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三幕
8 踏み出す一歩2
しおりを挟むそこは神殿の一角であった。彼女は一人の神官を横目に冷然と微笑んでいた。
「シャルロッテがいないと思って、ずいぶんと侮られた物ですね」
優しげな顔だがその声も目つきも冷ややかに、横にいる神官へと向けられる。
「姫巫女である私を、神殿の駒にしようなどと、ずいぶんなおごりです事」
うっすらと微笑みを浮かべたまま、けれど彼女の顔は神官に向けられる事はない。背筋を伸ばし視線のみを向けて冷たく微笑む姿は、近寄りがたいほど高潔な存在にも見えた。
その場の空気がひやりとしたものに感じられ、神官はわずかに息をのんだ。この姫巫女は、こんな風な威厳を持つ存在だっただろうか。口の中が乾いてくるのを感じながら、何とか唾液を嚥下し、言葉を続ける。
「しかしながら、姫巫女様が二人もエドヴァルド神殿におりますと、他の神殿からの……」
「それは、神殿の都合であって、私には関わりない事ではありませんか? 私はこの時代の者ではありません。私は過客の姫巫女。この時代の些事に何故私がとらわれなければならないのです」
彼女は神官の言葉を遮るように断じると、ゆっくりと彼に顔を向けた。先ほどまでの微笑みさえも消え、静かに問いかけてくる貫くような目に、神官は言葉を失った。
「私はこの時代の神殿に縛られるつもりはありません。姫巫女である私をそれだけ軽く扱うのが、この時代の神殿のやる事なのですか?」
嘆かわしい、と吐き捨てる言葉と共に強い視線に射貫かれて、神官は耐えきれなくなり、深く腰を折ると、その場を辞する言葉を何とか紡ぎ去っていった。
その後ろ姿が見えなくなるのを確認してから、リィナは大きく息を吐いた。
「だいぶ、様になってきましたわね」
クスクスと笑いながら声をかけてきたのはシャルロッテだ。
神官は気付いていなかったようだが、少し前からリィナと神官のやりとりを聞いていたのだ。
その顔を見て力が抜けたのか、リィナの先ほどまでの厳しい表情は見る影もないほど情けなく崩れる。
「肩が凝るし、舌を噛みそうになるし、顔がこわばって引きつるわ。何より急に態度を変えたから恥ずかしくていたたまれないわ」
泣き言をもらしはじめたリィナに、「でも、上出来でしてよ」と、シャルロッテが楽しげに言う。
「立派な姫巫女ぶりでしたわ。少なくともあの者は、互いの立場を正しく認識できたでしょうね。姫巫女は神殿で一番力があるのです。口車に乗せられて流されない限り、姫巫女がしっかりを意志を持って姫巫女らしくするだけで、内心はともあれ神官達は表だってそう強く出る事は出来ないのですから」
高笑いをするシャルロッテをみながら、どうやら溜飲を下げたらしいとリィナは苦笑いを浮かべる。ずいぶんと今まで鬱憤を溜め込んでいたのだろう。
「今の感じを忘れないようになさいませ。ですが、態度を改めるだけではダメですわよ。今のところはそれで構いませんが、あなたが望む時代に帰ってからの事もちゃんと考えなければいけませんわ。いくら発言権を持っていても、現実問題としてあなたが力をうまく扱えない以上、いくら強く言えたとしても、あなたの要求を飲ませるほどの対価となる力を扱えないのですから。今あなたのその威信を支えるのは、あなたの態度と、あなたの後ろに控えている私の存在なのですから」
リィナは表情を引き締めて、しっかりと肯く。
ようやく自分が神殿内ですべきことを理解し、その一歩を踏み出しているが、まだ、リィナには元の時代に渡ってからの大きな課題があるのだ。
リィナが真剣に、姫巫女としての言葉遣いや作法、礼儀などを身につける練習を始めてからシャルロッテより言われた事があった。
それは言葉に価値を持たせろ、という事であった。時渡りの姫巫女と言うだけで神殿は動かない。姫巫女の言葉に従わなければ損だと思わせろ、というのである。
そのために、リィナがヴォルフの待つ時代に戻った時、自分が何をすべきかを考えるようにとシャルロッテは言った。
リィナが望むように神殿を動かしたければ、神殿に思わせなければいけない事が二つ。
姫巫女の望みを叶えれば、神殿にも何らかの利益が返ってくるのだと思わせること。もう一つは、リィナの望みが神殿にとっても価値のある物だと思わせることだ。
神殿に利用されたくなければ、その二つをリィナの言葉に持たせなければならないのだ。
「たとえ価値ある時渡りの姫巫女の言葉といえども、ただで受け入れられることはありませんから。あなたの望みに、神殿側に対する付加価値を見つけなさい。でなければ、いくら神殿があなたに傅こうとも、あなたの望みが叶うとは限りませんわ」
その言葉を聞いた時、リィナが目眩を覚えたのは仕方がないだろう。
リィナは大した知識もなければ力も扱えない、ただの一般人の育ちなのである。神殿の望むことなど、想像もつかない。
価値?
