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一幕
幕間2
しおりを挟む「ヴォルフ様、あれ、町じゃないですか?」
峠から見下ろした先に集落が見える。ようやく出会う民家の気配にリィナの声が弾んだ。
グレンタールを発って三日が過ぎていた。
グレンタールを経由した首都エドヴァルドから港町のカルコシュカをつなぐ道は比較的大きな陸路というのが、二人の常識だったが、グレンタールが出来る前は、それほど使われていたわけではなかった。それ以前はだいぶ迂回した、川を下り海路を使った船での交通が主だったらしいとヴォルフが話す。それ故、山を越えて行くエドヴァルドへの道は、主立った道とは反対方向ということもあり、人とすれ違うことさえあまりなかったのだ。
「リュッカか。あまり大きな町じゃなさそうだが、足りない物も多いし、そろえたい物だが……」
考え込むヴォルフを「どうしたんですか」とのぞき込むリィナに、
「いや、とりあえず、行ってから考えるか」
と、何でもないと笑って先を促した。
町にたどり着いたのは昼過ぎだった。それなりに人通りも多い。
きょろきょろと物珍しそうに辺りを見渡すリィナに、あまり離れるなよとヴォルフが注意する。
「なんだか、グレンタールや、カルコシュカとは雰囲気の違う町ですね」
どう違うのかと言われると、細かなところだが、家の建て方とでも言うのだろうか、違う国にでも来たかのような雰囲気だった。
「そりゃ三百年以上昔だからなぁ」
ヴォルフがからかうように笑った。
「……ああ!」
リィナはようやくヴォルフが考え込んでいたわけに思い至り、パンと手を叩いて、なるほどとうなずいた。今頃気がついたその様子に、ヴォルフが鈍いなとからかいながらわしゃわしゃと頭を撫でる。
「髪がぐちゃぐちゃになるんですったら!」
眉を寄せての抗議に、ヴォルフが、更に楽しげに髪に絡ませた手を動かした。
町中を進んでいると、店の前で店の主人らしき人がいるのを見かけ、ヴォルフが声をかけた。
それを横目で見ながら、リィナは間口できょろきょろと店の中をのぞいて端布や糸などが手に取れる場所にあるのを見つける。布や、衣類も奥にいくつか見える。
「へぇ、変わった服を着てるね、見せてくれないかい?」
「え?」
中から出てきた女性が珍しそうにリィナに声をかけてきた。
「どっかよそから来たんだろ、どこからだい?」
「あの、それがすごく遠くて」
たどたどしく答えるリィナを、探るように女性がのぞき込んだ。
「遠くねぇ、色合いが大陸の顔だしね、ゾルタンじゃあ、なさそうだね」
「ゾルタン?」
話ながら、リィナは困っていた。語尾やちょっとした言葉遣いが、どこか違う。一応、同じ言葉なのだし、そんなに多く会話しているわけではないが、どうやら三百年以上も前ともなると、言葉さえも違うらしい。
「あんた、ゾルタンも知らないのかい?」
聞いたこともない言葉だ。
「ゾルタンというのは、もしかして、大河の向こうの国のことか?」
店の主人らしき男と話していたヴォルフが、振り返って尋ねてきた。
「そうさ。こっちの方ではまだ噂を聞く程度だが、あんまり良くない話を聞くからね。エドヴァルドに買い付けに行くにも、ゾルタンが戦を仕掛けてきているのかと思うと、物騒でいけない」
仕入れにも響くしねぇ、と苦く笑う姿に、リィナが驚いて声を上げる。
「戦?」
グレンタールのような奥まったところで暮らしていると、争いごとは大なり小なり、あまり身近な物ではなく、遠く伝え聞く程度の物だった。けれど、話にきく程度しか知らなかったい戦という物が、このままエドヴァルドに行くと、身近なものになる。リィナが動揺するのも当然だった。
「エドヴァルドで戦が起こっているんですか?」
リィナの焦ったような様子に店の女性が笑った。
「そこまではひどくないさ。エドヴァルドにまで侵攻してくるような戦じゃないからね。やっているのはせいぜい川の向こうさ。今は小競り合い程度らしいし」
ただねぇ、そう言って彼女は口をつぐむと、リィナの顔を探るように見た。
「エドヴァルドに行く気なのかい?」
「はい」
