時渡りの姫巫女

真麻一花

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三幕

9 変わりゆく時代

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 暴動の後、異人街は相変わらず活気を失ったまま、時折騒動の音を町中に響き渡らせていた。

 リィナがエドヴァルドから消えてしばらくの間、ヴォルフはほとんどの時間を家に引きこもって過ごしていた。暴動が落ち着いた後の片付けも、後の警備にも、全く顔を出す事すらなかった。リィナが消えた事を知る住民達は気遣いを多少はする物の、暴動の後の自分たちの事に手が一杯の現状で、あえて深く関わる者もいなかった。

 リィナがいなくなった事の真実を知る者は誰もいない。ヴォルフが「彼女は居なくなった」と言うのみで、詳しく語ろうとしないからだ。
 亡くなったのかというと、違うと言う。連れ去られたのかというと、ある意味では近いが、想像しているような暴漢に攫われたわけではないという。自分の力で逃げて、そのまま帰ってこないのだと。はっきりしない答えに、いろんな憶測が飛んだが、やはりヴォルフが語る事はなかった。分かっている事は、リィナは今ここにいない、という事だけである。

 ヴォルフはリィナを失った日から警備隊も無断で休んでいる。そして時折外へ出ると必要最低限の用事のみを済まし、中央の水場へと足を運ぶ。そこでしばらく時を止めたように立ち止まったまま過ごし、何もなかったように帰るのだ。
 その姿は多少やつれてはいたが、格別ひどいというほどの事もない。嘆いている風も、苦しんでいる様子もない。淡々と過ごしているらしいのが見て取れる。
 ただ、彼の顔からは感情をそぎ落としたかのように、表情がなかった。
 そんなヴォルフにリィナの助けた少年達が声をかけた事もあった。


 その日「ごめんなさい」と、泣きながら謝ってきた子供達を見て、ヴォルフはしばらく眺めていたが静かに問うた。

「何を謝っているんだ」

 と。

「僕たちが勝手な事をしたから、リィナが……」

 口々に後悔を口にする子供達に、ヴォフルは更に淡々と問いかける。

「何故、やってはいけないと言われた事をした」

 普段冴え冴えとして見える青灰色の瞳は、その色に反してどこか虚ろで濁っている。そしてその声に感情が何もこもっていないことに、子供達は気付かない。
 けれどそれとは関係なく、問われた内容に子供達は黙り込んでいた。
 退屈だから、面白そうだったから、なんだかむしゃくしゃして反発したくなったから、そんな理由でリィナをなくしたと思うと、口に出せなかったのだ。
 子供達は自分の気持ちにばかりにとらわれていて、ヴォルフの反応があまりにも淡々としすぎている事に気がつかなかった。ただ、怒鳴られる事のなかった安堵と、静かに問われる居心地の悪さを感じていた。

「何故、狭い範囲で遊ぶように決められたのか、分かっているか?」
「……危ないから」
「そうだ。なら、何故あぶない事をしたらいけない」

 危ないからしたらいけない事に何故と言われても、どう答えたらいいか分からずに子供達は再び黙り込む。

「危ないからしてはいけないという事は、お前達を守るためだ。安全を過信するな。お前達が危険にさらされるという事は、同時にお前達を守る大人が危険を承知で助けに行くと言う事だ。安易に大丈夫などと考えるな。お前達は、リィナを危険にさらしたが、同時にお前達を探していた親たちも危険にさらしていたんだ。リィナは消えた。今ここには居ない。もし、あそこにいたのがお前達の親だったのなら、今頃死んでいたかもしれない。泣いても謝っても、取り返しがつかない事が世の中にはある。まだ、この街は安定していない。自分に力がない事を知れ。お前達は俺が一度本気で殴っただけで死ぬぐらいに弱い。お前達の母親もだ。この前の暴動ほどひどくはなくても安易に考えるな。場合によっては命に関わる状態になっている事を忘れるな。自分や家族を危険にさらす行動かどうかを、しっかり考えて動け。俺に謝らなくていい。謝るぐらいなら、それを行動で示せ。自分の身を危険にさらすな。その程度の反省もいかせないやつの言葉は聞く価値もない」

 子供達は黙り込んで下を向く。ヴォルフは静かに話し終えると、無表情なまま去っていった。
 子供達がそんなヴォルフを見て感じたのは、まるで自分たちを見ていないかのような不自然さだった。
 幽霊でも相手にしているような気持ちの悪さ。
 子供達は去って行くヴォルフの背中を静かに見送りながら、ようやくヴォルフの様子がおかしい事に気付いた。

 ヴォルフはさほど子供達と多く接していたわけではなかったが、その存在感はやはりどこか人を惹きつけるものであった。人の上に立つ資質とも言うべき存在感があった。
 それは子供達にもおよび、リィナの家族として相応に慕われていた。そのヴォルフがなんの表情すら浮かべずに淡々と諭す姿に、子供達は何ともいえない恐怖を覚えたのだ。更に相手の様子などどうでもよく、言いたいことをただとうとうとしゃべって行く様子は漠然とした異常さを感じさせた。怒鳴られるのを恐れながら謝りに行ったはずなのに、いっそ怒鳴ってくれた方がマシだったかもしれないと思うほどだった。
 感情を凍らせてしまうほどの悲しみが存在することを、子供達は知らなかった。


 ヴォルフがここにいるのは、全てリィナのためだった。しかしそれは失われた。彼はここで生きていくための目的をなくしたのだ。
 しかしヴォルフはその怒りや悲しみをどこかにぶつける事をしなかった。表現する事すらも。何もせずに、ただ、淡々と生活をしていた。

 こらえていたわけではない。ただ彼はそれらを感じる事をやめたのだ。感情を受け止めていると、まともにいられる状態ではなくなるため、無意識に感情を閉じていた。
 故にこの時ヴォルフは子供達への怒りも感じてもいなかった。そして、子供達がどうなろうともどうでもいいとすら感じていた。

 ただ、少しだけ、閉じたはずの感情がゆらぐ瞬間がある。
 リィナのことを思う時だけは、心が動いた。失った絶望には目を背け、それ以外のあたたかな記憶だけが、ヴォルフの感情を揺さぶる。
 そのわずかな感情の揺れが、単調な作業としてではあったがヴォルフに生きるための生活を続けさせていられたのかもしれない。

 子供達はリィナが身を張って助けた存在だ。それが無駄になるのだけは許せなかった。だから気をつけるように言葉を返した。それだけの事だった。



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