そうですね」
笑ったリィナに、ヴォルフが労るようにわずかだが顔をゆがめた。
「俺のことでおちびちゃんが苦しむことはない。だが、ちびちゃんの謝罪はもらっておく。ただしその意味を間違えるな。これからは一人で無茶をせずに、最初から俺に頼れと言うことだ」
ヴォルフは大げさな溜息をついて、顔をしかめてリィナを見ると、低い声で釘を刺した。
「君は一人でなんとかしようとしすぎる。一人でがんばって行き詰まると俺の負担が増えるんだ。そうなる前に俺を頼れ、良いな。それが効率ってもんだ。」
最後にコツンと額をこづき、ヴォルフが笑う。
リィナは小突かれた額を抑えると、「はぁい」と口をとがらせて返事をする。
何とか、普通に出来てるかな。
上目がちにのぞき見るヴォルフの表情は、からかうようににやにやと笑っている。ぷいっと顔を背けて、平気なフリをする。ヴォルフの優しさが苦しくて、でも、それでもうれしくて、泣きそうになるのをこらえながら。
「ほら」
話はおしまいとでも言うように、ヴォルフが笑って手を差し伸べてくるのを、リィナは普段通りの笑顔を浮かべてその手を取った。
その後、やはりというべきか、結局グレンタール神殿の痕跡も見つけることはなかった。
グレンタールが興る以前に時渡りしたのは、間違いなさそうだった。
「なら、とりあえず、エドヴァルドにでも行くか」
「エドヴァルドですか?」
「ああ、エドヴァルドの時渡りの神殿は千年前からあるらしいからな。嘘か本当かは知らんが。とりあえず、人の集まるところへ行こう。あてどない旅だ。気楽に楽しもうじゃないか」
エドヴァルド……この国コルネアの王都。以前ヴォルフが騎士をしていたところだ。村から出たことのないリィナは話にしか聞いたことのない土地。
「そうですね。楽しみです!」
いつか未来、グレンタール神殿が建つその場所に背を向け、ヴォルフがリィナの手を引く。
笑顔をかわすと、リィナはその手をきゅっと握りかえした。
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