緊張した様子で女性の言葉を待つリィナに、店の女性がたいしたことないよと励ますように言う。
「あっちは、戦でちょっとぴりぴりしているところもあるからね。川の利権問題が絡んでいるから、物流関係の者にとったら、死活問題だ。あんた達は言葉も違うし、疑り深い目を向けられることもあるだろう。見た様子じゃあ、関係なさそうだが、いちゃもんをつけるヤツは、どこにでもいるからね。気をつけるんだよ。まあ、こんな田舎に比べりゃあ、人の出入りも激しい大都市だ。大丈夫だとは思うがね。慣れるまでいろいろ大変かもしれないが、がんばりな」
ぽんと肩を抱くように叩かれ、リィナは笑顔になる。
「ありがとうございます」
店の女性の気遣いに、リィナがいかにもうれしいと言った様子でうなずくのを、ヴォルフが店主と話しながら見ていた。
ヴォルフは店の主人から得た、このあたりの情勢についての情報を簡単に把握出来たところで、リィナと店の女性を見比べる。
「ところで、俺とこの子にも、こちらで着るような服がないかと思っているんだが、今すぐ着られるようなのは置いてあるか?」
今のままでは、間違いなくこの服だけで目立ってしまう。大まかな服の形は似たような物だが、今のままでは完全に異国の服と思われても仕方がない。
話を聞く限りでは、現状ではそれほど戦を警戒する必要もなさそうで、エドヴァルドへ行く予定を変える必要はないだろう。できれはこんな田舎ではなく中央での情報が欲しい。が、余計な目だち方をするのは好ましくない。
店主と店の女性は、二人を見ながら、寸法を見ているようだ。
「ふむ。こちらのお嬢さんはちょっと小ぶりだが、まあ、見本に作った分でも大丈夫だろうが……。兄さんは、大柄だからねぇ」
多少、大きさに融通がきく形とはいえ、確かにヴォルフでは、一般的な男性の大きさで作られると丈が足りない。
「そういえば、以前作って引き取りに来ないやつがあったことないか?」
「ああ、そういえば、あれもだいぶ大きかったね。ちょっと待っていてくれるかい?」
店の奥に行こうとした店主を、ヴォルフが引き留めた。
「いや、今すぐでなくても良い。今着ている服をこちらで着るような物と替えたいんだが、古着は扱ってないか?」
「ウチに古着はないねぇ。古着ならこの先の質屋でも多少はあるだろうが、そっちのお嬢さんはともかく、あんたに合う服があるとは思えないねぇ」
「質か……」
おそらく、ヴォルフらが持っている貨幣は、この時代では使えないだろう。質屋で換金してもらえたとしてどの程度になるか。考え込むヴォルフに、店の主人が提案した。
「普段なら古着と替えるような真似はしないんだが、その服は珍しいからね、しかも、生地も悪くない。その服との交換でも良いが、どうするかね?」
ヴォルフがリィナを振り返ると、彼女のいつもの笑顔が返ってきた。
女性という物は物に思い出を込めるため、もしや服の交換で嫌がるのではないかと心配していたのだが、どうやら服の交換を嫌がっている素振りはない。
「交換しても構わないな?」
嫌だと言われても、使えない荷物を持ち歩くのはあまり良策とは言えない。ヴォルフの言葉は、確認と言うよりも、換えるという意思表示だった。その意図を知ってか知らずか、リィナは「はい」と、自然にうなずいた。
服を換えた後、リィナはヴォルフの後について、教えられた町に唯一ある質屋へ向かった。手持ちの貴金属や貨幣を、この時代の貨幣に換金するのを見ながら、リィナはここが自分たちが住んでいた時代ではないのだと言うことを改めて感じていた。
少しずつ違う生活様式、服や言葉。それらは自分の住んでいたところではないのだと実感させるのだ。跡形もないグレンタールを見た時とは違う実感があった。
あの時は「ここは自分たちのいた場所ではない」事への認識であった。今、違う時代の人たちと関わることで感じたのは、言うならば居場所のないような不安だった。帰る場所がないのだと思い知らされたような不安定さが胸に広がって行く。
心許なくなって、ヴォルフの側により、そっと服の端をつかむ。手に伝わってきた感触に、リィナはほっと息を吐いた。ヴォルフとつながっているだけで地に足がつくような安定が訪れた。