リィナは考えた。
彼女はただヴォルフの元に帰りたいだけだ。そこに神殿にとっての価値などない。
なのにそれを、神殿にとっても価値のあるものに変えなければならない、意味を持たせなければならない……ということなのか。何という難題か。
頭を抱えたリィナに、シャルロッテは何でもないことのように続ける。
「あなたは時渡りの姫巫女でしょう。求める時代より三百年先を知る、希有な姫巫女となるのですわ。考えればいくらでも付加価値などつけられるはずですわ」
そんなことを言われても……と叫びたくなった。
リィナがグレンタールに行くことに、神殿側にとって何の価値があるのか。三百年も先の事なんかを、どうやって付加価値にすればいいのか、見当もつかない。そもそも、リィナが知ってる三百年先の事に、神殿に価値のあるような情報などない。リィナは、小さな世界の、小さな村の、何も知らないただの娘でしかなかったのだから。
考えれば考えるほど、何の価値がないどころか、神殿にとっては不利益なのではないかと思えた。
姫巫女が出ていくという不利益に、神殿が価値を見いだせるとは、到底思えない。
時渡りの姫巫女とは、先を読み、過去を読み解く姫巫女。力を自在に操ることは出来なくても、その血だけは残そうとするだろう。
ヴォルフの待つ時代には、もう百年以上時渡りの姫巫女は現れていない。ようやく現れた時渡りの姫巫女を神殿が早々簡単に手放すとは思えない。
無理だと思う気持ちが溢れて、絶望と言うより、頭が真っ白で、どうしたらいいか分からず、心臓ばかりがドクドクと主張した。
出来ない、無理だよ、と泣き言を言いたくなった。
けれど、それをそうと言ったところでどうしようもない。シャルロッテの言葉は、リィナに対する助言で、リィナをより有利にさせるための条件なのだ。出来ないと言って何もせずに現状に流されるだけになれば、それだけ自分に不利となって返ってくるだけの話である。
時渡りした先の神殿で、自分自身以外、他の誰にもリィナを助けることは出来ない。孤立無援の場所で戦わなければならないのだから。
そして、今この時、シャルロッテは彼女が出来うる最大の助言と手助けをしてくれている。
出来ないなどと言って諦めるのは、自分の覚悟が決まってないという事だ。自分の未来を自分でつかみ取る機会を自ら放棄するということだ。
だからシャルロッテに言われて以降、リィナは身につけるべき事を学ぶと同時に、自らが時渡りした先でできる事を模索している。
神殿側にとって、リィナがヴォルフの元へと行く価値。それを探すために。
考え続けているが、未だそれを見つける事が出来ずにいる。それどころか、考えるほどにそんな物は全くないように思えた。
けれど、あきらめたら道が閉ざされる。それだけは嫌だ。
ヴォルフのいる時代へと戻る巫女の力を使いこなすのと同時に、リィナは神殿を出てヴォルフの元へと帰るための術も見つけていなければならない。
現状としては厳しいと思わざるを得ない。でも今の内からそのための対処を考える時間を得られたのは幸運なのだと自分に言い聞かせる。
時渡りをした先で、リィナは神殿を相手に戦わなくてはならないのは決まっている事だ。それから逃げる事は出来ない。
全ては、自分の望む未来を得るために。
「頑張るよ」
リィナはシャルロッテに強い意志を込めて肯くと、シャルロッテが微笑んで応える。
「あなたなら、出来ますわ」
リィナは自身にできる事から一つずつ、ようやく進み始めていた。
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