大丈夫、ヴォルフ様がいるから。
ヴォルフの慣れているかのような気負いのない様子を見ると、他の国へ行くと当然のことなのだろうかなどと感心する。
自分は、本当に何も知らないのだと、ただ護ってもらうしかないのだと、こういう時、痛感する。でも、それに甘えたらいけない。
リィナは、ヴォルフの服の端を少し強く握りしめる。ちゃんと覚えよう。自分のできる事から始めよう、そう心の中でつぶやく。
世界を知ること、自分のできる事を知ること、それが今の自分にできる事だとリィナは思った。
嘆くのは、自分ができる事を出来るようになってから。今、二人で支え合うしかない状況で、自分ばかりが助けてもらっている。だから、私もヴォルフ様を少しでも支えられるようになるのだと、彼女は決意する。
出来ないことを嘆いたりしない。ヴォルフ様にとってお荷物だなんて、嘆いたり悔やんだりしない。それは、自分の出来る精一杯が足らないと思ったときでいい。まずはやれることをやってから。
リィナは服を握りしめ、うんとうなずくと、ヴォルフと質屋とのやりとりを見ながら、自分ができる事を考えた。
ヴォルフはふと店内を見渡すように振り返った。さっきまで緊張した様子でぴったりと自分にくっついていたリィナが、いつの間にか店を出ていたことに、ようやく気付いたのだ。
側にいるからと安心して彼女から意識を逸らせたままになっていたらしい。
「おちびちゃん?」
店を出て外を見渡すと、少し離れた道の先で子供達に囲まれている彼女の姿を見つける。
笑い声などは聞こえるが、話している内容までは聞き取れない。なにやら楽しげな様子で、仕事をしているらしい子供に尋ねているように見える。
リィナが何か言う度に、他の遊んでいるらしい子が我先にと話しかけている。
「……何をしているんだ、あのおちびちゃんは」
呆れたようなつぶやきが、口角をゆるませたヴォルフの口元から漏れる。
ヴォルフは歩み寄りながら、彼女たちの会話をとらえていた。
「へえ、じゃあ、これは何に使うモノなの?」
「これは……」
どうやら道具屋の店番をしているらしい子が、リィナの問いかけに身振り手振りで説明していた。その周りの子達は「お姉ちゃん、そんな事も知らないの?」と笑いながらはやし立てる。
「だって、このあたりに来たの初めてなんだもん。知らない道具ばっかり。みんなが教えてくれるから、すっごく助かるよ」
いかにも感心した様子で、頼りにしてると言わんばかりのリィナに、周りの子達は意気込んで教えているようだ。
これだから、このおちびちゃんは侮れない。
ヴォルフの肩に掛かっていた重圧が、その重さをなくす。
違う時代に渡った以上、ここで生きていくための情報をまずは集めようとしていたヴォルフを、軽く追い越していくように、この世界に溶け込もうとしているかのような少女の姿がそこにあった。視線の先の少女の姿はとても生き生きとして見える。
何とかしなければいけないと思っていた。彼女を守り、生きていく術を見つけるのだと。全て、自分が何とかしていくのだと。その為の苦労は厭わない、彼女が笑っていられたら耐えられると。
けれど、彼女は当たり前のように笑うのだ。たった今まで緊張を見せていたのに、当たり前のように笑って、そこに馴染んでいる。
何とかなるよ。大丈夫。そう笑って易々と飛び越えていっているかのような少女に、ヴォルフは無駄な力が抜けていくのを感じた。
俺たちは生きている。リィナが笑っている。ああ、大丈夫だ。何とかなる。何とでもしてみせる。
ヴォルフは軽くなった足取りでリィナに向けて足を進ませる。
まずは、このおちびちゃんと一緒に、このあたりの生活がどんなものかを、仕入れておくか。
気付いた少女が笑って彼に手を振る。
ヴォルフはそれに応えながら、のぞき込むようにして彼女の隣に立った。
「よう、何を教えてもらっているんだ?」
驚いて見上げてくる子供達と、「あのですね」と話を始めたリィナに、ヴォルフは笑ってうなずいた。
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